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パイレーツ「日本ゆかりのルーキー」でセントルイスに散る

菊田康彦フリーランスライター

メジャーリーグ(MLB)で21年ぶりのプレーオフ出場を果たしたピッツバーグ・パイレーツが、10月9日(現地時間)に行われたナショナル・リーグ地区シリーズ第5戦でセントルイス・カージナルスに敗退。残念ながら、1979年以来となるポストシーズンでのシリーズ突破はなりませんでした。

昨年まで北米プロスポーツ史上ワーストの20年連続負け越しを喫していたパイレーツが、この不名誉な記録にようやくピリオドを打ったことは、以前のエントリーで紹介しました。

北米プロスポーツ史上最悪の「20年連続負け越し」にピリオド

その後もレギュラーシーズンでカージナルス、シンシナティ・レッズと三つ巴の争いを繰り広げたパイレーツは21年ぶり、そして中地区異動後では初の優勝こそ逃したものの、94勝68敗で地区2位に食い込み、ワイルドカードでプレーオフに出場。同地区3位ながら同じくワイルドカードでプレーオフ出場権を得たレッズと、第1ラウンドに当たる「ワイルドカード・ゲーム」で対戦しました。

宿敵レッズに23年ぶりのリベンジ

パイレーツとレッズは今でこそ同じナ・リーグ中地区ですが、ともに絶頂期にあった1970年代にはパイレーツは東地区、レッズは西地区で、4度にわたってプレーオフ(リーグ優勝決定シリーズ)で激突したライバル同士。最後にプレーオフで対戦した1990年のリーグ優勝決定シリーズでは、パイレーツはバリー・ボンズとボビー・ボニーヤのBB砲を擁しながら2勝4敗でレッズに敗れましたが、今年は一発勝負のワイルドカード・ゲームでレッズを下し、23年ぶりのリベンジに成功しました。

続く地区シリーズの相手は、同地区優勝のカージナルス。初戦は大敗したものの、第2戦、第3戦と連取して、リーグ優勝決定シリーズとワールドシリーズに勝った1979年以来となるポストシーズンでの「シリーズ」突破に王手をかけました。ところが第3戦に続いて地元ピッツバーグで行われた第4戦は、接戦の末に1対2で敗戦。2勝2敗のタイとなり、勝負の行方は敵地セントルイスでの第5戦に委ねられました。

「運命のマウンド」は来日2度のコール

運命のマウンドを託されたのは、日本にも少々ゆかりのある投手でした。その名はゲリット・コール。2009年の日米大学野球で来日して法政大の二神一人(現阪神)、早稲田大の斎藤佑樹(現日本ハム)と投げ合い、翌2010年の世界大学野球でも再び日本の土を踏んで、決勝のキューバ戦で7回無失点と好投した右腕です。当時、ニューヨーク・ヤンキースのドラフト1巡指名を蹴ってカリフォルニア大ロサンゼルス校に進学したことで話題になっていましたが、2011年のドラフトで今度は全米1位指名を受けてパイレーツに入団。今年6月にメジャーデビューすると、先発ローテーションに入って10勝7敗、防御率3.22の好成績を残しました。

この日も初回に速球が100マイル(約161キロ)に達するなど立ち上がりは悪くなかったコールですが、2回に2死から四球を与えたところで7番のデービッド・フリースに2ランを浴びたのが響きました。気合の入ったピッチングで、6回表に代打を送られるまで追加点は与えませんでしたが、パイレーツ打線は第1戦でも勝利投手になっていたカージナルスの先発、アダム・ウェインライトの前に、1点を返すのが精一杯。リリーフ陣が6回、8回に失点し、34年ぶりのシリーズ突破は幻となりました。

それでもパイレーツのクリント・ハードル監督は、試合後に「われわれは今年、この球団の誇りと情熱を取り戻すという意味で大きく前進した」とコメント。この経験を糧に、来年はさらなる高みを目指して「ピッツの海賊」の航海は続きます。

フリーランスライター

静岡県出身。小学4年生の時にTVで観たヤクルト対巨人戦がきっかけで、ほとんど興味のなかった野球にハマり、翌年秋にワールドシリーズをTV観戦したのを機にメジャーリーグの虜に。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身した。07年からスポーツナビに不定期でMLBなどのコラムを寄稿。04~08年は『スカパーMLBライブ』、16~17年は『スポナビライブMLB』に出演した。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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