Yahoo!ニュース

母親が“上司の異動”を命じる息子に未来はあるのか?

河合薫健康社会学者(Ph.D)
著者: Tambako the Jaguar

先日、「社会人の第一歩を踏み出す入社式に、新入社員の父母を招く企業がある!」との見出しで朝日新聞が、紳士服チェーンのはるやま商事(岡山市)の入社式を取り上げ、ネットではちょっとした話題となった。

だが、そんなことで驚いている場合じゃない。

なんと、“人事まで親が口出す時代”が到来なのだ。

「『上司を異動させてください』って電話がきた。あまりの衝撃で8秒くらいフリーズしちゃいましたよ(笑)」

こう話るのは、食品関連の会社の部長職の男性(48歳)。

なんでも、“息子”が希望どおりの部署に異動できなかったのが、理由らしい。

「大企業ならまだしも、うちのような中小じゃ、よほどの理由がない限り、希望で異動なんて無理。そこで、『だったら上司を異動させろ』ってことになったんでしょう。キャバクラじゃあるまいし、上司を指名できるわけないでしょ。“息子”の上司に、パワハラなど問題行動があれば別ですけど、そういう事実は一切ない。しかも、それを本人じゃなく、親が言ってくるんですから、困ったもんです」

誰にでも、一度や二度、『上司が異動になればいいなぁ』と思ったこともあるかもしれない。でも、それを会社に直談判するなんて普通はやらない。ましてや、親がしゃシャリ出るとはどういうことか?

ひょっとしてこの親子は、上司さえ代われば、息子は別人になるとでも思ったのだろうか。

で、もし、もしも、彼らの望み通り新しい上司になって、また合わなかったとしたら……。

また、上司異動願いを出す?

うん、そうなる。きっとなる。息子が見違えるような別人になるまで、異動願いを出し続ける。「合う上司になれば、息子の能力は発揮できる!」。そう、どこまでも信じ、期待通りの “上司”を追い求めるに違いない。

だが、働いていれば合うとか合わないとか関係なく、一緒に仕事をしなければならないこともあるし、やりたいとかやりたくないとかに関係なく、やらなくてはならない仕事が山ほどある。

ましてや、「合わない人=自分の力を発揮できない」なんてことはない。当たり前の話だが、自分の能力は自分で引き出すしかない。

つまり、「合わない」からと上司や同僚を排除したがる人々は、自分と向き合うのを避けているだけ。力を磨く努力もしないで、「環境さえよくなれば、自分自身も、自分の人生も、きっと満足できるものになる」と環境に身を委ね、周りさえよくなれば、「自分には能力がある」と信じているのだろう。

本来、自分の能力は、自分を取り巻く環境と、その環境の中の自分との相互作用からなる。

環境が船だとすれば、人はその漕ぎ手と、考えればいい。

船を漕ぐ人がいて、初めて船は大海原に航海できる。

「Sense of Coherence (SOC、首尾一貫感覚)」――。

人間の生きる力であるSOCは、「自分の生活世界に対するその人の見方、向き合い方」でもある。

SOCの高い人は、自分の生活世界で目を背けたくなるような危機的な出来事に遭遇しても、そこから目を背けず、ありのままの状況に目を見開いて向き合い、受け入れる覚悟を決め、「自分にできることは何か?」に神経を集中し、船の漕ぎ方を考え、再び、船を漕ぐ。それは、自分と向き合う覚悟を持つことでもある。

この自分を取り巻く半径3メートル内での、「覚悟ある行動」の試行錯誤こそが、SOCの根底に存在し、自分と自分を取り囲む生活世界と向き合い、船を漕ぐ作業を繰り返すことで、私たち人間は成長し、思わぬ能力を手に入れることができる。

つまり、「合わない」人と仕事をしなければならないという危機的な出来事は、自分に内在する能力を開拓し、成長するチャンスと捉えることができるのである。

息子の上司に人事に口出す親は、「息子の漕げる力」を信じなかった。

なんと悲しいことか。

とはいえ、「ありのまま」を受け入れることも、何をなすべきか? を考える作業も、実にしんどい。骨が折れる。しかも、覚悟を決めて漕ぎ始めても、船が順調に進むまでには、時間もかかる。

この時間のかかるしんどい作業に堪えられない人たちが、船を乗り換えようとする。船を乗り換えさえすれば、危機から逃れ、人生が変わると錯覚する。危機からしか人間は成長できないのに、それを放棄し、楽な道を選ぶのだ。

本来であれば、このタイミングこそが、母親の出番だ!

「大丈夫だ。ふんばれ!」と時には厳しく、時にはやさしく、「私の子どもなんだから、大丈夫」と自分自信を信じればいい。

ところが今度は、この「信じる」のが恐くなり、母親自身が楽な道を選ぶ。

「合わない」とか、「力が発揮できない」とか上司や同僚の問題にすり替える息子に、「そうよ!アナタは力のある子。私が言ってやるわ!」tと、信じるべき力(SOC)を信じることなく、幻想に頼るのである。

もちろん誰だって逃げたくなるし、思い通りにならないことがあれば、他人のせいにしたくなったりする。でも、そんなときありのままを受け入れ、ほんの一瞬でも自分と向き合う覚悟を持てば、何か見えてくるものがあるのではないか。

それはちょっとだけ、遠くから「自分の生活世界=半径3メートル」を眺めることでもある。

人から相談されたときに、「なんでそんなたわいもないことに悩んでるんだよ。こんなことやってみるだけでもいいんじゃない?」と、簡単にアドバイスできるように、だ。

ひょっとするとやるべきことに必死に取り組んでも、思い通りにならないかもしれないし、自分が期待したような結果にならないかもしれない。

でも、ありのままを受け入れ、ふんばって覚悟ある行動をとれたとき、「自信」という褒美がもたらされる。

大型連休のカウントダウンが始まり、会社がイヤになるこの季節。

“ママ”に上司の愚痴をこぼす前に、もうちょっとだけ踏ん張ってみてくださいな。それでもどうしても無理だったら、キャ〜〜と声を上げて、逃げろ! どうしょうもなくなったら逃げればいい。そう考えるだけで、むやみに“ママ”に頼らなくても済むのではないでしょうかね。

健康社会学者(Ph.D)

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。 新刊『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか』話題沸騰中(https://amzn.asia/d/6ypJ2bt)。「人の働き方は環境がつくる」をテーマに学術研究、執筆メディア活動。働く人々のインタビューをフィールドワークとして、その数は900人超。ベストセラー「他人をバカにしたがる男たち」「コロナショックと昭和おじさん社会」「残念な職場」「THE HOPE 50歳はどこへ消えたー半径3メートルの幸福論」等多数。

河合薫の最近の記事