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なぜ日本の物価は上昇しないのか

小黒一正法政大学経済学部教授
(写真:ロイター/アフロ)

政治の要請により、携帯電話の大手キャリアは、その通信料の大幅な引き下げが可能になる新料金プラン(2021年3月から開始)を導入したが、総務省は同年4月の調査から消費者物価指数(CPI)に反映させる意向であり、今後における物価の下落要因となると思われる。

このような状況のなか、先般(2021年4月27日)、日銀は定例の金融政策決定会合を開催した。この決定会合では、コロナ禍での大規模な金融緩和の継続を明らかにしたが、2023年度の物価見通しが1%に留まる可能性も新たに公表した。

この1%の見通しは、2023年4月で任期が終了する日銀の黒田総裁の任期中に、異次元緩和の目標であった2%の物価目標が達成不可能となったことを意味する。

このため、金融政策決定会合後の記者会見では、黒田総裁に対し、現状に対する質問が集中した。黒田総裁は、「(2%の物価目標が達成できないことにつき、)時間がかかっており、そのことは残念だ」等の発言があったが、なぜ日本の物価は上昇しないのか。

筆者は異次元緩和が始まった当初から、日本の物価は構造的な問題であり、大規模な金融政策のみで2%の物価目標を達成することは難しいことを様々な書籍やコラムで公表してきた。この理由を改めて確認し、日本の物価を上昇させるためには何が必要か簡単に再考してみよう。

まず、重要なファクトの一つは、過去のインフレ率(消費者物価指数)の推移を見ると、1989年は消費税の導入が物価を1.4%ポイントも押し上げているものの、日本中の景気が過熱したバブル期(1986年~1989年)においても、その年平均インフレ率は0.6%に過ぎなかったためである。

また、1990年・91年は湾岸戦争、97年は消費税増税、2008年は原油価格高騰の影響があり、これらの要因を除くと、平時にインフレ率が2%を超えたのは1985年が最後である。

では、日本の物価で何が構造的な問題なのか。それは、アメリカと日本の物価上昇率の違いを比較すると理解できる。このため、以下の図表は、2019年8月における日米の物価上昇率の中身を比較したものである。図表の左側が「財(モノ)全体」の物価上昇率、右側が「サービス全体」の物価上昇率を表す。

これから何が読み取れるのか。まず、左側(財(モノ)全体の物価上昇率)のうち、テレビ(②)のほか、電話機器等(④)や玩具(⑦)・婦人洋服(⑧)・ガソリン(⑪)は、アメリカの方がデフレだという事実である。例えば、テレビ(②)は日本で0.2%の物価上昇にもかかわらず、アメリカは▲20.2%も物価が下落している。

電話機器等(④)も日本は0.2%の物価上昇だが、アメリカは▲14.2%も下落しており、耐久消費財の物価上昇率は日本が1.5%なのに、アメリカは0.6%しかない。このため、財(モノ)全体では、日本が0.3%の物価上昇率であるにもかかわらず、アメリカは0.2%しか物価が上昇していない。

しかしながら、財(モノ)全体とサービス全体を考慮した物価上昇率は異なる。図表の右下には、消費者物価指数の「総合」の物価上昇率を掲載しているが、この物価上昇率ではアメリカは1.7%の物価上昇率であるのに対し、日本は0.3%しか物価が上昇していない。

この「総合」から、食品やエネルギーの影響を除いた、「総合(除く食品・エネルギー)」の物価上昇率でも、アメリカが2.4%であるのに対し、日本は0.6%しかない。

この原因は単純で、図表の右側のとおり、サービス全体の物価上昇率において、アメリカが2.7%も物価が上昇しているにもかかわらず、日本は0.2%しか上昇していないためである。レストランでの外食(⑮)・洗濯代(⑯)・理髪料(⑰)のほか、鉄道運賃(㉑)や住居家賃(㉗)・帰属家賃(㉘)の影響もあるが、筆者が最も重要だと考えるのは、政府による価格統制の影響である。

特に重要なのは、上下水道(㉒)・保育所保育料(㉓)・介護料(㉔)・大学授業料(㉕)・病院サービス(㉖)である。アメリカの上下水道(㉒)の物価上昇率は3%、保育所保育料(㉓)は2.7%、介護料(㉔)は2.8%、大学授業料(㉕)は2.5%であり、病院サービス(㉖)の価格は2.1%も上昇している。

このうち、アメリカの医療制度は日本と比較して自由度が高く、低所得者や高齢者以外の国民は民間の医療保険に加入しており、それらの領域において政府が医療の価格に介入することは基本的にない。また、ハーバード大学やコロンビア大学といった大学授業料についても、アメリカの政府は基本的に規制をしていない。

他方、アメリカと異なり、日本ではこれらの領域は政府の価格統制が強い。例えば、医療では診療報酬制度が存在し、原則1点10円で、公的保険に収載されている全ての診療・治療行為などについて点数(公定価格)が定められている。介護でも介護報酬の制度があり、国立大学の授業料も政府が上限を定めている。

この結果、日本における上下水道(㉒)・保育所保育料(㉓)・介護料(㉔)・大学授業料(㉕)・病院サービス(㉖)の物価上昇率は0.5%未満となっており、日本のサービス全体の物価上昇率は極めて低い水準に留まっている。これらは、上下水道(㉒)を除き、保育・社会保障・教育に関する領域であることも注目に値する。

このファクトから分かることは、日本の低インフレやデフレは金融政策の問題ではなく、政府の価格統制などによる構造的な問題(携帯電話の通信料引き下げの政治的要請を含む)であり、この問題に切り込まない限り、2%の物価目標を達成することは難しいことを意味する。

すなわち、日本の物価上昇率を引き上げるためには、サービス産業の構造改革が必要であり、例えば、混合保育・混合医療・混合介護などの推進で、これら分野における政府の価格統制を弱める必要があろう。

法政大学経済学部教授

1974年東京生まれ。法政大学経済学部教授。97年4月大蔵省(現財務省)入省後、財務総合政策研究所主任研究官、一橋大学経済研究所准教授等を経て2015年4月から現職。一橋大学博士(経済学)。専門は公共経済学。著書に『日本経済の再構築』(単著/日本経済新聞出版社)、『薬価の経済学』(共著/日本経済新聞出版社)など。

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