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成果主義で漏れる『会社に本当は必要な人』とは?

河合薫健康社会学者(Ph.D)
著者:MzPromise

「成果主義で、社員を見える形で評価しようとすると、どうやっても評価できない部下が出る。僕としては必要な部下だし、チームにとっても価値のある人材だと思うのですが、会社が提示する評価項目にそって評価するとなんか漏れちゃうんですよね……」

こう嘆くのは、ある企業に務める課長職の男性である。

仕事が必ずしもできるわけじゃない。重要なプロジェクトとか職責に就いているわけでもない。でも、

「アイツは……必要なんだよなぁーー」

そんな社員が、みなさんの周りにもいるのではないか?

目に見える“数字”にばかり振り回される、ご時世。そんな規格化されたモノでは、決して測れない人。

空気、愛情、信頼……、私たちが生きていく上で、“大切なモノ”は、目に見えないものばかりだ。

実は、先日、アメリカではそんな目見えない価値を生み出す社員に共通する、ちょっとだけシンプルな行動が明らかになった。

「The 4 Words That Could Protect You From Layoffs(4つの言葉があなたを失業から救うかもしれない)」――。

こんな見出しでウォールストリートジャーナルが、ペンシルバニア大学ウォートンスクールのリン・ウー助教授の社交的ネットワークに関する研究論文(Social Network Effects on Performance and Layoffs)の一部を、報じたのだ(以下、抜粋)。

調査では、大手ITコンサルティング会社で働く8037人のEメールなどを、2年間にわたって追跡。それらの内容を、「仕事の報告」「一身上の話し」「社交的な会話」など、さまざまなカテゴリーに分類し、業績、レイオフ(失業)、上司からの評価などとの関連性を検討した。

その結果、「野球」「フットボール」「ランチ」「コーヒー」の言葉を使ったメールを、同僚や上司などに頻繁にメールしていた社員は、そうでない人と比べて職を失わない可能性が高いことがわかった。

しかも、そういった「社交的な話題」をする人の業績は、必ずしも高いわけではなかった。

だが、実に興味深いことに、上司は一様に、「彼には価値がある」と、高く評価したのである。

「なぁ~んだ。結局、そういうことなんだよね~」

「やっぱ会社って、実力主義じゃないんだなぁ~」

いやいや、そうがっかりしないで欲しい。

これらの調査結果について、ウー教授は次のような見解を示している。

「これまでの先行研究などから考えると、こういう従業員は、“目に見えない価値”を、会社に提供していて、既存の評価指標で測れていないだけ。今後、かれらが提供している“価値”を数値化できれば、彼らがいかに会社に貢献しているかがわかることだろう」

うむ。ウー教授の言っている意味は、非常によくわかる気がする。

まぁ、わかりやすくいえば、「釣りバカ日誌の浜ちゃんみたいな人」……。

もちろんこの調査では、メールの内容だけを分析しているので、フェースtoフェースの会話を測っているものではない。

でも、メールにランチのことやら、野球のことやら書く人は、普段もそういう話題をしている可能性は高い。たとえ“メールでは饒舌、実際は口下手”って人でも、メールがきっかけになり、「こないだ教えてもらった店に、ランチ行ってみたよ」とか、「阪神、勝ったね!」なんて具合に、実際に会ったときに、メールがきっかけで社交的な会話が弾む確率は相当に高い。

そこで今回は、「社交的な会話をする人が、評価される理由」について、あれこれ考えてみようと思う。

会話=コミュニケーションではないーー

これは「会話としての正義」を提唱した、法学者の井上達夫さんの言葉だ。

会話と対話を分ける考え方は一般的だが、「会話はコミュニケーションではない」と論じる井上氏の論考は、実に興味深い。そもそもコミュニケーションの語源は、ラテン語のコムニカチオ(communicatio)。コムニカチオの意味は「分かちあうこと、共有すること」である。つまり、井上氏によれば、

「コミュニケーションは、情報の伝達や意志決定、合意やコンセンサス、相互理解や和解、といったなんらかの達成すべきゴールが存在するものであるが、会話にはそれがない」のだと。会話はコミュニケーションをとる一つの手段ではあるが、たとえコミュニケーションがとれなくても、会話は成立する。例えば、

A:「“終戦。夢終わり”。やる気でません」

B:「なんだ虎ファンか? 渡辺謙さんて、マジすごい虎ファンなんだね。私の場合は、終戦があっけなさ過ぎて。日本シリーズいっさい見なかった」

A:「ジャイアンツ・ファンなんですね。僕、後楽園の近くの中華料理屋が大好きなんですよ」

B:「長嶋さんのラーメンが売っているんだよね。最近、行ってないけど、前に行ったとき、3000円もしてびっくりしたよ!」

A:「3000円あれば、髪の毛切って、牛丼食べて、立ち飲みくらい行けちゃいますね(笑)」

B:「立ち飲みっていえば、神保町の○○行ったことある? あそこの焼き鳥が絶品でさぁ~」

A:「そうなんですか! 今度行ってみます。僕はもっぱら、△△ですよ。そこのママさんが“金妻”似で、……つい行っちゃうんですよね」

B:「金妻いいね! あんな奥さん、いないよなぁ~。男の幻想。あれ? なんでこんな話しになっちゃったんだっけ?」

A:「夢、終わり…ってことっすよ。アハッハ」

といった具合に、「あれ?なんでこんな話になったんだ?」と、話している本人たちがわからなくなるのが会話である。しかも、AさんとBさんは、野球、中華料理、3000円、焼き鳥屋、金妻と、テーマを次々と変え、お互いに勝手なことを言ってるだけ。ただ、それだけ。

ただし、勝手に言いたいコト言っても、会話を成立させるためには“相手”がいる。ここが会話のもっとも大切なところで、井上氏はこの状態を次のように記している。

「会話とは、異質な諸個人が異質性を保持しながら結合する基本的な形式であり、会話は“分からず屋”を排除しない」と。つまり、会話は営まれる。そこにいる人と人が営む協働作業こそが、会話なのだ。

井上氏は分からず屋を排除しない具体例として、“頑固親父”を挙げているのだが、これが実におもしろく、わかりやすい。

「『このボケ、アホ、分からず屋め!』と怒鳴りあっては大抵喧嘩別れをする、そんな二人の頑固親父を間近で見ていた。この頑固親父は将棋をしながらいつも、そう罵っていた。そして退去の定まった時間がくると、決まって喧嘩別れをするのが常道になっている。最初は本気で喧嘩別れをしたのかと思っていたが、そうではない。片割れは亡くなったが、将棋というゲームを通してだが、終生会話的連帯のうちに二人の微笑ましい関係は存続していたのである」(『共生の作法』より)

そういえば、寺内貫太郎一家で描かれているのも、会話だった(といっても、これが通じるのは40代以上になってしまうのかもしれないけれど)。貫太郎(小林亜星)はメチャクチャ頑固で、きわめてものわかりが悪く、事あるごとに、長男の周平(西条秀樹)と大ケンカになる。きん婆こと樹木希林さんが、沢田研二のポスターの前で、「ジュリ~」と身悶える姿と共に、この大ゲンカはドラマのウリだった。

殴る蹴る、ちゃぶ台をひっくり返す……。今だったらBPO(放送倫理・番組向上機構)で問題になるような激しいシーンだが、見ているほうはちっとも嫌な気分にならない。むしろ温かい気持ちになる。「ああ、またか」と笑って見られた。なぜなら、お互いを決して排除しないから。互いの人格を独立したものと受け止め、異質であるにもかかわらず結びつく。どっちが悪いとか良いとか優劣がない。それが見ている人を、ホッとさせたのだ。

少々言い過ぎかもしれないけれど、相互に尊敬がなければ満足いく会話はありえないんじゃないかと思ったりもする。尊敬と言う言葉が重すぎるのであれば、敬意だ。で、話が転がっていくうちに、自然と相手の趣味や嗜好性、価値観を発見できる。

私も常々、「心と心の距離感を縮めるには、無駄話をしてくださいね」と言っていたのだが、会話を成立させるためには、まずは相手を「独立した個人」として認める=敬意 が必要で、会話を繰り返すうちに、だんだんと広い意味での信頼関係が築かれる。

件の調査で、社交的な会話をする社員に、「価値がある」と評価した上司たちが、「どんな価値があるか?」との問いへの具体的な回答を持ち合わせていなかったのも、“広い意味での信頼感”を抱いたからではないだろうか。「なんとなく信頼できる」――そんな曖昧な評価だ。

誰もが経験的に、信頼できる人と働いたほうが、自分は自分のやるべきことに集中できることを知っている。だから、曖昧であれなんであれ、「その人にいて欲しい」。そう願ったのだ。

しかも、彼らの価値はそれだけにとどまらない。「会話=おしゃべりはソーシャル・キャピタルの声」と言われ、つながりを強化する。

たとえば、昔はどこの会社にも、給湯室があった。コントやドラマで描かれていたように、そこで男性社員たちに出すお茶を入れながら、OLの方たちが、上司の悪口を言い合ってストレスを発散した。この会話こそが、まさしくそのOLさんたちを“つなぐ”役目を果たしていたのである。

ソーシャル・キャピタルとは、まさしく企業に内在する“目に見えない力”だ。「キャピタル=資本」という言葉が使われるのは、人と人のつながりに対する投資がリターンを生み出すことを強調するため。社員同士、社員とリーダー、社員とトップ、それぞれがつながっている組織ではチームワークを強化され、企業に降り注ぐ“ストレスの雨”を乗り越えられる。

つながりを、数値化するのは難しい。だが、その目に見えない力こそが、企業の大きな価値になるのである。

ワインやゴルフだと相手を選ぶが、野球、ランチ、コーヒーの話であれば(フットボールは、日本では難しい)、たいていの人は、会話に加われる。

要するに、4つのキーワードは、会話が転がるための優れたテーマなのだ。

年功序列制度は、目に見えない価値に投資する制度だった。

一律に同じような仕事をさせ、同じように責任を増やし、何年かみんな同じように昇進・昇給させる。長く働く、給料が上がる、会社のために頑張る。そんな好循環を生み出した。

と同時に、年功序列は人間の中に宿る、「時間」という係数が加わって初めて開花する能力を引き出した。人間の能力には、短期的に開花するものと、長い時間をかけて開花するものがあり、後者の能力の投資として年功序列は機能していたのだ。

数字が常につきまとう今の世の中では、数値化することができない目に見えないものは、ないがしろにされる。情報の洪水に襲われる現代社会では、情報を交換し、伝達し、コンセンサスをとることばかりが重要視され、社交的なおしゃべりが駆逐される。

つながりも、信頼も、“人間臭さ”なくして生まれやしない。

さて、今日のランチ、何しようか。美味しくて、安いところあったら教えてくださいまし。

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健康社会学者(Ph.D)

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。 新刊『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか』話題沸騰中(https://amzn.asia/d/6ypJ2bt)。「人の働き方は環境がつくる」をテーマに学術研究、執筆メディア活動。働く人々のインタビューをフィールドワークとして、その数は900人超。ベストセラー「他人をバカにしたがる男たち」「コロナショックと昭和おじさん社会」「残念な職場」「THE HOPE 50歳はどこへ消えたー半径3メートルの幸福論」等多数。

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