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ヤクルトの延長12得点で思い出す21年前の「初回13得点」

菊田康彦フリーランスライター
ヤクルトが1回に13得点を挙げた1998年4月22日のチケット(筆者撮影)

 東京ヤクルトスワローズが、4月10日に敵地マツダスタジアムで行われた広島東洋カープ戦の延長10回表に12得点を挙げ、15対3で大勝。延長戦における1イニング12得点は、プロ野球新記録となった。

 延長戦以外も含めた1イニングの最多得点記録は、2009年6月11日に千葉ロッテマリーンズが広島戦の6回に挙げた15得点。セ・リーグ記録は13で、これまで4球団がマークしているが、そのうちの1つがヤクルトだった。

今から21年前は1回裏に13得点

 その試合、1998年4月22日の中日ドラゴンズ戦は、筆者も球場で見ていたのでよく覚えている。まだ開幕から3週間弱という時期ながら、野村克也監督率いるヤクルトは、前日まで6連敗を喫して借金9で最下位。この日も高卒3年目でプロ初先発の宮出隆自が1回表に1点を失い、いきなりビハインドのスタートとなった。ところがその裏、ツバメ打線が火を噴く。

 改めて経過をたどってみよう。1死後、二番・真中満が中前打で出塁すると、三番・ライル・ムートンが四球で歩き、四番・古田敦也の二塁打で1対1の同点。さらに五番・土橋勝征のヒットで勝ち越し、六番・池山隆寛の四球で満塁となったところで、七番・馬場敏史がセンター前に2点タイムリー。

 続く八番・度会博文の時に、二塁走者の池山がけん制で飛び出して盗塁死となり、ツーアウト。ここで中日ベンチは度会を敬遠で歩かせるが、打席に入った先発の宮出がレフトフェンス直撃のタイムリーツーベースを放ち、中日の先発・今中慎二をノックアウト。宮出にとっては、これがプロ初安打&初打点となった。

 ヤクルトはさらに代わった山田貴志も攻めて、一番・飯田哲也、二番・真中が連続本塁打。ムートンが安打、古田は四球、土橋は2本目のタイムリーで、そこに池山の3ランでとどめを刺し、1イニング13得点という当時のプロ野球タイ記録を樹立した。4つの四球を挟んで10連続安打も、当時としてはプロ野球タイ記録だった。

プロ初安打・初打点・初勝利の宮出は現打撃コーチ

 自らも打者としてその輪に加わりプロ初勝利を挙げた宮出だが、6回途中までに9つの四球を与えて106球を要する苦しいピッチング(2失点)。大勝で連敗を脱出しながら、当時の野村監督のコメントは「まるで二軍戦」という手厳しいものだった。

 宮出はプロ通算6勝を挙げた後、野手に転向し、現在はヤクルトの一軍打撃コーチ。その宮出以外にも、この日のスタメンには現在はヤクルトのコーチになっている選手が2人いて、1人は五番・二塁の土橋(現一軍内野守備走塁コーチ)。

 もう1人は、実は先ほどの1回裏の攻撃に名前が出ていないのだが、七番・三塁でスタメンに名を連ねていた田畑一也である。プロでは一貫して投手で2度の2ケタ勝利を挙げ、現在はヤクルト一軍投手コーチの田畑がなぜ「三塁」だったのか? まだ予告先発がなかった当時は、相手の先発が右か左か定かでない場合、登板予定のない投手をいわゆる「偵察要員」としてスタメンに入れることがしばしばあったのだ。この日は相手の先発が左腕の今中だったため、プレーボールと同時に三塁には馬場が起用されている。

 あれから21年。当時の記録にあと1点まで迫った現在のツバメ打線の猛打を、ベンチの宮出コーチはどんな思いで見つめていたのだろうか。

(文中敬称略)

フリーランスライター

静岡県出身。小学4年生の時にTVで観たヤクルト対巨人戦がきっかけで、ほとんど興味のなかった野球にハマり、翌年秋にワールドシリーズをTV観戦したのを機にメジャーリーグの虜に。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身した。07年からスポーツナビに不定期でMLBなどのコラムを寄稿。04~08年は『スカパーMLBライブ』、16~17年は『スポナビライブMLB』に出演した。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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