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【独占インタビュー】なぜキム・ハヌルは現役プロゴルファー引退を決めたのか?「予選会に行くなら辞める」

金明昱スポーツライター
単独インタビューに応じてくれたキム・ハヌル(写真・筆者撮影)

「QT(予選会)に行くような状況になればきっぱりと引退すると決めていました」

 その決断に一切の迷いはなかった。

 韓国女子プロゴルファーのキム・ハヌルが、今週開催の「NOBUTA GROUPマスターズGCレディース」を最後に引退することを発表した。

 2011年と12年に韓国女子ツアーで2年連続賞金女王となり、2015年に日本女子プロゴルフツアーに初参戦。それから通算6勝し、“スマイルクイーン”の愛称でゴルフファンから親しまれた。

 今シーズンは賞金ランキング79位と調子を落としていたとはいえ、まだ続けられる力はあるはず。それでも引退を決めた決定的な理由はなんなのか。単独インタビューで日本での7年間の思い出と共に胸の内を聞いた。

今季低迷の要因は「コロナ禍による影響」

――突然の引退発表には驚きました。決定的な理由はなんだったのでしょうか?

 これは私がゴルフを始めてからずっと考えていたことなのですが、QT(=予選会)に行くほど実力が落ちているのであれば、ツアーから離れようと思っていました。韓国ツアーでプロデビューしたあと、私は一度もレギュラーツアー出場権をかけた予選会にいったことがありませんでした。なので、そういった状況が訪れたときは、引退すると心に決めてこれまでプレーしてきました。

――QTから出場権を得る選択肢は、そもそもなかったということですね。

 私は引退するときは、周囲が「まだもったいない」と思われるときがいいと思っていました。実際に「まだできる」と説得されるのですが、辞める時期が来たと思いました。韓国には「拍手が送られているときに去りなさい」という言葉があるのですが、これは一番いい時期に去るほうが、周囲の印象もいい記憶として残るという意味です。その時期が来たということです。

――最初引退すると聞いたときは、“結婚”がその理由と思っていました。

 みんなそう思っているようでした(笑)。でも違います。結婚するから引退ではありません。むしろ、それが理由だったら良かったかもしれませんね(笑)

――とはいえ、引退の決断は簡単ではなかったと思います。

 両親にはとても申し訳ない気持ちでいっぱいです。結果が出ない私が苦しむ姿を見ていたので、それも私にとっては苦痛でした。とにかく日本での試合を楽しんでおいでと送ってくれたのですが、コロナで行き来ができず、両親も苦しかったと思います。最後は私の決断を尊重してくれました。

――2020年はコロナ禍でシーズン開幕(6月)が遅れ、ハヌル選手も10月から参戦していますが、20年と21年が統合された今シーズンは賞金ランキング79位。日本への入国制限措置や2週間の隔離などの影響は大きかったのでしょうか?

 新型コロナウイルスによる影響は大きかったです。本来であれば試合に出ない週は、韓国に帰ってリフレッシュして、また日本に来ることができたのですが、まずそれができないストレスが大きかったです。それに、両国での2週間隔離生活で、ベストの状態にまで仕上げたコンディションを完全に落としてしまいました。

――それは技術的な部分よりもメンタル面での影響でしょうか?

 確かにメンタル的には苦しい状況でした。自信がなくなり、長らく結果も出ないので、精神的に苦しくなる時間が多かったと思います。技術面に関しては、20年もゴルフをしているのでそこまで大幅に落ちるということはないのですが、精神的な影響がプレーに出ていたのはあります。

日本ツアー人気をけん引したキム・ハヌルとイ・ボミ(写真・筆者撮影)
日本ツアー人気をけん引したキム・ハヌルとイ・ボミ(写真・筆者撮影)

2週間隔離で整えたコンディションが水の泡に

――それでも2020年のオフの練習はかなり充実していたと聞きました。

 2020年が始まる前のオフシーズンは、とても充実した練習やトレーニングができていました。コンディションは本当に良くて、いい成績を残せる自信がありました。でもコロナ禍で試合が立て続けに中止になり、どんどん不安ばかりが頭をよぎりました。日本ツアーがいつ始まっても大丈夫なように、ビザ更新のため4月に一日だけ日韓を行き来しました。それで韓国に戻ったら2週間の隔離……。部屋から出られない状況で軽い運動はしても、十分でないので、数カ月もかけて積み上げてきたコンディションは、すべて水の泡になりました。2020年は日本の試合に出たのは10月の「スタンレーレディス」からですが、やはり予選落ちという結果でした。

――海外の選手には難しいシーズンであったのは間違いありません。

 プロのアスリートなので、コンディションをベストの状態に上げて、試合に挑むというのはものすごく大事なことです。試合に出て結果を残すことで、自信も生まれます。ただ、そこにたどり着くために2週間の隔離では、モチベーションの維持が難しく、自信もそがれます。私だけでなく、他の海外選手たちも同じ悩みを抱えていたと思います。

――やはり日本での感染リスクへの不安は大きかったでしょうか?

 不安はありました。海外の選手が仮にコロナにかかった場合、病院に入院できるのだろうかという漠然とした不安があります。日本では一時期、病院のベッド数が足りないため、入院できない人がたくさんいるというニュースが流れていましたよね。そうしたことを聞くとさらに不安にならざるを得ませんでした。試合が終わったあとは飲食店も夜遅くまで開いていなかったので、ホテルで食事をとることも多かったのですが、そういうことが重なり、体力的な疲労感もありました。

――ツアー中はなかなか韓国に戻れない状況で、試合に出ない週はどのように過ごしていましたか?

 基本的にはホテルで過ごしていました。外出するにしても新型コロナの感染状況がよくなかったので遠出はできません。そうでなければショッピングしたり、おいしいものを食べに行ったりして気晴らしできたのですが、それも難しい。気持ちが晴れることはあまりなかったと思います。でも、そんな中でも感染に気を付けながら、東京の高尾山に登山に行きましたよ。それが唯一のリフレッシュだったのかも(笑)

今季はコロナ禍で思うような結果が残せずも、笑顔でのプレーは忘れていなかった(写真・KLPGA提供)
今季はコロナ禍で思うような結果が残せずも、笑顔でのプレーは忘れていなかった(写真・KLPGA提供)

「日本に来たのは大正解。大人になった」

――日本ツアーでの出来事を少し振り返ってもらいたいのですが、ツアー1年目の2015年に初優勝し、16年2勝、17年は3勝して共に賞金ランキング4位と賞金女王争いもしました。ただ、18年以降は未勝利で調子を落としていましたが、何が要因だったのでしょうか?

 2018年は賞金女王への重圧が不調の原因でした。16年と17年は賞金ランキング4位で、18年も期待されていたので、周囲からの声やメディアからも賞金女王を狙いますかと何度も聞かれていましたから、それを意識しだしてからゴルフがうまくいかなくなったんです。賞金女王は正直、シーズンがある程度経過しないと見えてこないのに、序盤からそうした質問をたくさん受けていたので、知らないうちにストレスになっていたんだと思います。競争するよりも楽な気持ちでゴルフがしたかったのですが、それができなかったのが不調の要因です。

――日本に来て7年目ですが、これまで通算6勝でそのうちメジャーも2勝。とてもいい思い出がたくさんあると思います。

 本当に年月が過ぎるのは早かったです。もう7年ですか…。それにコロナ禍で2年はなかったようなものですから、それこそ本当に日本でのツアー生活はあっという間でした。私のゴルフ人生において日本ツアーに来たのは、本当に正しい選択でした。もし日本に来ないで、そのまま韓国でプレーしていたら私のキャリアは短いものになっていたと思います。海外ツアーでプレーすることで、自身が成長する機会になりましたし、日本でたくさんの選手と出会い、たくさんのファンの方からも応援をしてもらいましたから、いい思い出がたくさん詰まっています。

――日本でも“スマイルクイーン”としてメディアに大きく取り上げられました。雑誌にもたくさん取り上げられましたし、写真集も出しましたね。

 それもいい思い出ですね(笑)。多くの方の力を借りて、日本でゴルフ以外にも様々な活動ができたのはすごくいい思い出です。

――一番、印象深い思い出はなんでしょうか?

 2015年のツアー初優勝もそうですが、勝った試合はすべていい思い出です。16年の最終戦のLPGAツアーチャンピオンシップリコーカップで勝てたこともうれしかったですし、2017年の2週連続優勝(サイバーエージェントレディス、ワールドレディスチャンピオンシップサロンパスカップ)もですね。韓国でも成し遂げたことがなかったので達成感がありました。あとは、多くの日本のファンの喜ぶ顔や姿を見るのがほんとうにうれしかったです。その光景は今も忘れられません。今週開催される試合は1日1000人と限られた数ですが、日本のギャラリーとファンの前でプレーできることはうれしいです。

――日本に来てから性格や考え方が変わったことがありますか?

 日本に来てからはちゃんと大人になりました(笑)。アマチュアの頃から両親が常に帯同してくれていたのですが、日本に来てからは何でも自分でやることが多くなったので、独り立ちできたことは自分にとってものすごい成長でした。一人で何でもやる自分を見て、両親は驚いていましたから(笑)。改めて親のありがたみを感じることができましたし、一人で考えて判断することが増えたので、そういう意味では人間的に大きく成長できましたね。

日本のみならず今も韓国で人気のキム・ハヌル(写真・KLPGA提供)
日本のみならず今も韓国で人気のキム・ハヌル(写真・KLPGA提供)

「日本の女子ツアーは7年前からガラリと変化」

――7年前の日本ツアーと比べて、全体的なレベルはどのように変わったと感じますか?

 私が初めて日本ツアーに来たとき、技術的な部分においてはうまい選手がたくさんいるなと感じました。ただ、若手の中で頭角を現す選手は少なかったように思います。当時は(イ)ボミや(申)ジエ、(アン)ソンジュ選手など韓国の選手たちがよく勝っていたので、「なぜ韓国の選手たちはこんなにゴルフがうまいのですか?」とよく聞かれました。韓国では子どもの頃から、ライバル関係がうまく作られる環境でメンタル面が強くなり、競争力がつくと思っていたのですが、今の日本の若い選手たちを見ていると似たような状況になっていると感じます。

――渋野日向子選手などの“黄金世代”や西村優菜選手など“プラチナ世代”といった多くの選手たちの間でいいライバル関係が作られているということでしょうか?

 その通りです。彼女たちのプレーを見ているとすごくメンタルが強いと思いますし、そんな選手がたくさんいればいるほど、「自分も勝ちたい」という勝負への意欲も強くなると思います。互いが刺激しあう関係性が、ツアー全体のレベルを底上げしていると思います。7年前とはガラリと雰囲気が変わりました。

――ツアーから引退したあと、どのような人生計画を立てていますか?

 今はやりたいことがたくさんあります。ツアーで戦っていたときは、それなりにストレスもありましたが、違う世界に飛び込んでももちろんうまくいかないことも多いでしょう。新しいことにどんどんチャレンジしていきたいと思っています。今のところは韓国でゴルフ番組などの出演や解説、将来的にはアカデミーを開いて後進の指導にあたりたいという考えもあります。もちろんコロナ禍が収束して、韓国と日本を行き来することができたら、積極的に日本でも活動したいと思っています。これだけ長く日本でプレーしたので、もっと活動範囲を広げていきたいです。

■キム・ハヌル

1988年生まれ、韓国出身。2006年にプロ入り。07年の韓国ツアー1年目にトップ10入り8回と活躍し、新人賞を獲得。08年に3勝して賞金ランキング3位。11、12年に2年連続賞金女王となる。愛称は“スマイルクイーン”。韓国ツアー通算8勝。2015年から日本ツアーに参戦し、「マンシングウェアレディース東海クラシック」でツアー初優勝。16年2勝、17年3勝しイ・ボミと共に日本ツアー人気をけん引。19年は賞金ランキング56位でシード圏外となったが、17年「ワールドレディスチャンピオンシップサロンパスカップ」優勝での3年シード付与で、20-21年シーズンもツアーに参戦。日本ツアー通算6勝。

今後は韓国と日本でゴルフ関連の仕事も続けていきたいというキム・ハヌル(写真・KLPGA提供)
今後は韓国と日本でゴルフ関連の仕事も続けていきたいというキム・ハヌル(写真・KLPGA提供)

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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