平成と天気予報

平成は天気予報が大きく発展した時代だった(著者作成)

 平成の天気予報に明暗。リアルな雨雲予想を可能にしたのはスーパーコンピュータの計算能力向上だ。また、気象予報士の誕生で、個性を競う天気解説が始まった。一方、測候所の閉鎖、気象衛星の打ち上げ失敗など問題も。

いつでもどこでも

 天気予報は日々、世界中から膨大な気象データを集め、物理方程式の答えを求める方法で行われています。それを支えているのがスーパーコンピュータです。1959年(昭和34年)3月にIBM704が官公庁としてはじめて気象庁に導入され、現在は第10代目となる数値解析予報システム(NAPS10)が使われています。

 平成19年(2007年)に行われたアンケート調査(郵送)によると、天気予報の入手先はテレビ、新聞、ラジオの順でした。それが平成30年(2018年)の調査ではテレビ、データ放送、防災行政無線、スマートフォンのアプリの順となり、天気予報を入手する方法が大きく変わったことがわかります。これもスーパーコンピュータの計算能力が飛躍的に向上したからこそ可能になったのです。

 一方、あまりに膨大な気象データを扱うため、人の手には負えなくなってしまった一面も。天気予報がブラックボックス化しています。

役割を終えた測候所

 観測から人手が消えました。平成8年(1996年)から測候所の無人化が進められ、全国にあった測候所は帯広と名瀬を除いて閉鎖されました。当時は地域に根差した測候所が閉鎖され、特別地域気象観測所(機械化)となることに懸念の声が上がりました。

 さらに、富士山測候所の閉鎖です。伊勢湾台風がきっかけとなった富士山レーダは新田次郎の小説で象徴的な存在に。しかし、リモートセンシング技術の向上により、富士山山頂という過酷な気象条件のなかで365日休まず観測を続けるメリットが薄れてしまったのです。

天気予報に平成最大の危機

 平成11年(1999年)11月15日、運輸多目的衛星の打ち上げに失敗し、気象関係者に衝撃が走りました。

 唯一の気象衛星となった「ひまわり5号」の寿命が2年以上過ぎたころ、ようやく米国海洋大気庁の静止気象衛星GOES-9を借りることが決まりました。平成15年(2003年)から平成17年(2005年)の間、パシフィックゴーズの名称で運用されたのです。

 気象衛星は雲の発生や広がりを知るだけでなく、日本列島に近づいてくる台風を観測する重要な役割があります。平成17年2月の「ひまわり6号」打ち上げ成功で、約5年にわたる天気予報の危機は去りました。

個性で競う気象予報士

 平成6年(1994年)8月、初めての気象予報士試験に2,777人が挑戦しました。初めは気象ビジネスが膨らむとの期待がありましたが、天気予報は無料という意識が大きな壁となり、新規参入は限定的でした。

 一方、気象予報士が誕生し、天気予報の番組は大きく変わりました。どちらかというと、気象予報士=キャスターのイメージが強いと思います。個性を生かした天気解説が期待されているけれど、成功した人は少ないでしょうか。

 気象庁が平成25年(2013年)に実施したアンケートによると、気象に関係する業務に従事している人は気象予報士(学生と無職を除く)の約3割で、資格を生かせる場が少ないことが不満の第一位を占めています。

【参考資料】

気象庁:平成19年度 天気予報に関する満足度調査

気象庁:平成30年度 気象情報の利活用状況等に関する調査

気象庁:平成25年度に実施した気象予報士現況調査