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2019年・財政検証が示す年金改革の課題 ~ 政治主導で新たな「改革の哲学」を示せ ~

小黒一正法政大学経済学部教授
(写真:ペイレスイメージズ/アフロイメージマート)

年金財政の持続可能性を確認するため、政府は少なくとも5年に一度、その健康診断に相当する「財政検証」を実施し、その内容の公表が法律で義務付けられている。2019年10月に消費税率が10%に引き上げられる予定だが、年金財政の持続可能性を高めるための主な政策手段は2つしかない。一つは増税や保険料の引き上げであり、もう一つは給付の削減である。

このうち、給付の削減については、2004年の年金改革によって「マクロ経済スライド」などが導入された。マクロ経済スライドとは、そのときの社会情勢(現役世代の人口減少や平均余命の伸び)に合わせて、年金の給付水準を自動的に調整する仕組みをいう。

2004年の年金改革では、この仕組みにより、当時59.3%であった年金の所得代替率(現役男性の平均的な手取り収入に対するモデル世帯での年金の給付水準の割合)を約50%にまで削減する予定だったが、マクロ経済スライドが予定通りに発動できず、2014年で所得代替率は62.7%まで上昇してしまった。予定通りの年金額の削減が漸次進まないと、年金財政の均衡を図るため、将来の年金額を一層削減せざるを得なくなる。場合によっては50%を割り込む可能性もあるが、所得代替率が次の財政検証までに50%を下回ると見込まれる場合は制度改正を義務付けている。

このような状況の中、先般(2019年8月27日)、2019年「財政検証」が5年ぶりに公表された。5年前(2014年)の財政検証では8つのシナリオで検証したが、2019年の財政検証では、ケース1からケース6の6つのシナリオで検証を行っている。

このシナリオのうち、高成長(2029年度以降の実質GDP成長率が0.4%~0.9%)を前提とする3ケース(ケース1~3)では、現在61.7%の所得代替率は50.8%~51.9%に低下し、約30年後の給付水準は約2割減となることを明らかにした。

また、低成長(2029年度以降の実質GDP成長率が0.2%~▲0.5%)の3ケース(ケース4~6)では所得代替率が50%を下回り、最も厳しいケース6では、国民年金の積立金が2052年度になくなり完全な賦課方式に移行するとともに、所得代替率が36%~38%程度になり、2050年代に給付水準が約4割減になる可能性を明らかにした。

老後2000万円問題で話題となった金融庁の報告書では、月額19万円の公的年金を受け取る前提としていたが、年間で約230万円(=19万円×12か月)の年金を受け取れるのは比較的裕福な高齢者に限られる。高齢夫婦2人で年間230万円ということは、その一人当たりの平均は約115万円もの金額になる。

しかしながら、厚生労働省「年金制度基礎調査(老齢年金受給者実態調査)平成29年」によると、現在でも、年間120万円未満の年金しか受け取れない高齢者は46.3%、年間84万円未満の年金しか受け取れない高齢者は27.8%もいる。現在65歳以上の高齢者のうち約3%が生活保護を受給しているが、現実のシナリオが最も厳しいケースとなり、公的年金の給付水準が4割減になる場合、これから貧困高齢者が急増する可能性が高まるため、その対応を検討する必要がある。

では、各シナリオが実現する確率はどうか。将来を正確に予測することは誰にもできないため、厚労省の資料では、「財政検証の結果は、人口や経済を含めた将来の状況を正確に見通す予測(forecast)というよりも、人口や経済等に関して現時点で得られるデータを一定のシナリオに基づき将来の年金財政へ投影(projection)するもの」という説明がされている。

この関係で、今回の財政検証で注目されるのは、参考資料として、実質GDP成長率の予測等に影響し、各シナリオの前提となる重要な変数(例:全要素生産性(TFP)の上昇率)が、過去データに基づく度数分布(ヒストグラム)のどこに位置付けられるかを初めて明らかにしたことである。

今回の検証では、2029年度以降のTFP上昇率について、1.3%のケース1、1.1%のケース2、0.9%のケース3、0.8%のケース4、0.6%のケース5、0.3%のケース6という6ケースのシナリオを設定しているが、例えば、TFP上昇率が0.9%のケース3はどうか。

まず、TFP上昇率に関する過去30年間(1988~2017年度)の実績分布でみると、この分布のうちTFP上昇率が0.9%以上になる割合は63%になっており、ケース3の0.9%は約 6 割(63%)をカバーするシナリオになっている。いま、今後のTFP上昇率の分布が過去30年間の分布と変わらないと仮定すると、ある年度のTFP上昇率が0.9%以上となる確率は63%となる。

しかしながら、これはケース3のシナリオが63%の確率で実現することを示すものではない。理由は単純で、ケース3の前提では2029年度以降のTFP上昇率が毎年度0.9%以上であることを要請するものだが、1年でもTFP上昇率が0.9%を下回ればケース3の前提を満たさないためである。

これは次のような簡単なケースで明確に分かるはずだ。1年目のTFP上昇率が0.9%以上で、2年目のTFP上昇率も0.9%以上である確率はいくつか。数学のテストで、図表を見ながら、「63%の確率」と回答する学生がいるならば、その学生は「落第」である。各年度におけるTFP上昇率の確率変数が独立とすると、39.7%(=0.63×0.63)が正しい確率になる。

すなわち、図表の63%という値は、ある年度におけるTFP上昇率が0.9%以上となる確率を示すが、2029年度以降のTFP上昇率が常に毎年度0.9%以上である確率を示すものではない。

では、今後のTFP上昇率の分布が過去30年間のものと変わらず、毎年度におけるTFP上昇率の確率変数が互いに独立とするとしよう。このとき、2029年度以降の50年間のうち35年以上にわたってTFP上昇率がケース3の0.9%以上となる確率を計算してみると、その確率は19.1%となる。同様に、他のケースも試算した結果が図表の下段である。

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図表から一目瞭然であるが、ケース1からケース3のシナリオが想定するTFP上昇率の経路が実現する確率は極めて低く、慎重なシナリオであるケース4・ケース5・ケース6を想定するのが妥当な可能性を示唆する。後者は今回の財政検証で所得代替率が50%を下回るケースだが、それは今後における低年金の貧困高齢者の急増を意味する。

この問題に、我々はどう対処すればよいのか。年金分布という視点を抜きに、モデル世帯の所得代替率のみに着目して年金の議論を進めるリスクは、これから急増する低年金の貧困高齢者の存在を無視してしまうことである。モデル世帯の所得代替率を議論しても意味がない。

この問題は、「平成 26 年財政検証・財政再計算に基づく公的年金制度の財政検証(ピアレビュー)」の「今後の財政検証への提言」においても、「近年、低年金者の問題が取り上げられる機会が多くなっている。また、マクロ経済スライドの導入後、将来世代の受け取る年金額にも関心が集まるようになっている。したがって、財政検証における将来見通しにおいて、本来の財政検証の目的とは別に、性別、 世代別、年金額階級別の分布推計がとれるようになることが望ましい」旨の指摘がなされている。

すなわち、財政検証では、10年後、20年後、30年後、50年後の年金分布がどう変化していくかを明らかにし、その時の現役男性の平均年収と比較して、限られた予算や生活保護との関係を含め、低年金の高齢者をどう救済するかを議論する必要がある。いま基礎年金の国庫負担は所得や資産の高低に依らずに投入されているが、その際に求められるのは、社会保障・税の一体改革バージョン2.0の検討を行い、公費は本当に困っている人々に集中的に投下するといった新たな「改革の哲学」を政治主導で示すことであろう。

法政大学経済学部教授

1974年東京生まれ。法政大学経済学部教授。97年4月大蔵省(現財務省)入省後、財務総合政策研究所主任研究官、一橋大学経済研究所准教授等を経て2015年4月から現職。一橋大学博士(経済学)。専門は公共経済学。著書に『日本経済の再構築』(単著/日本経済新聞出版社)、『薬価の経済学』(共著/日本経済新聞出版社)など。

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