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NYT紙が報じたイラン人核科学者の暗殺作戦の詳細:モサドが機関銃ロボットの狙撃を衛星経由で遠隔操作

川上泰徳中東ジャーナリスト
2020年11月、モスクに運ばれる暗殺されたファフリザデ博士の棺(写真:ロイター/アフロ)

 米紙ニューヨーク・タイムズ(NYT)は18日付電子版で、イランの核開発で中心的な役割を担い“イランの核兵器の父”と呼ばれた科学者モフセン・ファフリザデ博士が2020年11月に銃撃されて暗殺された事件について、イスラエルの対外情報機関「モサド」が人工知能(AI)を備えた高性能なロボット兵器を使って遠隔操作で実行したとして作戦の詳細を特報した。記事は米国、イスラエル、イランでの取材によるという。

 事件については2021年2月に英国のユダヤ人社会で広く読まれている週刊新聞「ジューイッシュ・クロニクル」(JC)が暗殺作戦の詳細を「世界的な特ダネ」として報じていた。今回のNYTの報道と共通する部分も多い。米国政府の情報も入っているNYTの記事と併せて読むことで作戦の背景が見えてくる。

■モサド長官と米高官が準備の会合

 NYTは暗殺作戦について当時のネタニヤフ政権が米国のトランプ政権と話し合いを持ったことを伝えている。

 「イスラエルによるファフリザデ博士の暗殺作戦の準備は、2019年末から2020年初めにかけて、当時のモサド長官のヨシ・コーヘン氏と、トランプ大統領、ポンペオ国務長官、ハスペルCIA長官を含む米国の高官との間で連続した会合を持った後に始まった」

 「モサドが暗殺作戦を実施するとすれば、戦争に発展する可能性もあることから、イスラエルは米国の同意が必要になるが、トランプ大統領は大統領選挙でバイデン氏に敗北する可能性があることから、トランプ政権の間に実施しなければならかった。さらに、ネタニヤフ首相は、暗殺が実行されれば、バイデン氏が大統領選で勝利しても、イランとの核合意への復帰を阻むことになるというシナリオを描いた」

■暗殺作戦のタイミングは?

 暗殺作戦が実行された2020年11月27日は、大統領選挙でトランプ氏の敗北は確実となったが、まだ敗北を認めていなかった時期である。バイデン氏はイランとの核合意への復帰の方向を探ると発言していたので、トランプ氏の任期の間に暗殺作戦を実行する必要があった。

 暗殺に使った兵器について、次のように書いている。

 「作戦について知っている情報担当者によると、イスラエルは遠隔操作機能がついた最新式のロボット装置を搭載した特別仕様のベルギー製の機関銃を使用した。付属品を合わせると機関銃ロボットは1トンの重さになるため、できるだけ小さな部品にして、部品ごとに分けて、送る方法、時期、ルートなども分けて、秘密裏にイランに持ち込んで、組み立てた」

■8か月間の行動監視

 一方、JCには暗殺作戦に至る準備について詳しい記述がある。

 「2020年3月、モサドチームはイランに向けて出発し、現地の協力者と連絡をとった。作戦チームはイスラエル人とイラン人の20人を超え、困難で危険な任務を実施するための大人数だった。チームは念入りな監視活動を行った。『8か月にわたって標的の人物と共に起床し、共に就寝し、共に外出した。分刻みの計画を作成した』と情報源は明かした。科学者(博士)が家を持っているテヘランの東にあるアブサルドに向かう道路で殺害することが決まった。チームはファフリザデ博士が金曜日にテヘランからそこへ向かうことを知った。チームは彼が毎日移動するルートについて、どの道を、いつ、どのくらいのスピードで動くかを知っていた。どのドアから出ていくかも知っていた」

 モサドの暗殺チームがイランに入るのが「2020年3月」というのは、NYTが書いているようにイスラエルと米国が「2019年末から2020年初めにかけて」会合を持った後で、具体的な作戦が始まったことが分かる。JCが書いている博士の行動確認の作業や、そのために20人以上が動いたことは、NYTの記事にはない情報である。一方でNYTの記事には、機関銃ロボットの遠隔操作について、次のような記述がある。

 「機関銃ロボットはイランで普及している日産のピックアップ・トラックの現地生産車に据えられた。トラックには目標やその関連だけでなく、周辺状況まで映す複数のカメラを搭載し、指令室に映像を送ることができるようになっていた。さらに、作戦終了後にすべての装置を爆発するために爆発物も積み込まれていた」

 「機関銃ロボットに組み込まれたAIには、銃撃による衝撃や現地から衛星経由でくる映像を受信し、その映像をもとに機関銃を遠隔操作するための情報を送るのにかかるわずかな時間の遅れなどを補正する機能が備わっていた。さらに、銃撃予定地点の手前に1.2キロ離れて、故障車を装った別のトラックが停車して、ファフリザデ博士の車列の動きを追って映像情報を送ることで、作戦全体を監督することになった」

暗殺されたファフリザデ博士が乗っていた乗用車
暗殺されたファフリザデ博士が乗っていた乗用車写真:ロイター/アフロ

■当日未明に米国に事前通告

 NYTもJCもともに暗殺作戦に関わったモサドの関係者から情報を得ているとしているが、出ている情報の特性から、JCの情報源はイランでの準備作業に関わり、NYTの情報源が実際の暗殺(射撃)に関わった人物であろうと推測できる。

 「暗殺作戦は当日未明にイスラエルは米国に最終通告をした」とNYTは書く。暗殺作戦が実行されたのは午後3時半ごろであるから、イスラエルは約12時間前に米国に最後通告したことになる。ファフリザデ博士はその日、妻を連れて週末を過ごすために、テヘランの東約70キロにあるアブサルドという保養地の別荘に行くところだった。

 暗殺実施については、JCでは「イスラエルのスパイチームはその場にいて、離れた場所から、彼らの行動をつぶさに監視し、銃を操作する時を待っていた。車が、ある地点を通過した時、彼らはボタンを押し、超精巧兵器が火を噴いた。13発がファフリザデ博士の頭を撃った」と、かなりおおざっぱな記述をしている。

■「1600キロの遠隔操作」

 これに対して、NYTは次のようにより詳細な記述となっている。

 「モサドと働いているイラン人の協力者がアブサルドに向かう自動車道路の道路わきに青い日産のピックアップ・トラックを停車させ、その荷台には擬装用の建設資材が詰まれ、防水シートがかかっていた。そのシートの下には狙撃用の機関銃が据えられていた」

 「午後1時ごろ、暗殺チームはファフリザデ博士が妻を伴い、武装護衛を連れて、アブサルドに向けて出発したという連絡が入った。暗殺実行者である熟練の狙撃手が配置につき、照準を点検し、撃鉄を引き、引き金に軽く触れた。しかし、狙撃手はアブサルドの近くにいるわけではない。彼は1000マイル(約1600キロ)離れた秘密の場所でコンピューター画面をのぞき込んでいる。すべての暗殺チームはすでにイランを離れていた」

 NYTの記事にはモサドがどこから遠隔操作をしているか明示してないが、「テヘランから1600キロ」といえば、ちょうどイスラエルとの距離である。つまり、テヘラン郊外でファフリザデ博士を暗殺した機関銃ロボットの遠隔操作は、イスラエル国内で行われていたということだろう。これに対して、JCの記述は遠隔操作については「離れた場所」とぼかしている。

 博士が妻を助手席に乗せて、自分で運転しているのは、日産のセダンで、自分の車である。革命防衛隊は博士に安全のために護衛用の防弾車両に乗るように求めていたが、博士は自分の車を自分で運転することに固執したという。さらに武装護衛が車に同乗することも認めなかったという。

■現場を見ているような記述

 暗殺の実施についてNYTは、博士の車が現場に近づき、「(遠隔操作の)操作担当者は博士の姿を確認し、妻が隣に座っているのを見ることができた」と、まるで現場の場面を見ているかのように記述している。狙撃の瞬間の場面は、次のように記述されている。

 「博士の車列は、路肩に停車したピックアップ・トラックの直前の道路にある減速のための盛り土のところで速度を緩めた。その時、野良犬が道路を横切り始めた。機関銃が火を噴き、フロントガラスの下の車の前面を少なくとも3発銃撃した。ファフリザデ博士は少なくとも1発は肩を撃たれた。博士は車から出て、運転席のドアを開いて、そのドアの後ろでうずくまった」

 伝聞では出てこない情報であり、暗殺実施の時にオペレーション・ルームにいた人物の一人が証言していると考えるしかない。

 NYTは博士が倒れた後の状況については、イランメディアやイランでの博士の息子の取材などで捕捉して、次のように再現している。

 「イランのファルスニュースによると、さらに3発の銃撃が博士の背骨を砕き、博士は道路に崩れた。妻も車を出て、博士のもとに駆け寄った。博士は『私を殺そうとしているのだ、あなたは離れなさい』と妻に言ったという。妻はその場に座り、博士の頭を自分の膝に乗せた、と妻はイランテレビに語った」

■混乱した事件直後の情報

 この直後に機関銃ロボットは車ごと爆破された。事件直後のイランでの報道では、ファフリザデ博士の車列に向かって5、6人の襲撃者がトラックから降りて銃撃し、博士は銃弾を受けて殺害された。さらに大きな爆発もあり、イランでの目撃者の情報による当初の報道では、武装集団による銃撃と自爆攻撃があったとされた。NYTの報道によって銃撃と爆発があった理由は明らかになる。革命防衛隊は後になって「衛星を使った遠隔操作の機関銃による攻撃」という見方に変わったとされる。爆発によって散乱した残骸を調べた結果であろう。

 事件直後から当時のロハニ大統領はイスラエルによる犯行として非難した。しかし、イスラエルは関与については何も語らず、イランからもイスラエルの犯行を示す証拠は出なかった。ところが事件から約3か月後の2021年2月13日、英国の週刊新聞ジューイッシュ・クロニクル(JC)に「モフセン・ファフリザデ殺害の背後にある真実」という記事が「世界的特ダネ」として掲載された。

■JCの特ダネの背景は?

 今回のNYTの報道と照らし合わせても、JCの記事は確かな情報源による情報であることが分かる。国際報道で定評があるNYTが米国、イスラエル、イランで取材を行った中身を、その半年以上前にイギリスのユダヤ人社会で読まれ、2万から3万部の発行部数のJCが特報していたことは驚くべきことである。

 当時、バイデン大統領が就任して約一か月弱のころであり、ファフリザデ博士の暗殺でのモサドの作戦の詳細がメディアに出たのは、ネタニヤフ首相や当時のモサドのヨシ・コーヘン長官も承知の上でJCに意図的にリークしたと考えられる。イランとの核合意への復帰の道をさぐるバイデン政権への揺さぶりとともに、11月の暗殺作戦でも報復を自制したイランを挑発する意図があったとみられる。

 JCの報道がイスラエル側からのリークだと考えるのは、モサドは首相の直轄の機関であり、イランの核開発の中核にいる人物の暗殺作戦という国家の安全保障に関係する重大な情報が、モサドの長官も、モサドを統括する首相も知らないでメディアに流れることはあり得ないからである。イスラエルはモサドの海外での活動については、核兵器の保有と同様「否定も肯定もしない」という曖昧戦略が伝統的な対応であるが、メディアへの意図的なリークは、曖昧戦略と同様にイスラエルの情報戦略の一つである。

■地上での破壊活動の広がりの危険性

 今回、NYTでファフリザデ博士暗殺作戦の詳細が表に出たことは、当時のイスラエルの首相も、モサド長官も交代し、トランプ政権も終わり、作戦決定の当事者が政権から離れたことと無関係ではないだろう。記事では、イスラエルの暗殺作戦に米国と事前に協議を行い、直前に作戦実施の通告を受けるなど、深く関わっていた事実が明らかになったことの意味も大きい。

 遠隔操作による暗殺作戦といえば、無人飛行機(ドローン)によるものがほとんどだったが、今回、乗用車やトラックというありふれた運搬手段を使って、他国からカメラで監視しながら遠隔操作で行われた暗殺作戦が明らかになった。NYTでもJCでも、ファフリザデ博士が運転する助手席にいた妻が無傷だったことが強調され、民間人の巻き添えを避ける配慮であるかのような書き方となっているが、国際的な協議が続いている問題について、イスラエルが軍事作戦で関係者を殺害し、米国が絡んでいたことの危険性と問題性に目が向けられるべきである。さらにドローンによる暗殺作戦や空爆とは別に、今後、遠隔操作で行われる車両を使う破壊活動やテロが地上で拡散しかねない危険性をはらんでいると考えるべきであろう。

中東ジャーナリスト

元朝日新聞記者。カイロ、エルサレム、バグダッドなどに駐在し、パレスチナ紛争、イラク戦争、「アラブの春」などを現地取材。中東報道で2002年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。2015年からフリーランス。フリーになってベイルートのパレスチナ難民キャンプに通って取材したパレスチナ人のヒューマンストーリーを「シャティーラの記憶 パレスチナ難民キャンプの70年」(岩波書店)として刊行。他に「中東の現場を歩く」(合同出版)、「『イスラム国』はテロの元凶ではない」(集英社新書)、「戦争・革命・テロの連鎖 中東危機を読む」(彩流社)など。◇連絡先:kawakami.yasunori2016@gmail.com

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