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家康はなぜ「南無阿弥家康」と書いたのか 「どうする家康」古沢良太の考え

木俣冬フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人
「どうする家康」より 徳川家康(松本潤) 写真提供:NHK

「独眼竜正宗」が好きだった中1の僕がおもしろがるようにと思って描いた。

なるべく違う解釈、でも史実は守る

大河ドラマ「どうする家康」(NHK)も残すところ2回。最終回まで書き終えた脚本家・古沢良太インタビュー後編は、果てしなく長い徳川家康(松本潤)の生涯を、これまでにない視点で書いたチャレンジを振り返ってもらった。「どうする家康」は家康の成長物語ではないと語る古沢。彼の書いた家康とはーー。

前編『大坂の陣。でも今、戦う武将をヒーローとして描けるだろうか。「どうする家康」古沢良太の選択』はこちら

「どうする家康」第25回  瀬名(有村架純)との別れ  写真提供:NHK
「どうする家康」第25回  瀬名(有村架純)との別れ  写真提供:NHK

――家康が一貫して瀬名(有村架純)を大事に思っていたのは、正室を彼女と旭以外持たなかった記録からですか。

古沢「そういう面もありますが、歴史上の重要なことではなくて、家康の人生にとって重要なことは何だろうかと考えると、たぶん、妻と子を、自分の手で葬らなくてはいけなかったことが最大であろうと思ったんです。従来だと、瀬名は悪女だったとか、家康と不仲だったとかいう解釈がされていますが、歴史に限らず、我々の日常生活でも、会ったこともない人をあの人はこういう人だと断言できないですよね。とくに歴史上の人物に対して、この人はこういう人だったと決めてしまいがちですが、続々と新しい史料が発見され、認識が更新されていきます。それでもどんな人だったかは決して僕らにはわからないし、歴史はいろんな解釈ができるから面白いということを提示したかったので、反論があるのは覚悟のうえで、瀬名を描きました。むしろ、こういう解釈が成り立つのか、成り立たないのか、議論が沸騰してくれたら、多分、それが一番、僕が望んでいたことで。そうすることでドラマも盛り上がるし、歴史の解釈の面白さということで、歴史好きの人が増えるかなと思ったんです」

――瀬名にネガティブな印象をつくらなかったうえ、家康の人生に瀬名が大きな影響を与えた(第25回)という解釈をしたところが「どうする家康」の目新しさのひとつでした。

古沢「家康の成し遂げた、戦のない時代を作るという偉業は当時としては、相当、信じがたい出来事だったと思います。その夢や目標を誰が家康に強烈に託したかというと、家康にとって最愛の人物――瀬名でなければならないとぼくは思いました。影響という点でいえば、三河一向一揆(第8回)も大きいと考えました。岡崎がまだまだ弱小だった頃、家康、自ら戦場に出て、物理的に死にかける体験は、人生において絶対に大きな出来事でしょう。しかも、続々と家臣に裏切られて、殺されかけるのですから。さらに、三方ヶ原での大きな敗北(第17、18回)。家康の人生に大きな影響を与えた体験をその3つにしました」

――「ドラマ作家として」という言葉がありました(前編参照)、ドラマ作家としての良さがいろいろ詰まったドラマでした。阿月の話(第14回)や夏目広次の話(第18回)など、古沢さん独自の見方がいろいろあって面白かったです。

古沢「金ヶ崎の戦いで、市があずきの袋で危険を知らせる逸話が残っています。それは後世のぼくのような人(作家)が作ったのでしょうから、現代のぼくが新しく創作してもいいんじゃないかと思って、阿月の話を描きました。ほかに、側室・お葉の話(第10回)はラブコメみたいな話を、瀬名奪還作戦(第5、6回)は忍者の話を、やりたかったんです。とくに、奪還作戦は、服部党がただ失敗するっていう、史実でないうえに何も進展しない回ではありましたが、あれで忍者たちの生き様が表現できて、描いていて面白かったです。第5回は加藤拓さんの演出で、ビジュアル的にもすごくおもしろくなりました。また、服部半蔵を山田孝之さんが演じてくださったことでキャラが膨らみ、活躍してもらいました」

「どうする家康」第10回より 写真提供:NHK
「どうする家康」第10回より 写真提供:NHK

――史実にないことを創作することが楽しかった?

古沢「これまでとはなるべく違う解釈にしたいと思ってはいましたが、なんでもありにならないように、史実は最大限守るという方針は自分に課しました。通説や逸話は必ずしも採用せず、なるべく新しい解釈にするけれど、いつどこで誰が何をしたかという史実に関しては、最大限守ろうと、考証の先生がたにもものすごく細かく見てもらうことにして、この日だと、この人は、◯◯の戦に参加している史料があるから、この場にはいませんということも全部守りました。自由な解釈で描いているように見えて、僕としてはめちゃくちゃ史実を守ったドラマだと思っているんです」

――鳥居元忠と千代の最期(第42回)は、戦って散っていく者の美学になっていますよね。

古沢「俳優さんは、ああいうシーンにやりがいを感じると思うので、がっつり演じていただこうと思って描きました」

――ほかに、家康が爪を噛むクセが、瀬名との思い出だった(第1回)ということも、なかなかない発想でよかったです。

古沢「そうですよね、僕もいいと思っていました」

――「どうする家康」の登場人物は敵味方の心理戦もあったからか、心情を多く語らないところも多かったですが、その塩梅はどう考えていましたか。

古沢「心情を語りはじめたら、演説大会になってしまいそうで……。偉人伝を書きたいわけではなく、人間を描きたいと思うと、人間とは常に確たる理想や夢のために生きているわけではなくて、心を揺れ動かしながら生きているはずで、自分の思っていることを理路整然と言えるわけでもないですよね。ぼくが描きたい人間らしさと、歴史上の事実を、すり合せようとすると、どうしても複雑な心情になって、セリフが長くなってしまう。だったら、この人の抱えている気持ちを想像してくださいという思いで描いていたところもありました」

――秀吉もこれまでにない、何を考えているのか捉えにくい人物になっていました。

古沢「あれはムロツヨシさんの演技で膨らんだ部分もあります。秀吉の、得体のしれないバイタリティと誰の懐にも入っていく厚かましさ、結局何を考えているかわからないおそろしさみたいな、なかなか台本で表現できないことを、ムロツヨシさんが演技でちゃんと表現してくださったことに感謝しています。台本をすべて書き終えて、最後のほうの撮影に行ったとき、ムロツヨシさんにお会いして、『秀吉、最高でした』と言ったら、『こわくて感想を聞けなかったんですよ』とホッとされました(笑)」

――秀吉の死後(第39回)、いわゆる大河的なムードになっていきますが、前半は、阿月やお葉のような、1話完結のゲストキャラのエピソードが多かったのは意識的なものですか。

古沢「そうですね、『ER緊急救命室』などの海外の連ドラで、突然読み切りみたいな回が入ってくるものが好きで、ああいうイメージでした。その回ぽっきりの、ゲストが主役で、レギュラーがあまり出ない回もあっていいんだろうなと思って。時間と体力さえあれば、もっといろんなことがやりたかったです」

――家康の人生が長すぎて、書かないといけないことがーー

古沢「多すぎました。いや、やらなきいけないと思われていることを、やらなくていいとぼくは思っていたから、後半、もっと飛ばそうと思っていたこともいっぱいあったのだけれど、やっぱり、みんながやってほしいと思っていることはやったほうがいいんだってことは、今回学びました(笑)」

――新しい大河をやられたわけですが、おなじみのエピソードという伝統を愛する方々の気持ちに接して、いかがでしたか。

古沢「いやでも、それを覚悟してはじめたことだし、賛否が飛び交うことが番組が盛り上がることだから、もっと激論してほしいと思いました」

――メンタルがお強い。

古沢「けなされたら嬉しくはないですけれど、ぼくらの仕事――エンターテインメントは、どんな形であっても、見て、盛り上がってくれることが一番です。それに、批判のほとんどは、わかっていることです。僕は、自分の作品に対して誰よりも厳しい批評家だとも思ってます」

影武者を匂わす構想も初期にはあったけれど……

――古沢さんが大河で家康をやるのなら、思いきり大胆に“影武者家康”みたいな発想にいくんじゃないかと、はじまる前は予想していたんです。でも史実は守ると決めていたとのことなので、そういう構想はまったくなかったんですね。

古沢「いや、ありました。影武者説ってありますよね。世良田次郎三郎という人が家康と入れ替わったという俗説が。それで、第1回の初稿には世良田の名前を出しているんですよ。入れ替わりはさすがにやらないけれど、そうなるんじゃないかと匂わせて、引っ張っていこうかとも思ったこともあったんです。でも、このドラマのテーマは、権力を求めてもいない家康が、それを背負う宿命に生まれてしまったがゆえに、多くの苦しみを浴びながらも、生き抜いていったという話だから、入れ替わったりしたらいけないと思って。テーマはちゃんとやろうと思い直したんです」

――確かに、「コンフィデンスマンJP」的な騙し合いの痛快感ではなく、「どうする家康」はヒューマンなところを大事にしていることを感じます。

古沢「家康の成長物語と思われますが、ぼくはそうは思っていないんです。成長ではなく、心の変化の物語です。背が伸びることなどは成長ですが、人間の内面的な変化を『成長』と呼ぶことをぼくは傲慢と思っていて。誰かにとってその人が都合のいいほうこうに変わったら、あいつは成長した、と言うけれど、都合の悪いほうに変化したら、だめになったと言う。でも、他者からどう見えたとしても、当人にとっては関係ないと思うんです。家康も様々な経験をして技術を手に入れたり戦術を考案したりすれば成長したことになるのかもしれないけれど、この物語の家康はそうではなくて、なにか大きな喪失や耐え難い挫折を経て変化している。それはぼくのなかでは、成長ではなく、心が壊れていっていることなんです。人間らしさや、彼本来の優しさや弱さ、そして幸せまで捨てて、その結果、みんなから、怪物のように怖れられ、あるいは、人を超えた神のように扱われる。でも、ほんとうの家康どういう人間だったのか、視聴者の皆さんは知っているよね、と。最後の撮影のとき、松本潤さんと話して、『家康ってかわいそうですね、自分で演じていてもかわいそうに思った』とおっしゃっていて。ここまでかわいそうな人になるとは、ぼくも思っていませんでした。天下をとってかわいそうと思われる家康は、たぶんいままでにないですよね。自分でも思っていた以上に、新しい家康像ができたと思います」

「どうする家康」より 悲しい経験を繰り返し心が壊れていく家康  写真提供:NHK
「どうする家康」より 悲しい経験を繰り返し心が壊れていく家康  写真提供:NHK

――歴史をベースに、想像が大きく広がった物語で、大人も子供も楽しめるものでした。子供が大人になって「『どうする家康』が大好きだった」と思い出すような、その後の人生に影響を受けるような、心に残るドラマでした。

古沢「子供に見てほしいというのは一番考えたことだったと思います。実際、たくさんの子供たちが見てくれていたと聞くのは一番うれしいことでした。ぼくがはじめて好きになった大河ドラマは『独眼竜正宗』で、当時、中1だったと記憶しますが、今回、想定した読者は、あのときの僕なんですよ。中1の僕がおもしろがるようにと思って描きました。そのへんの世代の人が見てくれていたらうれしいと思います」

――なんとなくのイメージですが、大河の脚本は、まず朝ドラを書いてから、というイメージがあり、古沢さんは朝ドラではなく大河を書いたこともおもしろいと思ったのですが朝ドラにご興味は?

古沢「どうかな、題材によりますよね」

――また大河を描きたいですか。

古沢「もしまたチャンスをもらえたら、もっと勉強を重ねて、技術的にも上達したところでまた挑みたい気持ちもあります。でも、この先また描くことがあったとして、そのときは『どうする家康』のような作品は二度と描けないでしょう。いまのぼくの力と体力だったからこそ生まれた、いましか描けなかった作品です」

――ところで、家康は「南無阿弥陀仏」と日課念仏を行い(第46回)、そのなかに「南無阿弥家康」と書いたものが残っているようですが(*偽物説もあり)、どういう気持ちで書いたと思いますか。(追記:第47回では「南無阿弥家康」と書いた)

古沢「実際、そう書いたものが残っているのですが、どういう気持ちだったんでしょうね。仏の代わりに自分の名前を書くわけだからなあ……。実在の家康の気持ちはわかりませんが、ドラマの家康は、乱世の亡霊たちが、自分と共に成仏してほしいという気持ちで書いたと思っています」

Ryota Kosawa
1973年、神奈川県生まれ。2002年、脚本家デビュー。主な作品に、ドラマ「リーガル・ハイ」シリーズ、「デート〜恋とはどんなものかしら〜」、「コンフィデンスマンJP」シリーズ、「外事警察」、「Q〜こどものための哲学」、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズ、「ミックス」、「エイプリルフールズ」、「探偵はBARにいる」、「レジェンド&バタフライ」、「映画ドラえもん のび太と空の理想郷(ユートピア)」などがある。

どうする家康
NHK総合 毎週日曜20:00~放送 BS、BSプレミアム4K 毎週日曜18:00~放送ほか
主演:松本潤
作:古沢良太
制作統括:磯智明
演出統括:加藤拓
音楽:稲本響

フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人

角川書店(現KADOKAWA)で書籍編集、TBSドラマのウェブディレクター、映画や演劇のパンフレット編集などの経験を生かし、ドラマ、映画、演劇、アニメ、漫画など文化、芸術、娯楽に関する原稿、ノベライズなどを手がける。日本ペンクラブ会員。 著書『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』『挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ』、ノベライズ『連続テレビ小説 なつぞら』『小説嵐電』『ちょっと思い出しただけ』『大河ドラマ どうする家康』ほか、『堤幸彦  堤っ』『庵野秀明のフタリシバイ』『蜷川幸雄 身体的物語論』の企画構成、『宮村優子 アスカライソジ」構成などがある

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