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イ・ボミの日本生活を支えた“陰の立役者”女性マネージャーの苦労と絆「1年目に8kgも痩せた」

金明昱スポーツライター
2016年からイ・ボミの現場マネージャーを務める李彩瑛(イ・チェヨン)さん

 Jリーグやプロ野球の各チームには、多くの外国人選手が存在するが、彼らをサポートする通訳は欠かせない。プロゴルフも同じで、海外から日本ツアーに来る選手には必ず通訳が帯同している。

 今季限りで日本ツアーを引退するイ・ボミは、今でこそ日本語を少しは話せるようになり、自分の言葉で取材対応するようになったが、細かい表現を韓国語から変換して日本語で伝えるためにはやはり通訳が必要となる。

 いつも隣でその役割を果たしているのが、李彩瑛(イ・チェヨン)さん。日本の兵庫県生まれの在日コリアン3世の36歳。イ・ボミの2歳上になる。

 彼女は“ただの通訳”ではない。現場マネージャーとしてメディア対応はもちろん、私生活でも「オンニ(=韓国語で“お姉さん”の意味)」としてイ・ボミの相談に乗ったり、悩みを聞いたり、友人のように食事をしながら精神面で大きな支えになった。

 今まで2人の仲についてはよく知っていたが、お互いのことをどのように思っているのかを聞く機会が一度もなかった。それにイ・ボミが今季で引退することを決めたことを李さんはどのように受け止めていたのだろうか。それがずっと気になっていた――。

韓国アスリートの通訳に在日コリアンが多い理由

 少し話が変わるが、過去の取材経験から、Jリーグでプレーする韓国人選手の通訳は在日コリアンであるケースがほとんどだった。それもほとんどが朝鮮学校出身者。

 京都でプレーしたパク・チソン、清水や横浜でプレーしたアン・ジョンファンもそうだったし、現在は川崎フロンターレGKチョン・ソンリョンの通訳も在日コリアンの後輩である。

 共通するのは朝鮮学校を出ていることからハングルが話せるのと、日本語はネイティブということ。日本の文化で育ち、日本に生活基盤があるので、選手の要望を聞き入れたり、細かいニュアンスも容易に伝えやすい。日本で生活を送る韓国アスリートにとって、これほど適格な人材はいないわけだ。それらを前提にした時、イ・ボミにとって李さんは、かなり心強い存在だったと思う。

「緊張でご飯も喉を通らなかった」

 李さんが初めてイ・ボミと出会い、ゴルフのツアー現場に入ったのは2016年。15年はイ・ボミが女子ツアーで年間7勝して初の賞金女王となって人気絶頂の時。メディアに引っ張りだこで、ギャラリーの多さは尋常でない状態で、現場に放り込まれた。

「初めての現場は本当に何が何だかわからない状態で…。それに私にとっては初めて接する有名な人で、それも一番近くで一緒に仕事をする。何か自分の中の基準がおかしな感じになっていました。本当にスター選手だったので、現場に慣れるまでは本当にしんどかったです」

 現場の右も左もわからず、ゴルフのことも知らない李さんがよくイ・ボミの担当になったものだと思ったが、私もそれで何度も彼女を困らせたことがある。

 例えば、イ・ボミのインタビューのアポイントがなかなか取れないので、母・ファジャさんを通して取材のお願いをセッティングしたことは1度や2度ではない。李さんからは「イ・ボミのお母さんに連絡しないように」と何度も釘を刺され、目の敵にされていたのは今ではいい思い出だ。同じ在日コリアンで朝鮮学校の後輩ということもあり、自分にもどこか“甘え”があったかもしれない。

 当時はテレビ、雑誌、ネットメディアなど多くのオファーもあっただろうし、関係者やファンなどたくさんの人たちが、新人マネージャーの李さんの下に寄ってきたのは想像に難くない。今まで経験したことのない気苦労が積み重なり、胃が痛い思いをしていたのか、「その年(2016年)は8kgも痩せたんですよ(笑)」と笑う。

「初めて一緒にご飯を食べる時なんか、もう喉を通りませんでした。知らない人ばかりでも緊張するのに、そこにイ・ボミがいて、オモニ(お母さん)もいて、もう緊張の連続でした。それにゴルフ場で18ホールを毎日歩くことも知らなかったわけですから。それまでは会社の机の上で仕事していたのに、歩くはご飯は食べられないはで、それは痩せましたよ(笑)」

 それでも持ち前の明るさと学生時代にバレーボール部で培った体力と根性で仕事をこなし、いつしか現場には欠かせない存在となった。

イ・ボミ「どこの誰よりも現場適応が早かった」

 もちろん、李さんが来る前は違う女性マネージャーが担当で現場にいたが、2015年シーズン終了後に離れることが決まり、新たな“ボミ担当者”が必要だった。それも馬が合う女性マネージャーが条件。そこで李さんが採用されたわけだが、当時のイ・ボミの印象はこうだ。

「このオンニが本当に仕事できるのかなって(笑)。ゴルフについて何も知らなかったですから。チェヨンオンニもそれをすごく心配していたのを思い出します」

 しかし、そんな心配は杞憂に終わる。

「でもどこの誰よりもとても早く現場に適応していました(笑)。これは褒めてるんです。ちょうどインタビューの依頼もたくさんあった時期なのですが、ゴルフを知らないなかでも、スイングの話とかも落ち着いて通訳してくれていました。ゴルフに集中したい時なのに、周囲ではすごく神経を使うことが多いなか、本当にたくさん支えてくれたのを思い出します。それに本当に私の周囲のことを何でもしてくれていました」

 2人の仲がより深まったのは、新型コロナウイルスの感染拡大の影響がきっかけだった。いつもは韓国から母・ファジャさんを帯同していたが、当面は来日できなくなった。日本と韓国の行き来は、自主隔離を余儀なくされるためイ・ボミは帰国せず、日本で生活をすることになった。

 そこで白羽の矢がたったのが李さん。2人での生活が始まった。李さんは「これまで私はマネージャーとして仕事をこなす立場なので、選手とは線を引かなければいけないと思っていました。つかず離れずの関係性ですよね。でも一緒に過ごすことになって、ボミさんとの関係がものすごく楽というか、自然になったんです」と話す。

「面倒な存在」と「なくてはならない存在」

 一方のイ・ボミはこんな感謝の言葉を口にした。

「オンニが私のお母さんのような役割をしてくれていましたし、本当の姉のようでした。これだけ長く一緒にいられたのは、私の性格にオンニが合わせてくれたから。思えば成績が出ない時、オンニにすごく迷惑をかけていたなと思います。例えば、『ゴルフの成績が出ないからあまりにもしんどい、辛い』と夫にも母にも伝えたとしたら、どちらかといえば2人は『もっとしんどい人はたくさんいる』と返すタイプ(笑)。でも、オンニは私が辛いと話すと、『しんどいよね。そしたらゴルフを辞めて、ほかで幸せな道を探してもいい』と言葉をかけてくれたり、解決策を考えてくれたりして、気持ちを楽にしてくれる存在でした」

 賞金女王という絶頂期のあと、長らくスランプに入った間も李さんはイ・ボミを支え続けてきた。それも今年で8年目。この出会いは必然だったように思えてくる。

 李さんは最後にイ・ボミに対するこんな思いを残した。

「私にとって(イ・ボミ選手との出会いは)本当に感謝しかありません。これ以上、言葉が見つからないというのが正直なところです」

 女子ゴルフ界きっての人気選手であるイ・ボミと苦楽を共にしてきた李さん。今ではすべてが人生の糧であり思い出だ。

 最後にお互いにとって、どんな存在なのかを聞いた。李さんにとってイ・ボミは「面倒な存在(笑)」。イ・ボミにとって李さんは「なくてはならない存在」。本当の姉妹のような自然な回答から、2人の強い絆を見た気がした。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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