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イ・ボミに「失礼なことをした」出来事も懐かしい思い出~日本ツアー引退発表に寄せて~

金明昱スポーツライター
今季を最後に日本ツアーから引退するイ・ボミ(写真・筆者撮影)

 何から書けばいいだろうか――。イ・ボミが今シーズン限りで引退するとの発表に接し、様々な思いが胸にこみあげる。

 日本ツアーからの引退は時間の問題だと思っていたが、いざ現実になると寂しい。日本を去る覚悟を決めるまでの感情の変化を知りたく、節目で何度もインタビューをさせてもらった。時にはふらっと日本に来ているタイミングに短い時間だけ顔を見に行くのも定番になっていた。記者と選手の垣根を超えて、接することができる選手はもう出てこないんじゃないかと思えるほどだ。

 それにしても、日本でこれだけ愛される韓国人アスリートは、後にも先にもイ・ボミ以外には現れないのではないか。それくらいゴルフファンだけでなく、スポンサーやメディアなど関わるすべての人が、彼女の人当たりの良さに虜になっていたと思う。

「ファンの方と食事に行く」で驚く

 どのシーンや言葉も今は記憶に残るものばかりだが、イ・ボミと出会ったばかりの頃を思い出してみる。

 ”2010年韓国女子ツアー賞金女王”の肩書きで、11年から日本ツアーに初参戦した。韓国での愛称は“スマイル・キャンディ”。小さくて、笑顔がかわいらしい韓国人選手の“新顔”を最初から日本のギャラリーが応援することもなければ、そもそも存在すらあまり知られていなかった。

 私が女子ゴルフツアーの現場に入って間もない、2011年か12年頃。イ・ボミがホールアウト後に数人のギャラリーと談笑する姿を目撃していた。日本ではまだ無名の韓国選手に、当時のメディアも話を聞きに行く人はいないに等しかった。

 当時「週刊パーゴルフ」(現在は休刊)の記者としてツアー現場に入っていた私は、韓国語でイ・ボミに声をかけた。「アンニョンハセヨ。これからよろしくお願いします」。聞くと「応援してくれるファンの方と軽く食事に行く」という。最初は耳を疑った。こんなご時世にそんな選手がいるのかと驚いたが、なんとも韓国選手らしいなとも思ったものだった。

イ・ボミ家族からの“包囲網”

 強烈に記憶しているのは、イ・ボミの隣にいた母・ファジャさん。私が韓国語を話すのに驚いて、すかさずせっついてきたことだ。「これからたくさん取材して娘を取り上げてください。これから日本でずっとプレーするので。お願いしますね」。その“圧”はさすが韓国のママ。メディアを味方につけることを知っている。母と娘の二人三脚で、韓国を離れる覚悟を持っての日本参戦だったこともよく伝わってきた。

 それから現場で私を見かけるたびにファジャさんは声をかけてくれ、談笑するようになった。そのたびにイ・ボミを近くに来させては、何げない話をするようになったのは、ある意味ラッキーだったのかもしれない。

 2014年に亡くなった父・ソクジュさんとの出会いも忘れない。日本のファンクラブの集いに招待され、テーブル席に呼ばれて初めてそこで話をした。優しい表情で「娘のことをお願いしますね」と言われた。家族全員で気にかけてくれているからには、なりふり構わず、イ・ボミを追いかけようと思ったものだった。

 逆に言えば、もう“イ・ボミの家族包囲網”からは逃れられない。父を亡くした時のイ・ボミの憔悴しきった表情も忘れられない。2015年と16年の賞金女王は、父を亡くし“家長”としての責任感、母や姉妹(イ・ボミは4姉妹の次女)を楽にさせたいという覚悟があったからだと感じる。

ファンとメディアを味方につける“うまさ”

 日本のメディアが“日本人選手”を大々的に取り上げるのは当然のことだ。イ・ボミが来日する前の2010年男女国内ツアーは、韓国選手が賞金王(キム・キョンテ)、賞金女王(アン・ソンジュ)だったが、スポーツ紙の扱いはそれほど大きくなかった。

 イ・ボミとて同じこと。勝ち星を重ねない限りは、その名が世に知れ渡ることはなかったが、この時から「この韓国選手は何かが違う」と感じ始めていた。というのも、どこにいっても周囲の人をとても大事にする選手だった。

「〇〇さんですよね。わざわざ△△から来られたんですか。ありがとうございます」

 イ・ボミが試合会場で2回目に出会ったあるファンへの言葉。当時は顔や出身地までなるべく記憶していたという話も聞いてまた驚かされた。ファンは一発で虜だ。決して演じているものでもなく、彼女の素の性格であることを知るまで、そう時間はかからなかった。

 2年連続賞金女王になった絶頂期には、300人ものファン全員にサインしたという話もあるほどで、ファンサービスの在り方に一石を投じた選手。イ・ボミもまた「メディアがないとスター選手になれない」と語っていて、多くの記者を味方につけるのがうまかった。

「激怒したイ・ボミが筆者を呼び出した?」報道

 筆者が取材でイ・ボミを追いすぎるあまり“失礼”をしてしまったと感じる出来事があった。これについては直接、本人と食事をしながら謝ったが、イ・ボミは「そんなこと思っていたんですか」とキョトンとして、大して気にしていなかったことはまず話しておきたい。

 2015年の「週刊パーゴルフ」特集記事で、イ・ボミの幼少期の写真を韓国現地で手に入れた。母・ファジャさんにお願いをして掲載の許可をいただいたのだが、本人は聞いていなかったとあとになって聞かされた。当時、専属キャディだった清水重憲氏にも「これは確認とらないと」と怒られた。今ではいい思い出なのだが。

 この話をどこの誰から聞いたのかわからないが、日刊ゲンダイに記事が出た。内容は「激怒したイ・ボミが私(お母さんと親しいライター)を呼び出して今後の付き合いを考える」と話したのだという。ちなみにイ・ボミから呼び出しを食らって、激怒されたことは一度もない(笑)。出る杭は打たれるもので、ある意味、こうして叩かれたのは今では懐かしい思い出。ちょっとした勲章でもある。

もらい泣きする自信あり

 それこそ色んな出来事があったが、そんな取材のやり取りの中で信頼を築き、絆を深められたと思う。

 今季限りで引退することを心に決めていたことは、すでに本人から聞いていた。どのように、どのタイミングで発表すべきかを悩み、軽く相談もされた。今季の女子ツアー開幕戦出場が決まり、そこで発表するのがベストと判断したのだろう。

 日本ツアーは今年で13年目。日本で一時代を築いたイ・ボミのラストイヤーは、数試合の出場に留まるが、最後までその雄姿を見届けたいと思う。所属先の「NOBUTA GROUP マスターズ GC レディース」が最後の試合となる予定だが、イ・ボミが涙する姿を想像してみた―ー。すでにもらい泣きする自信はある。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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