Yahoo!ニュース

漫画界のレジェンドが半生を描いた『あしあと ちばてつや追想短編集』、漫画史に残る“重大事件”を収録!

加山竜司漫画ジャーナリスト
小学館『あしあと ちばてつや追想短編集』ちばてつや 販売ページより

巨匠ちばてつや23年ぶりの短編集

ちばてつやといえば『あしたのジョー』(原作:高森朝雄)や『あした天気になあれ』、『のたり松太郎』など数々のヒット作を世に放ったマンガ界の巨人である。そんなレジェンド・ちばてつやの、23年ぶりとなる短編集『あしあと ちばてつや追想短編集』が4月30日に刊行された。

マンガ史に残る一大事件

この短編集の目玉といえるのが『トモガキ』だ。

講談社「少女クラブ」に『ママのバイオリン』を連載していた20歳当時のちばは、1959年4月号の別冊付録を執筆中、ふざけて担当編集氏に「電気アンマ」(相手の急所を踏みつけてぐりぐり揺らす遊び)を仕掛けた。すると、揉み合ったはずみで窓ガラスに頭から突っ込み、右手の中指や小指を動かす腱が切れるという、作家生命が危ぶまれるほどの大怪我を負ってしまう。

「少女クラブ」編集長の丸山昭はトキワ荘にちばの下描き原稿を持ち込み、石森章太郎(のち石ノ森)や赤塚不二夫らが代筆するのであった。ちばはこのときの原稿を「ボクの一番の宝物」(『トキワ荘実録 -手塚治虫と漫画家たちの青春-』丸山昭)と公言している。

「ちばてつやが大怪我をしてトキワ荘グループが代筆した」との逸話はそれ以前にも語られていたが、怪我の理由は「寝不足で窓ガラスに突っ込んだ」とか「実弟(ちばあきお)とのプロレスごっこ」と濁されてきた。

その原因が「電気アンマ」という、あまり印象のよろしくない“悪ふざけ”であったとの真相が、当事者であるちばてつや本人によって赤裸々に明かされたのが『トモガキ』である。

本作は「ヤングマガジン」の2008年49号(11月17日号)と50号(11月24日号)に前後編にわかれて掲載されたが、以来、単行本に収録されることはなかった。今回が初めての単行本収録だ。

また、この『トモガキ』は、2008年8月2日に赤塚不二夫が亡くなった直後に執筆されたものであり、赤塚への追悼の意味合いが込められた特別な作品であったことも付言しておきたい。

なお、この代筆エピソードは藤子不二雄A『愛…しりそめし頃に…』の「きずな」(「ビッグコミックオリジナル増刊 2012年5・12増刊号」/単行本12集収録)にも描かれた。こちらは「事実に基づくフィクション」なので、代筆者などに脚色が施されている。この機会に『トモガキ』と読み比べてみるのも面白いだろう。

名作『のたり松太郎』誕生秘話

本短編集には、4月9日発売の「ビッグコミック」2021年8号(4月25日号)に掲載されたばかりの『グレてつ』も収録されている。

この作品では、1973年に『あしたのジョー』連載終了から『のたり松太郎』連載開始までの期間が題材となっており、松太郎という破天荒なキャラクターがどのように誕生したのか、非常に興味深い創作秘話が明かされている。

私が2018年にちばてつやにインタビューする機会に恵まれた際には、合間の雑談中、「松太郎のモデルは落語『らくだ』」と教えてくれたことを思い出す。

松太郎の弟弟子・駒田中は普段はおとなしいが、酒が入ると豹変するあたりは、「らくだ」の丁の目の半次と屑屋のやりとりを彷彿とさせる。

2000年以降に描かれた自伝的読み切り作品は、掲載当時のカラーを含めて完全収録された『あしあと ちばてつや追想短編集』。マンガ史を紐解くうえでも、欠かすことのできない必携の一冊といえるだろう。

(文中敬称略)

漫画ジャーナリスト

1976年生まれ。フリーライターとして、漫画をはじめとするエンターテインメント系の記事を多数執筆。「このマンガがすごい!」(宝島社)のオトコ編など、漫画家へのインタビューを数多く担当。『「この世界の片隅に」こうの史代 片渕須直 対談集 さらにいくつもの映画のこと』(文藝春秋)執筆・編集。後藤邑子著『私は元気です 病める時も健やかなる時も腐る時もイキる時も泣いた時も病める時も。』(文藝春秋)構成。 シナリオライターとして『RANBU 三国志乱舞』(スクウェア・エニックス)ゲームシナリオおよび登場武将の設定担当。

加山竜司の最近の記事