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東京五輪・男子サッカー日本代表、22名個人総括

川端暁彦サッカーライター/編集者
地元開催の五輪に臨んだ東京五輪男子サッカー日本代表(写真:佐藤博之、川端暁彦)

 8月6日、東京五輪の男子サッカー競技の3位決定戦、ブロンズメダルマッチが行われ、日本代表の戦いが終わった。このメンバーに選ばれていたのは、1997年1月1日以降に生まれた「U-24」の19名と、オーバーエイジの精鋭3名の計22名。

 ここでは、彼らの履歴、今大会での印象に残った言葉をまとめつつ、その事績を記録にとどめたい。

 データは、上から順に「氏名」「氏名(英字)」「生年月日」「出身地」「身長/体重」「現所属」「(過去所属の履歴)」「東京五輪における個人成績(試合数、総出場時間、得点(GKは失点)、+アシストは記録が付いた選手のみ特記」

【GK】

谷晃生(右上)の活躍が目立つも、大迫敬介(左)、鈴木彩艶(右下)も「いずれも力のある選手たち」と川口能活GKコーチ
谷晃生(右上)の活躍が目立つも、大迫敬介(左)、鈴木彩艶(右下)も「いずれも力のある選手たち」と川口能活GKコーチ

1.

大迫 敬介

世代を代表するGKは、大会を前にポジションを失った。悔しい気持ちがなかったはずもない。だが、記者席からよく見えるアップゾーンでは常に全力で体を作り、本気で試合に出るつもりで準備し続ける男の姿があった。

交代人数を使い切ってベンチに引き上げる際は使用済みのボトルを全て回収していくあたりも彼らしい姿。3位決定戦を終えて、泣きじゃくる久保へ真っ先に駆け寄ったのもこの男だった。きっとどこかで神様も観てくれていることだろう。

「もちろん悔しい気持ちはありますけれど、この大会は本当にチーム力の勝負だと思っている。彩艶、晃生含めてGKとして3人が良い準備を常にして、その中で競争を勝ち抜いた選手がピッチに立つ。そして出られなかった二人はサポートするだけだと思っている」(大会を前にして)

OSAKO Keisuke

1999.07.28

鹿児島県出水市

187cm/86kg

サンフレッチェ広島

(江内SSS→フェリシドFC→広島ユース)

0試合 0分 0失点

12.

谷 晃生

今大会最もブレイクした選手と言っても過言ではないだろう。ハイライトは準々決勝、ニュージーランド戦。かつて「PKは苦手です」と口にしていた男が、見事な集中力でファインセーブを披露。U-17W杯のイングランド戦での悔恨を払しょくしてみせた。

「この22人でやるのは五輪本大会が最初で最後だと思うけど、本当に僕は最高のチームだなと思うし、ピッチ外でもよくコミュニケ―ションが取れるし、逆に指摘もできるしというところを見ると、本当に良いチームだと思っている」(3位決定戦を前に)

TANI Kosei

2000.11.22

大阪府堺市

190cm/84kg

湘南ベルマーレ

(TSK泉北SC→ガンバ大阪JY→G大阪ユース→G大阪)

6試合 600分 5失点

22.

鈴木彩艶

メンバー最年少の18歳は、一度もベンチに入ることなく大会を終えることとなった。「第3GK」という厳しい立場ながら、試合前のウォーミングアップでは川口能活GKコーチのサポートに入り、2人のGKが行うトレーニングを補助。球出し役になることが本意だったはずもないが、トレーニング含めて真摯な態度を崩さなかった。

「どの立場であっても、いつでも試合に出れる準備をしてきたと思うので、気負うことなく、これまでと同じような準備で常に試合に出れるような準備をしていきたい。いつでも自分がピッチに立った時のことを考えながらやっています」(大会を前にして)

SUZUKI Zion

2002.08.21

アメリカ合衆国

190cm/91kg

浦和レッズ

(浦和ジュニア→浦和JY→浦和ユース)

0試合 0分 0失点

【右CB】

圧倒的な存在感を見せた主将の吉田麻也(左)と、出番のない中でも気持ちを落とさず戦った瀬古歩夢(右)
圧倒的な存在感を見せた主将の吉田麻也(左)と、出番のない中でも気持ちを落とさず戦った瀬古歩夢(右)

5.

吉田麻也

3度目の五輪にオーバーエイジ選手としての招集。託されたのはキャプテンマーク。チーム最年長の32歳が「プレッシャーはありますよ」と率直に語っていたように、背負った負担は軽いものではなかった。それでも要所を締めるさすがの守りとリーダーシップでチームに貢献した。

6試合フル出場はGKの谷とこの男のみ。メキシコ戦では自身のファウルから与えたFKで痛恨の追加点を許してはいるが、全戦フル出場しながら、5ファウルのみ。老練な守備スキルも光っていた。

「ピッチ内外で良いチームになったなと思います。22人の若い選手がいればいろいろなタイプの人間がいますが、それでもうまくバランスが取れていて、お互いに良い仲間であり良いライバルである関係をみんなが、各々、いろいろなポジションで築けている」(3位決定戦を前にして)

YOSHIDA Maya

1988.08.24

長崎県長崎市

189cm/87kg

サンプドリア(ITA)

(佐古SSS→名古屋グランパスU-15→名古屋U-18→名古屋→VVV→サウサンプトン)

6試合 600分 0得点

21.

瀬古歩夢

6月シリーズの追加招集からバックアップメンバー入り。その後の登録ルール変更でのメンバー入りと激動の時間を過ごした。大会では準決勝1試合にベンチ入りしたにとどまったが、トレーニングでは常に明るく、そして意欲的な姿を見せ続けた。準決勝前に、一人ゴール前のクリア練習を行う姿も印象的。ベンチ外になった試合では率先して水を配って回るなど、チームにしっかり貢献してみせた。

大会前、「ムードメーカーは無理です。それは橋岡でお願いします」と言っていたが、間違いなくチームのムードを支えた選手だった。

「(吉田と冨安を観て)追い付き追い越さないといけないと思っているし、毎日刺激をもらっている。しっかり出場する気持ちでいるし、いつでも準備しているつもりですが、自国開催ということもあるので全員チーム一丸となって、金メダルを目指すことを第一に優先してやっていきたい」(大会を前にして)

SEKO Ayumu

2000.06.07

大阪府大阪市

185cm/72kg

セレッソ大阪

(C大阪U-12→C大阪U-15→C大阪U-18)

0試合 0分 0得点

【左CB】

負傷に苦しみつつも奮戦した冨安健洋(左)と出番がない中でも戦い続けた町田浩樹
負傷に苦しみつつも奮戦した冨安健洋(左)と出番がない中でも戦い続けた町田浩樹

14.

冨安健洋

大黒柱として期待されながら、大会前日にまさかの負傷。2試合を棒に振る格好となったが、第3戦からピッチに帰ってくると、“らしい”プレーを披露。何とも難しい試合となった準々決勝・ニュージーランド戦の安定感も頼もしかった。悔恨の思いは来季に繋げてくれるはず。

「ここぞという勝負どころで勝てない国というのが、今回また表面に出たというか……。そこを変えていかないといけないと思いますし、育ってきた環境だったりはあると思うので簡単に変わっていかないものだとも思うんですけど、そこを変えていかないと勝っていけない。本当に当たり前というか、普通にプレーして勝てるような強い国にならないといけないと思います」(3位決定戦を終えて)

TOMIYASU Takehiro

1998.11.05

福岡県福岡市

187cm/84kg

ボローニャFC(ITA)

(三筑キッカーズ→アビスパ福岡U-15→福岡U-18→福岡→シントトロイデンVV)

3試合 300分 0得点

20.

町田浩樹

左利きの大型DFは、当初18名を選ぶ際に森保一監督が最後まで入れるか迷った選手だったようである。それが登録ルールの変更でメンバー入り。本大会では初戦で守備固めとして投入されて役割を全う。サポート役に回ることも多かったが、自らの役割をこなし続けた。

「5分だけでしたけど、試合に出たことは大きな前進だと思う。バックアップだったのが、こういう22人の体制になってから試合に出るためにしっかり準備をしてきました。そこまで緊張はなかったとは自分では思っています」(第1戦終了後)

MACHIDA Koki

1997.08.25

茨城県つくば市

190cm/80kg

鹿島アントラーズ

(鹿島つくばジュニア→鹿島つくばジュニアユース→鹿島ユース)

1試合 5分 0得点

【右SB】

酒井宏樹(左)と橋岡大樹(右)。先輩の金言は後輩に多くの気付きを与えた
酒井宏樹(左)と橋岡大樹(右)。先輩の金言は後輩に多くの気付きを与えた

2.

酒井宏樹

橋岡大樹も中山雄太も相馬勇紀も「酒井さんに教わった」「自分の手本は酒井さん」と嬉しそうに語っていたように、トレーニングから若い選手たちに「酒井道場」の師範として大きな影響を与え続けた。ピッチに立てば、いつでも何度でも相手の左サイドをシャットアウト。「守備はいつも宏樹くんに頼ってしまう」と堂安は笑っていたが、酒井にしてみれば「律を下げさせないで守る」ことは自分に課していたテーマだった。

「(五輪で4位という)同じ悔しさを若い選手に与えてしまった。僕と麻也くんもあれを糧にしてここまで頑張ってきたし、彼らも3位を取れなかったことで『まだ足りなかった』と自覚し、これからもっともっと飛躍していってほしい。彼らと一緒にプレーできた僕ももっとやります。日本に帰って『もう終わり』じゃないし、まだまだです。30の後半になってもトップでやっている選手もいるので、これからもっと成長できるような場所を自分としては選んだ。強いモチベーションと責任感で頑張っていきたい」(3位決定戦を終えて)

SAKAI Hiroki

1990.04.12

長野県中野市出身

185cm/78kg

浦和レッズ

(柏マイティー→柏レイソルU-15→柏U-18→柏→ハノーファー→マルセイユ)

5試合 445分 1得点

15.

橋岡大樹

タフなハートを備える右サイドバックはトレーニングから全力プレー。この合宿からずっと練習してきた右クロスで絶好機を作っていたのも印象深い(決まらなかったが……)。準々決勝・ニュージーランド戦では出場停止の酒井宏樹から「“酒井の代役”ではなく“橋岡大樹”を出してこい」と送り出されて奮起した。

「ムードメーカーも一つの役割かなと思っていて、チームを明るくするだったり、チームをまとめるというか、いい方向にもっていければ。まずはピッチ内でしっかりと自分の良さである戦うところであったりでしっかりチームに貢献したいと思っていますが、もちろんピッチ外でもチームのために働きたいと思っています」(大会を前にして)

HASHIOKA Daiki

1999.05.17

埼玉県さいたま市出身

184cm/80kg

シントトロイデンVV(BEL)

(浦和大久保SS→浦和レッズジュニアユース→浦和ユース→浦和)

3試合 157分 0得点

【左SB】

左SBとしての成長と成熟を感じさせた中山雄太(左)とタフネスと応用力を見せ付けた旗手怜央(右)
左SBとしての成長と成熟を感じさせた中山雄太(左)とタフネスと応用力を見せ付けた旗手怜央(右)

3.

中山雄太

グループステージ第2節のメキシコ戦で相手のキーマン、ディエゴ・ライネスを完封するなど左サイドバックとして守備面で一皮むけたところを披露。「俺たちサイドバックは相手の一番うまい選手と当たるんだ」という酒井の言葉を胸に刻み、死闘となったスペイン戦を含めて安定した守備対応が光っていた。

「(サイドバックとして)いろいろ自分のなかで探ってきた部分もありますし、幸いオーバーエイジにお手本となる酒井選手が入ってきて、プレー面も意識の面も学ぶことが多かった。1日の中でテーマをしっかり決めて、なおかつシーンごとに頭の中で整理しながら練習、試合を進めていくつもりでいます」(大会を前にして)

NAKAYAMA Yuta

1997.02.16

茨城県竜ヶ崎市

181cm/76kg

PECズヴォレ(NED)

(北文間スポーツ少年団→龍ケ崎市立愛宕中学校→柏レイソルU-15→柏U-18→柏)

6試合 485分 0得点

13.

旗手怜央

中山雄太のサブというのがメインの役割と見られていたが、元よりサイドバックからフォワードまでこなせる万能性は買われてもいた。三笘薫が負傷の影響から出遅れた今大会は、結果として左サイドハーフ中心の活躍に。先発して良し、交代でかき回して良し、試合中に立ち位置変わって問題なしと頼れるプレーぶり。

「タフガイ旗手」なんて言葉が出るほど連戦の中でも疲労感を出さなかったのも印象的で、「世界大会に出られる幸せ」を目を輝かせて語ってくれたのも印象深い。

「勝負にこだわる大会の中で、オーバーエイジの選手たちや海外でプレーしている選手と話をしながら得られている部分がたくさんある。(初先発の)フランス戦は正直、試合に入ってからちょっとくらい、ずっと緊張していて、そういう日頃感じられない緊張だったりとかはなかなかこういう大会じゃないと経験できないなあと思って……。でも、そういったところを含めて凄く楽しかった」(グループステージ第3戦を終えて)

HATATE Reo

1997.11.21

三重県鈴鹿市

171cm/70kg

川崎フロンターレ

(FC四日市Jr.EAST→FC四日市Jr.→FC四日市ジュニアユース→FC四日市U-15→静岡学園高校→順天堂大学)

5試合 308分 0得点 1アシスト

【ボランチ】

オーバーエイジで参加の遠藤航(左)、CBとして力を見せた板倉滉(右上)、才覚を証明した田中碧(右下)
オーバーエイジで参加の遠藤航(左)、CBとして力を見せた板倉滉(右上)、才覚を証明した田中碧(右下)

4.

板倉滉

 大会前日に守備の要たる冨安が負傷という緊急事態発生も、「板倉がしっかりプレーしてくれた」(森保一監督)。第2戦、そして冨安が出場停止になってしまった準決勝・スペイン戦はフル出場。大会前から「CBとボランチ“両方の3番手”」「12番目のレギュラー」と目されるちょっと珍しい立場だったが、冨安から「ベンチに座っているのがおかしいレベルの選手」と評された実力をいかんなく発揮した。

 新シーズンから新たな挑戦も始まりそうだが、また一段のレベルアップを遂げて、A代表でもその姿を観たい選手だ。記者会見で「前半に戦う気持ちが観られなかった」との言葉が出たことに対し、仲間をかばって反論してみせた姿も印象的だった。

「今日、ベンチから試合を見ていて、僕から見たら、みんなが力を振り絞って、メキシコに対して戦っていたと思う。全員が銅メダルを最後とって、勝って終わりたいという気持ちを持っていた。連戦の中でも力を振り絞って、最後の最後までメダルを諦めずにやっていた。途中からピッチに入って僕はすごく感じた。結果として1-3で負けたのがすべて。この悔しさというのは間違いなく僕たち個人個人に響いているので、これから自チームでそれをぶつけてくれると思っている」(3位決定戦後の公式記者会見にて)

ITAKURA Kou

1997.01.27

神奈川県横浜市出身

186cm/75kg

マンチェスター・シティ(ENG)

(川崎フロンターレU-12→川崎F U-15→川崎F U-18→川崎F→ベガルタ仙台→マンチェスター・シティ→FCフローニンゲン)

6試合 367分 0得点

6.

遠藤航

 屈辱的な結果に終わったリオ五輪の借りを返すべく合流してきたオーバーエイジのボランチは、「デュエルキング」と評されるとおりの守備でのハイパフォーマンスを披露。潰し役として貢献しつつ、豊富な運動量で駆け回った。ファウル数15は大会全体でも3位(純粋な数では2位)の数字だが、地味にファウルを受けた回数も日本で一番多かったりする(13回)。大会全体でも4位タイ。

 鉄人のような仕事ぶりだったが、3位決定戦は消耗からかさすがに動きが重かったのが悔やまれる。

「今日の試合に関しては自分のせいだと思っている。常に毎試合毎試合、『どうしたらチームを勝たせられるか』ということをいつも考えながらプレーしているし、それは今日も同じだった。でも、あそこで自分がやられたというのが全てだった。批判は全部自分にしてもらえればと思います」(3位決定戦を終えて)

ENDO Wataru

1993.02.09

神奈川県横浜市

178cm/76kg

VfBシュツットガルト(GER)

(南戸塚SC→横浜市立南戸塚中学校→湘南ベルマーレU-18→湘南→浦和レッズ→シントトロイデンVV)

6試合 572分 0得点

17.

田中碧

「本当に楽しみだし、ここまであっという間だった」と笑顔で語っていた大会前。初めての世界大会を誰よりも楽しんでいた選手だった。ボランチとして特にビルドアップの要として活躍。ボールを引き出すプレーも、さばくプレーもさすがだった。

ただ、本人からすれば、「世界に比べたときに自分がいかにちっぽけか分かった大会だった。僕自身がすべてを伸ばしていかないと追い付けない」という自覚も得た大会だった。この思いを成長の起爆剤にしてくれる選手だろう。

「Jリーグでやって来て、優勝もしましたし、自分自身もすごい成長したなと感じてはいた。けれど、それが何一つ通用しないし、そこを認めさせてくれない。自分自身も日本でしか通用しない選手なんだなと思ったし、世界はそれで良しとしてくれない。『まだまだ足りないな、もっともっとサッカーを知って、彼らに追い付いていかないといけない』と感じました」(3位決定戦を終えて)

TANAKA Ao

1998.09.10

180cm/74kg

神奈川県川崎市

フォルトゥナ・デュッセルドルフ(GER)

(川崎フロンターレU-12→川崎F U-15→川崎F U-18→川崎F)

6試合 539分 0得点 1アシスト

【攻撃的MF】

久保建英(上)、三好康児(左下)、堂安律(右下)のレフティトリオ。チームの要となる選手たちだった
久保建英(上)、三好康児(左下)、堂安律(右下)のレフティトリオ。チームの要となる選手たちだった

7.

久保建英

シュート21本という数字、実は大会全体で1位の数字だ。「自分が決めないといけない」という言葉を何度も聞いたが、その思いは数字にもよく表れていたとは言えるかもしれない。また3得点は4位タイの数字であり、3試合すべての先制点を記録したグループステージ突破の立役者だったことも間違いない。特に南アフリカ戦のゴールはスペシャルだった。

ただ一方で、久保が結果を出す中で、「久保に何とかしてもらう」ような、その打開力頼みになってしまったのも否めない大会だった。

「(涙の理由は)わからないですね。あんなに泣くこともないので……。『もう終わってしまったのか』という思いと、『メダルを最後に獲って、勝って終わろう』と言ったのに、獲れなかったことだと思います。自分が決めていれば、自分がアシストしていたら、自分がPKとっていたら……。いろいろなことが頭を巡っていました」(3位決定戦を終えて)

KUBO Takefusa

2001.06.04

神奈川県川崎市

173cm/67kg

レアル・マドリード(ESP)

(川崎フロンターレU-12→FCバルセロナ→FC東京U-15むさし→FC東京U-18→横浜F・マリノス→FC東京→レアル・マドリード→RCDマジョルカ→ビジャレアルCF→ヘタフェCF)

6試合 525分 3得点 1アシスト

8.

三好康児

総出場時間は160分と短かったが、6試合中5試合に出場。どんな状況にも対応できる柔軟性、プレーの安定感があり、計算できる選手として重宝された大会だった。フランス戦では得意の左足シュートで見事なゴールも記録。おそらく本人にとっては満足できない大会だったに違いないが、この悔しさは新シーズンにぶつけてほしい。

「自分のプレーもそうですし、この大会は出場時間も含めて悔しさが残る大会にはなった。もちろんチームの結果もそうですし。チームが勝つために最善の準備をしてやってきましたけど、自分としては、本当に個人の部分でも悔しさの残る大会になったので、それを糧にできればと思っています」(3位決定戦を終えて)

MIYOSHI Koji

1997.03.26

神奈川県川崎市

167cm/64kg

ロイヤル・アントワープFC(BEL)

(川崎フロンターレU-12→川崎F U-15→川崎F U-18→川崎F→北海道コンサドーレ札幌→横浜F・マリノス)

5試合 160分 1得点

10.

堂安律

チームの柱、その象徴たる10番を背負って臨んだこの大会、グループステージ第2戦では1得点1アシストの活躍を見せたが、相手チームの厳重な警戒を受ける中で難しい試合も多かった。

チームのために守備で足を使わざるを得ない展開も多く、攻撃に転じれば最も多くのファウルを受ける中で(12回)肉体的な消耗も大きかった。「自分の結果ではなくチームの勝利」と語っていた思いの強さを感じさせた大会だったが、本人に満足感はないだろう。逆襲に期待したい。

「オリンピック初ゴール? いま言われて初めて気付いたくらいで、チームが勝つために必死なんで。こんなにチームのためにというのも今までの人生で考えたことがないくらい。それだけ自分がこの大会に懸けているというのを感じている」(グループステージ第2戦を終えて)

DOAN Ritsu

1998.06.16

兵庫県尼崎市

172cm/70kg

PSVアイントホーフェン(NED)

(浦風FCジュニア→西宮市少年サッカースクール→ガンバ大阪ジュニアユース→G大阪ユース→G大阪→FCフローニンゲン→PSVアイントホーフェン→アルミニア・ビーレフェルト)

6試合 521分 1得点 1アシスト

【ワイドアタッカー】

相馬勇紀(左)と三笘薫(右)。共に大学サッカー出身のドリブラーが五輪のピッチに立った
相馬勇紀(左)と三笘薫(右)。共に大学サッカー出身のドリブラーが五輪のピッチに立った

16.

相馬勇紀

東京五輪で唯一「東京」出身の選手としてメンバー入り。同じ左MFの三笘薫が負傷で出遅れたこともあり、6試合全てに出場し、3試合で先発を果たした。グループステージ第2節・メキシコ戦でのPK奪取など要所で活躍。「練習でマッチアップしたら絶対勝負しようと思っていた」と語るDF酒井宏樹にシャットアウトされた経験を早速試合に反映させるなど学習能力、適応力を感じさせた大会でもあった。

「この大会で試合をやるにつれて、潜り込むドリブルというか、相手の懐に入っていくということが本当に自分のストロングとしてさらに強くなってきている。自分はよく考えてみたら、正式な世界大会は初めてだったので、そういった面で本当に、まだ大会の真っ最中ですけど、成長というのは実感しながらプレーできています」(グループステージ第3戦を前に)

SOMA Yuki

1997.02.25

東京都調布市

166cm/69kg

名古屋グランパス

(布田サッカークラブ→三菱養和サッカークラブ調布ジュニアユース→三菱養和SCユース→早稲田大学→名古屋グランパス→鹿島アントラーズ)

6試合 282分 0得点 1アシスト

11.

三笘薫

大会直前に行われたAFCチャンピオンズリーグで負傷し、別メニューでの調整が続いた。負傷自体は癒えてもコンディションはなかなか上がらず、試運転となったメキシコとのグループステージ第2戦は、本来のキレを感じられず。さらに準々決勝・ニュージーランド戦でも本来の出来には程遠かった。

しかし、最後の試合となったメキシコとの3位決定戦では圧倒的なパフォーマンスを披露。鋭い切り返しからの鮮やかな“三笘らしい”ゴールで、ノックアウトステージ唯一の得点を記録した。同時に「もし三笘がベストの状態だったら……」という大会最大の「たら・れば」を残すこととなった。

「チームに迷惑をかけてしまった。最後にゴールを決められたけど、それ以外は何もできていない。(負傷は)所属チームで全力でやった結果なので、まったく後悔していない。ただ、自分自身の体のケアも含め、そういったところがまだまだ弱かったと思っています」(3位決定戦を終えて)

MITOMA Kaoru

1997.05.20

神奈川県川崎市

178cm/71kg

川崎フロンターレ

(川崎フロンターレU-12→川崎F U-15→川崎F U-18→筑波大学)

3試合 69分 1得点

【ストライカー】

上田綺世(左)、前田大然(中央)、林大地(右)。三者三様の特長を持っていたFW陣
上田綺世(左)、前田大然(中央)、林大地(右)。三者三様の特長を持っていたFW陣

9.

前田大然

野生のスピードスターはわずか65分の出場にとどまることに。しかもすべてサイドハーフでの投入で、ワントップで起用されることは最後までなかった。それでもフランスとのグループステージ第3戦では見事なゴールも記録した。

サイドで出た際も、献身的なディフェンスで、足の止まった周りの選手たちを支える献身性を発揮してくれた。この借りは早速Jリーグで返してくれるはず。

「(4位という結果は)胸を張っていいと思います。悔しいですけど、これが今の実力やと思って、あとは上へと這い上がっていくだけなので。次はA代表しかないので、このメンバーでできるのは最後になりましたけど、全員がA代表に入るという気持ちでチームで結果を出すしかない」(3位決定戦を終えて)

MAEDA Daizen

1997.10.20

大阪府南河内郡太子町

173cm/67kg

横浜F・マリノス

(太子JSC→川上FC→山梨学院大学附属高校→松本山雅FC→水戸ホーリーホック→松本山雅FC→CSマリティモ)

3試合 65分 1得点

18.

上田綺世

メンバー発表のタイミングで受傷したが、森保一監督の選択はエースの復帰を待つことだった。当初の見立てどおり、グループステージ初戦には何とか間に合ったが、その状況でも選んでもらったことに対する本人の気負いも少しあったのかもしれない。それだけに、どこかで1本決まっていればとも思うが……。

6試合すべてで途中出場を果たしたのは、指揮官の期待の大きさを感じるもの。短い出場時間ながら枠内シュート4本を記録し(チーム2位)、確率50%超となった唯一の選手。総シュート数7本も久保と堂安に次ぐ数字だが、ゴールという結果だけが付いてこなかった。

「今日の試合も、大会自体も、惜しかったという形で終わってしまったのが、すごく悔しい。やっぱりメダルを取りたかったというのはあります。途中出場で期待されていた中で、一つも取れなかったのは悔しいです」(3位決定戦を終えて)

UEDA Ayase

1998.08.28

茨城県水戸市

182cm/76kg

鹿島アントラーズ

(吉田ヶ丘サッカースポーツ少年団→鹿島アントラーズジュニアユースノルテ→鹿島学園高校→法政大学)

6試合 253分 0得点

19.

林大地

指揮官が「この短期間でこんなに成長するんだなというくらい練習を通して、本人のいろいろなプレーの幅やクオリティーが上がっていった」と評したとおり、上田綺世の負傷という緊急事態の中で先発FWに抜擢されて奮闘。攻守両面で体を張ってチームを助けるプレーを続けた。

半面、ゴールやアシストといった得点に繋がるプレーは見せられず。ベルギーのシントトロイデンへ移籍することになり、欧州舞台でさらなる進化が期待される。

「やっぱり選手として試合に使ってもらうということはすごく幸せなことだし、母国で、この代表のシャツを着て、オリンピックに出られるというのは普通のことではない。大きな責任があると思うので、バックアップから選ばれたとか関係ない。今日も森保監督が力強く背中を押してくれたので、そこの期待にはすごく応えようと思っていました」(グループステージ第1戦を終えて)

HAYASHI Daichi

1997.05.23

大阪府箕面市

178cm/74kg

サガン鳥栖

(千里ひじりサッカークラブ→ガンバ阪ジュニアユース→履正社高校→大阪体育大学)

5試合 347分 0得点

サッカーライター/編集者

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。2002年から育成年代を中心とした取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月をもって野に下り、フリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』を始め、『スポーツナビ』『サッカーキング』『サッカークリニック』『Footballista』『サッカー批評』『サッカーマガジン』『ゲキサカ』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。著書『2050年W杯日本代表優勝プラン』(ソルメディア)ほか。

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