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追いつめられる教師ーー「子どもがかわいそう」という呪いの言葉ー

河合薫健康社会学者(Ph.D)
著者:Natasha d.H

政府の教育再生実行会議が「家庭の役割」を含めたテーマでの議論が始まる中、イジメ問題、それに対する先生の対応に関するニュースが度々報じられています。

これまでにも「学校を“ブラック企業”化する、「子どもが可哀そう」という呪文」など、先生を取り巻く社会について書いてきましたが、今回、ある女性教師へのインタビューで、今までとは異なる“苦労”を伺ったので取り上げようと思う。

協力してくれたのは、29歳の小学校の教師。今年から6年生の担任になった、とてもやさしそうで、かわいい、女性である。

まずは彼女とのやり取りをご覧いただきたい。

「前にいた学校は比較的裕福な家庭の子どもが多かったんですが、今いる学校は貧困家庭が多い地域です。そういう学区があるとは聞いていたのですが、想像以上で。正直、ショックでした。

例えば、給食のない日。お弁当を持ってこない生徒がいます。親に何度連絡しても、『わかりました。気をつけます』って言うんですけど、絶対に持たせない。子どもがかわいそうなので、私、自分のお弁当をたくさん持っていって子どもにわけています。

でも、本当はいけないんです。最初、それを知らなくて。校長にひどく怒られました。『食中毒にでもなったら大問題になる』って。とにかく学校は徹底した事なかれ主義なので、余計なことはやっちゃいけないんです。

夏休み中は、ほとんど毎日補講です。貧困家庭の子どもは塾に通っていないし、勉強する習慣がありません。低学年で授業についてこれなくなるので、高学年になっても困らないように夏休みを利用するんです。

補講は午前中で終わりますが、そのまま残って自習する子もいます。なので、やっぱりお弁当が必要で。毎朝、大きなお弁当箱にたくさん詰めて、子どものために持っていきます。

前の学校では、夏休みの補講はありませんでした。ほとんどの子どもが塾に通っているので必要ない。

親たちはものすごい上から目線です。私は三流大学なので、親たちからの信頼も低かった。下手に勉強なんか教えてくれるな、って感じでした。

でも、今の学校はちがいます。初めて親から感謝されました。モンスターペアレンツはいません。モンスターペアレンツは裕福な家庭の多い学校ではたくさんいるけど、貧困家庭が多い学校には不思議といないんです。

多くの貧困家庭は片親です。シングルマザーが多くて、私と同年代か下というケースもあります。スクールカウンセラーが月に一回来るんですけど、親がカウンセリング受けています。仕事にも子育てにも必死なんだと思います。

なので前の学校では、親との関係がものすごくストレスだったけど、そういったストレスは減りました。頼りにされてるなって感じることがありますし、そういうときは本当にうれしい。先生になってよかったって、今の学校に来て初めて感じました」

「前の学校では、そういう気持ちになったことはなかったんですか?」(河合)

「楽しいと思ったことはあまりありませんでした。もちろん子どもと一緒のときは楽しいですけど、保護者がこわかったです。 職員室も行きたくありませんでした。なので、いつも教室にいました。でも、今がいいかというと、そうともいいきれません。

教師を困らせるモンスターはいませんけど、中にはやはりひどい親もいるんです。離婚しているはずなのに、家に行ってみたら“両親”揃っているなんてことも珍しくありません。母子手当をもらうためです。

そういった家庭は生活も荒れていて、子も勉強を学ぶレベルにない。すぐに飽きてしまって『ゲームやりたいから帰る』とか言い出す。どうにかして普通に勉強する習慣くらいはつけさせてあげたいと先生たちもがんばるけど、結局、親が協力してくれないので、勉強させるのがすごく難しいです。

去年、夏休み中に補講を一緒にやっていた先生のクラスに、とても手のかかる生徒がいました。家は悲惨で、家庭訪問しても居留守を使ってでてきません。

その先生が新学期に突然、来なくなった。連絡が全く取れなくなってしまいました。

嫌になってしまったんだと思います。私もそうでしたけど、自分が子どもの力に全くなれなくて、無力感だけが募る。結局、学校でできることってものすごく限られていて、先生という仕事に絶望するんです。

クラスにはDVを受けている子どももいます。教師はそのケアもする必要があるんですが、ものすごく難しくて。明らかにDVだと思える場合は教育委員会に報告できますけど、子どもは隠そうとするし、微妙なケースが多いんですね。でも、何か事件が起きると、先生は気付かなかったのかって責められる。責められて自殺した先生もいると聞きました。恐い社会です。

前の学校のときは、長時間労働と親からのいじめで登校拒否になった先生がいて。今の学校は長時間労働と貧困家庭に絶望して逃亡しちゃう先生がいて。40代の先生たちはなんだか開き直って、淡々とこなしていて。30代の先生が少ないので、20代に負担がかかります。

私、学校の役割がわからなくなることがあるんです。親から感謝されたり、子どもたちが勉強をがんばるようになるのはすごく嬉しいし、やりがいも感じますけど……。関われば関わるほど、自分の無力を痛感させられちゃって。今は同年代の先生がもうひとりいるので、なんとかがんばれているんだと思います」

以上が、先生が話してくれたことです。

「がんばれている」ーーー。

彼女はそう語っていたけど、私はこの言葉に危うさを感じずにはいられなかった。実は彼女。待ち合わせの場所に、顔面蒼白で登場したのだ。

「電車に乗ったら、ちょっと気分が悪くなってしまった」と、彼女は説明したけど、今回が初めてではなかったのである。

前の学校で遠足にいくときに、電車で具合が悪くなった。そのとき、他の先生たちに迷惑をかけてしまい、それから電車に乗るのが恐くなったと言うのだ。

普段は車で移動するので、電車は利用しない。私のインタビューに応じてくれた日は、「もう大丈夫」だと思い、電車に乗った。

が、途中で気分が悪くなり、休み休み来たというのである。

トラウマ? 単なる疲れ? 緊張?

具合が悪くなった理由は定かではない。ただ、彼女が身体を酷使しているのは明らかだった。

このままではいつか燃え尽きる、と危うさを感じてしまったのだ。

「燃え尽き症候群=バーンアウト」

この言葉を知っている人は多いが、その対処策を知っている人は意外と少ない。もっとも大きな勘違いは、バーンアウトとウツを混同してること。

バーンアウトは「燃え尽き症候群」という言葉が示す通り、疾病ではなく、あくまでも症候群である。ウツ病でもなければ、バーンアウトしたからといって、必ずしもウツになるわけではない。

そもそもバーンアウトという言葉は、「ドラッグ常用者が陥る無感動、無気力の状態」を意味する俗語で、1974年に米国の精神科医で心理学者のハーバート・フロインデンバーガーが、彼が勤務していた職場で熱意あふれる同僚たちが、次々と熱意を失い、エネルギーを吸い取られるようにやる気を失っていく状態を見て、「これはどういうことだ……バーンアウトに似ているぞ」と、使い始めた。

現在は、社会心理学者クリスティーナ・マスラークらの「マスラック・バーンアウト・インベントリー」がバーンアウト測定に広く多く使われ、その状態は次のように定義されている。

「長時間にわたって人に援助する過程で、心的エネルギーが絶えず過度に要求された結果、極度の心身の疲労と感情の枯渇を示す症候群」

つまり、ウツもバーンアウトも、どちらもストレスが原因で起こる症状だが、そこに至るまでのプロセスと、発症後の対処策が全く異なる。

ウツが自分の置かれた状況や、遭遇した困難にうまく対処できず陥る状態であるのに対し、バーンアウトはいわば過剰適応。

高い目標設定を成し遂げようと踏ん張り、いかなる試練にも真っ向勝負で立ち向かい、ひたむきに頑張り続けた結果、“尽きる”。

燃え尽きる、という言葉通り、正真正銘、燃え尽きた結果なのだ。

バーンアウト症候群に陥った人は、休息をとり、体力が少しでも回復すると、再び、厳しい環境に果敢に挑もうとする。

「今度こそは、うまくやらなきゃ」

と、それまで以上に躍起になる。

が、どんなに頑張ったところで、エナジーは燃え尽き、灰になっているので戻ってくることはない。熱い思いとは裏腹に、それまで対処できていたこともできなくなり、ますます心身衰弱に陥ってしまうのである。

燃え尽きを防ぐ、あるいは燃え尽きた状態から回復するには、それまでの仕事へのコミットしすぎた働き方を見直し、「これくらいでいいじゃないか?」と、自分を許す緩さが必要になる。また、多くのバーンアウト研究から、「一人きりで責任を背負うことのない職場」にすることの重要性が示唆されている。

だが、新人であれ、20代であれ、「先生」は「先生」。いったん「先生」になった途端、余人をもって代えがたい状況に追い込まれ、“その先生”が対応しなければならない仕事に四六時中追われ、何か問題が起きると、すべて“その先生”の責任にされ……。仕事が好きな人ほど、真面目な人ほど、「子どものため」にと孤軍奮闘し、追い込まれる。

長時間労働、モンスターペアレンツ、親の貧困、子ども同士のイジメ、etc、etc……。先生を追いつめる問題は後を絶たない。

学校って何なのだろう。先生って何なのだろう。

政府は「家庭の役割」の議論も進められているようだが、その前に「学校は誰のためにあるのか?」を議論すべし。少なくとも「親」のためにあるわけではないはずだ。

健康社会学者(Ph.D)

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。 新刊『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか』話題沸騰中(https://amzn.asia/d/6ypJ2bt)。「人の働き方は環境がつくる」をテーマに学術研究、執筆メディア活動。働く人々のインタビューをフィールドワークとして、その数は900人超。ベストセラー「他人をバカにしたがる男たち」「コロナショックと昭和おじさん社会」「残念な職場」「THE HOPE 50歳はどこへ消えたー半径3メートルの幸福論」等多数。

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