「球数を少なくしろとは言えないですよね」 日ハム吉井投手コーチから見た夏の甲子園

NPBきっての理論派として知られる吉井理人投手コーチ(筆者撮影)

 第100回を迎えた夏の甲子園大会は、秋田県勢として103年ぶりに決勝進出を果たした金足農業が日本中の関心事となった。中でもエースの吉田輝星投手が県予選、本大会を通じて1517球を投げてきたこと、また記録的な猛暑にもかかわらず全試合を先発9選手で戦い抜いたことが、賛否両論入り乱れた大論争へと発展するに至っている。

 果たして筑波大学大学院でコーチ学を学び、現在NPBきっての理論派として知られる日本ハムの吉井理人投手コーチは、今年の大会をどう捉えているのだろうか。

 「これは本当に難しい問題だと思います。ただ指導者として球数を少なくしろとは言えないですよね。(選手たちは)子供なのでどこまで自分の将来を考えているか分からないですけど、あの年代では甲子園が最大の目標なので、(甲子園出場経験のある)自分自身もここで野球ができなくなってもいいやと、そのくらいの思いで投げてました。なかなか(途中で)止めろとは言えないですね。

 (もしコーチ自身が公立校で指導する立場になったとしたら)ピッチャーがいなかったら仕方ないですよね。公立なのでどんな子が入ってくるかも分からない。本当にピッチャーが1人しかいなかったら、甲子園を目指して勝とうと思うとピッチャーを投げさせてしまうので…。日本における甲子園というバックグラウンドを考えてしまうと、なかなか一気に変えられることではないと思いますね。

 本当なら大会をトーナメントじゃなくてリーグ戦にした方が絶対にいいと思うんですよ。そうすれば負けても試合ができるはずですから。トーナメントでやっている以上どうしても勝たなきゃいけないので、必然的にそういう戦略になってしまいますよね」

 もちろん吉井コーチは短期間での登板過多が及ぼす投手のリスクを十分に把握しているが、自身もエースとして甲子園出場経験があることで甲子園球児の投手心理も痛いほど理解している。長年日本に文化として根付いている高校野球だけに正論が常に正しいとは言えない世界であり、また視点をどこに置くかで正論自体も変わってしまう。例えば今回の吉田投手のように1人の投手だけに投げさせ続ける上で、指導者からの強制がどの程度あるかについても、見方次第で正当性が変わってくる。

 「指導者から『大丈夫か?』と聞かれれば、選手は『絶対にいく』と言いますから。

 自分の場合も県予選を1人で投げて、甲子園で3回戦までいって最後の1イニングだけ後輩が投げましたけど、それまで全部1人で投げてました。でも(甲子園の)3試合目の時は本当に肩が上がらなくて自分の球が投げられない状態だったんです。

 なので試合前に監督に相談に行ったんですけれども、『ここまでお前で来たんだからいけ』と言われたので、そうだなと思ってめちゃ痛かったけど投げましたもんね。その後プロに入っても1年半くらい肩が痛くて、投げてはいましたけど自分のパフォーマンスは出せなかったです」

 現在の環境の中で高校野球が続く限り、これからも吉田投手のような選手が現れることになるだろう。だが甲子園で“激投”を演じた投手の中には、期待を集めながらプロの世界に飛び込んだものの肩やヒジに問題を抱え苦しんでいる選手が存在しているという現実がある。指導者として投球障害を未然に防ぐ対策はないのだろうか。

 「今では医学の観点から投球障害についていろいろ研究されているんですけれども、大人になって故障になる原因のほとんどが小学校、中学校でやっている(故障から来ている)らしいんですよ。高校野球もそうなんですけど、もっと下の年代から投球制限なり、故障予防について指導者が知るべきじゃないと思っています。そして高校に入ったら医学の力を借りてヒジや肩の状態をチェックしていきながら投げさせていくしかないのかなと思いますね」

 現状では高校野球で短期間の登板過多を無くすことはほぼ不可能だ。それならば指導者がこれまで以上に積極的に選手の体調管理に乗り出していくことが求められる。その上で吉井コーチが指摘するように、医学などの専門家の介入も必要になってくるだろう。

 さらに吉井コーチは高校野球だけで捉えるのではなく、アマチュア野球全体で何らかの対策を講じていくべきだとも訴える。

 「各年代で次に繋がる指導をしていかないといけないと思います。一応アマチュア野球の最大の目標は甲子園大会が最大の目標になっているじゃないですか。そこに繋げてどう持っていくかというのを小学校、中学校から考えてもらいたいなと思いますし、その後高校になっても考えるのならば、高校の指導者も選手の将来性や、さらに上を目指したいという彼らの意思を確認しながら加減していくしかないんでしょうね」

 一概にアマチュア野球といっても、現在は各年代の指導者がバラバラに指導している状態だ。本来なら吉井コーチが指摘するように、お互いが関連していきながら選手を育成する環境が重要なはずだ。何とかアマチュア球界が一体化し、選手育成で意思統一できないものだろうか…。

《吉井理人氏略歴》

1965年生まれ。和歌山県立箕島高等学校卒業。84年、近鉄バファローズに入団し、翌85年に1軍投手デビュー。88年には最優秀救援投手賞のタイトルを獲得。

95年、ヤクルトスワローズに移籍、先発陣の一角として活躍し、チームの日本一に貢献。97年オフにFA権を行使して、メジャーリーグのニューヨーク・メッツに移籍。98年、日本人メジャーリーガーとして史上2人目の完投勝利を達成。99年には、日本人初のポストシーズン開幕投手を担った。2000年はコロラド・ロッキーズ、01年からはモントリオール・エキスポスに在籍。03年、オリックス・ブルーウェーブに移籍し、日本球界に復帰。07年、現役引退。

08~12年、北海道日本ハムファイターズの投手コーチに就き、09年と12年にリーグ優勝を果たす。15年、福岡ソフトバンクホークスの投手コーチに就任して日本一に、15年は北海道日本ハムファイターズの投手コーチとして日本一に輝く。

また、14年4月に筑波大学大学院人間総合科学研究科体育学専攻に入学。16年3月、博士前期課程を修了し、修士学(体育学)の学位を取得。現在も研究活動を続けている。(2018年3月に上梓した『吉井理人 コーチング論』(徳間書店)より引用)

1993年から米国を拠点にライター活動を開始。95年の野茂投手のドジャース入りで本格的なスポーツ取材を始め、20年以上に渡り米国の4大プロスポーツをはじめ様々な競技のスポーツ取材を経験する。また取材を通じて多くの一流アスリートと交流しながらスポーツが持つ魅力、可能性を認識し、社会におけるスポーツが果たすべき役割を研究テーマにする。2017年から日本に拠点を移し取材活動を続ける傍ら、非常勤講師として近畿大学で教壇に立ち大学アスリートを対象にスポーツについて論じる。在米中は取材や個人旅行で全50州に足を運び、各地事情にも精通している。

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