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「スターの登場を待つより作るほうが大事」鄭大世が語るJへの夢描いた“やべっちFC”がくれたモノ

金明昱スポーツライター
リモート取材で「やべっちF.C.」終了への熱い思いを語った鄭大世

 2002年4月からスタートした「やべっちF.C.」が今年9月、18年6カ月の幕を閉じた。

 Jリーグや海外サッカーの情報を発信し、サッカー少年に夢を与え、サッカーファンに愛された長寿番組。

 多くのJリーガーやファンに惜しまれつつ番組を終えたが、とりわけ同番組への熱い思いを自身のツイッターに書き込んでいたのが、元北朝鮮代表でアルビレックス新潟FWの鄭大世だ。

「やべっちF.C.を続けて欲しいと思うひとRT。Jリーグ、サッカーファンにとっても決して無くしてはならない天然記念物並の番組です。子供達の夢もここから生まれます」と。

 学生の頃から同番組を見て、Jリーガーになる夢を追い続けた鄭大世に改めて同番組への熱い思いを聞いた。

「ハットトリックを見られなかった寂しさ」

 番組が終わったのは本当に寂しいです。

 この前の試合(10月4日、第24節FC町田ゼルビア戦)でハットトリックして、普通だったら自分が点を取ったときとかは、少し遅くまで起きて「やべっちF.C.」を見て、全国の地上波に映るというあの興奮を味わう予定だったんです。

 でも番組がなくなったから、見れなくなって…。やっぱりそれは寂しいですよ。

 本当に番組に対する思いは今も昔も全く変わっていません。サッカーに対する思いと「やべっちF.C.」に出たいという情熱はもうイコールですから。

 確か自分がプロになる前の大学1~2年のときに、番組が始まったと思います。

 そこから、朝鮮大学校の寮にテレビを持ち込んで、「やべっちF.C.」は絶対に見ていましたし、当時、僕がJクラブの練習に参加しているときも、そのクラブの情報がテレビに出ていないかと、常にチェックしていました(笑)

 本当に僕は目立ちたがり屋なんで、自分の姿がチラっとでも出たらめちゃくちゃうれしかったんです。普段から学生がテレビに出ることなんてあり得ないじゃないですか。

 全国区のテレビに地上波で出るなんていうのが信じられないから、しらみつぶしに自分が出ないかな、出ないかなと心待ちにしてテレビにかじりついてるわけです。

 川崎フロンターレからプロになって、1年目のキャンプに行ったときも、キャンプの報告が「やべっちF.C.」に出ているときに、自分が映っていないか探していましたよ。

 でも結局、ジュニーニョ、(中村)憲剛さん、我那覇(和樹)さんとかが出るので、探していた自分が損をするという(笑)。もちろん先輩たちが出るのは当然なのですが、それくらい、自分がテレビに出られる興奮や希望を与えてくれたのが、「やべっちF.C.」でした。

今季、清水エスパルスからJ2のアルビレックス新潟に移籍した鄭大世(画像提供:アルビレックス新潟)
今季、清水エスパルスからJ2のアルビレックス新潟に移籍した鄭大世(画像提供:アルビレックス新潟)

モノマネスルーの“トラウマ”

 僕が「やべっちF.C.」にちゃんと出演したのは、番組内企画の「なべっちF.C.」(選手を招き、鍋をつつきながら進めるトーク企画)だったと思います。

 確か2008年に川崎で活躍していたときで、それで呼ばれたのか。テレビはほとんど出たことなかったので、すごく緊張したのを今も覚えています。もちろん今はもう全然、慣れましたけれども(笑)。

 当時はこんなことがありました。「なべっちF.C.」にはちょっとした台本があるんです。こういう流れっていうのをある程度、頭に入れておくわけですが、だいたいこういう質問をされるというのがあるから、その答えを用意しておきます。

 ただ、自分の中では「僕なりに考えたギャグ」があるのと、番組的には「こういうのを言ってくれたらうれしい」というのがあるわけです。

 こう見えて真面目だから、それを忠実に言うのですが、一方で少しは自分なりに答えたギャグも話すわけです。収録が終わって、帰って番組を見たら、それは一つも使われていなくて、向こうが用意した答えが使われるという……。やっぱりセンスがない(笑)。

 もう一つは、矢部(浩之)さんのモノマネなんか一度もやったことが無いのに、収録中に「矢部さんのモノマネができる」みたいな流れになっちゃって。

 「いや、いや、でも、できないです」と言っても、矢部さんが「いや、いいから、いいから、やって。もうすべってもいいから」とかやって、やったら何も無かったかのように次にスルーされました。

 これは今でもトラウマ、自己嫌悪です。超目立ちたがり屋で「フォワードだし当たって砕けろ!」と思いましたが、やっていいことと悪いことがある、ということを学びました(笑)。

鄭大世が考える“テレビ論”

 自分はFWなのでやっぱりゴールを決めてナンボ。テレビに出るためにも、ゴールを決めたいと思っていました。地上波なので、サッカーファンではない方が見る機会もあるかもしれない。

 そう考えた場合、地上波でのJリーグの番組は自分たちJリーガーにとっては、すごくありがたい番組でした。自分たちを世の中に知らしめるための“手綱”だったわけです。

 僕らのプレーを広い層に知ってもらうためには、メディアの力というのは絶対必要。最近は、インターネットやSNSの力が強いですが、決してそうじゃないと思っています。

 自分の世代はやっぱりテレビだし、地上波を見て育ちましたからね。

 今だったらYouTubeのほうが専門的な知識を見られたりして、同じものをテレビでやるとたぶん面白くないんでしょう。でも僕はテレビで育って、自分がアマチュアのときから見ていたテレビに出演するって、これほど気持ちのいいものはありません。

 例えばこの間、自分の恋愛話をテーマに扱ってくれた「ザ!世界仰天ニュース」(日本テレビ)が放送されたときも、自分が知っている芸能人が僕のことを知っていたりすると素直に嬉しかったりするんです。

「少しは有名になったかな」と指標を測れるのが、テレビだと思います。何度も言いますが僕は目立つのが好きなので、影響力のある媒体に出演するのが、一つの大きな目標。

 それが自分にとって大事なステータスだと考えたときに、「やべっちF.C.」がなくなったのは本当に損失が大きい。

 でもこれも現実で、悲しいかなSNSの力によってテレビ離れが加速しているということなんだと思います。

36歳になった今もゴールへの嗅覚は衰えていない(画像提供:アルビレックス新潟)
36歳になった今もゴールへの嗅覚は衰えていない(画像提供:アルビレックス新潟)

スターの登場を待つか、作るのが先か

 僕は朝鮮大学校サッカー部時代、スカウトの目にもつかない東京都リーグでプレーしていましたから、「プロになる」って言葉で言うのは簡単ですが、本当に険しい道でした。

 でも、現実的にJリーグに行くという目標があったし、昔からそういう番組を見るのが好きでした。

 スカパーでセリエAやプレミアリーグのハイライトを高校のときからたくさん見ていました。

 それが地上波で「やべっちF.C.」が始まって海外サッカーやJリーグのニュースを報じてくれるようになった。そういう舞台に憧れや現実味を持たせてくれた番組だったわけです。

 これから地上波で新たなサッカー番組が産声を上げるのを期待したいです。

 いまJリーグはこれ以上ないところまで盛り上がってきていると思います。元ドイツ代表の(ルーカス・)ポドルスキ(2017~2019年ヴィッセル神戸在籍)や元スペイン代表の(アンドレス・)イニエスタ(現・ヴィッセル神戸)が来て、世界的にも注目度の高いリーグになったと思います。実力と人気がイコールじゃないということなんだと思います。

 例えば、いまJ1で首位の川崎フロンターレみたいに、強いサッカーをしても素人は分からないと思います。だから結局は“スター選手”がいなきゃということなのかな。国内にスター選手がいなきゃ駄目なのかなと思います。

 それこそどっちが先なのかの話で、スターが出るか、スターを作るのかが先なのか。往々にして、僕は作るほうが大事だと思うんです。

 今のサッカー少年たちは、YouTubeを見る機会が多いと思います。テレビ局でやっていた企画を個人のYouTube番組でやっているという話もよく聞きますしね。

 広告媒体というのはたくさんあるので、SNS全盛の時代になって、テレビの代わりがYouTubeやTikTokになったというだけの話なんでしょう。

 ただ、僕のようにテレビが終わるのが寂しいと思っているのは、上の世代だけなのかなと思うと少し悲しくなります。

野球とサッカーの関係性

 今もスポンサードする側や団塊の世代の人たちには、やっぱり“野球世代”が多いんだと思います。野球へのスポンサーが大きいのは明白ですし、長い歴史と培われた伝統もあります。

 でもこれからはサッカーもどんどん力がついて、伝統を築いていけば、上にあがっていくと思います。実際に日本のサッカー人口も増えているので、そこはサッカー番組の“金字塔”だった「やべっちF.C.」は続けてほしかったです。

 ただ、テレビ局内のパワーバランスみたいなところを考えるとしょうがないのかなとか……。

 野球をライバル視するわけじゃありませんが、自分が携わるサッカーが痛手を被ると悲しくなります。もっとサッカーの将来性に賭けてもらいたかったな、というのが本音です。

 子どもたちは番組を見てプロサッカー選手に憧れて、選手は知られるからうれしい。そう考えると影響力の大きさを改めて感じます。子どもたちも、録画して見ている人が多くて、録画しておいて、朝起きて見ていますから。

 それくらいにJリーグに対する貢献度というのもすごく高かった。全てのサッカーファンは「やべっちF.C.」のお陰で幸せになれたというのはあると思います。幸せを運んでくれた使者じゃないけれども、天使のような存在と言っては大げさでしょうか。

FC町田ゼルビア戦でハットトリックを決めた時のボールを手に笑顔の鄭大世
FC町田ゼルビア戦でハットトリックを決めた時のボールを手に笑顔の鄭大世

番組に伝えたい感謝の気持ち

 僕が最後に言いたいのは、現役を辞める前に「やべっちF.C.」が終わってしまうというのがめっちゃ寂しいということです。番組があるうちに引退がしたかったという思いがあります。

 だからそれくらいに自分と密接に関係していましたし、番組のスタッフにもかなりかわいがってもらったのでなおさらです。

 自分が憧れていた番組に事あるごとに呼んでくれましたから。思えば2010年は南アフリカW杯に(北)朝鮮代表として出場して、ドイツのブンデスリーガや韓国のKリーグでもプレーして、JリーグではJ1をたくさん経験して、今自分の舞台はJ2です。カテゴリーが下がってきている状態です。

 でも「やべっちF.C.」に出るということは、全国区の選手という約束みたいなものなので、番組がなくなって、自分を証明する場所がなくなっちゃったなとも思うんです。かなり主観的ですが、それくらいの喪失感があります。

 でも、最後は矢部さんはじめ、スタッフのみなさんには本当にお疲れ様でしたと感謝の気持ちを伝えたいです。

 演者はそこまで大変ではなくて、スタッフが制作や企画をすべて考えていますから、そんな人たちにJリーグを盛り上げてくれてありがとうございました、と本当に感謝を述べたいです。

 日本のサッカーへの貢献度というのは、言葉では言い表せられないくらいに大きなものでした。

 最後はみんなが「やめないで」という、そのムーブメントが起きて、惜しまれながら終われたのはとても幸せなことだと思います。

 僕自身、もう36歳ですが、この間のハットトリックはキャリアの中ですごく大きいと感じています。相当なインパクトはあっただろうし、選手寿命が2年は延びたかな。

 自分も「やべっちF.C.」のように多くのファンに惜しまれる選手になれるよう、経験のあるベテランとして、これからも足跡を残していきたいです。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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