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治療に必要な薬がなかったら? 米国では医薬品供給が国土安全保障の問題に

片瀬ケイ在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー
薬剤の安定供給確保は人の命をまもる国家的課題だ(写真は米国国立がん研究所提供)

薬の供給不足でがん治療に影響も

 昨年の夏、米国在住の筆者の配偶者がCTスキャンを撮ることになったが、なかなか検査の予約がとれない。インターネットで検索してみると、CTスキャンで使う造影剤の不足で、すぐに予約がとれずに困ったというがん患者の投稿が目にとまった。筆者も卵巣がん治療をした時には、定期的にCTスキャンを撮る必要があった。自分の細い血管に造影剤を入れる針が入らなかったらどうしよう?と不安になることはあったが、造影剤がないかも?と考えたことはなかった。

 じつはがんを含む様々な病気の治療に必要な医薬品が供給不足に陥ることはめずらしくない。米食品医薬品局(FDA)のウェブサイトには、供給不足の医薬品リストがずらりと並んでいる(注1)。この数年は不足品目数が増え、不足解消にかかる時間も長期化する一方だ。特に2022年は2021年に比べて30%も医薬品の供給不足が増加し、高度医療を誇るはずの米国で、薬剤がないために希望するがん治療が受けられない患者も出はじめている。

 例えば進行した前立腺がんの治療で昨春FDA承認を受けたノバルティス社のPluvictoと呼ばれる標的放射性リガンド治療薬(日本では未承認)は、薬剤供給が需要に追い付かず、米国では新規の対象患者が使用できない状況だ。同社は米国内に製造工場を建設し供給増を急ぐとしているが、現在はすでに同薬剤で治療をはじめている患者への供給に限られている(注2)。

 供給不足はこうした新たな治療薬だけではない。消化器がんや乳がん、肺がん、婦人科がんなど様々ながんの化学療法に昔から使われているシスプラチン、カルボプラチン、フルオロウラシル、メトトレキサートや、膀胱がん治療に使われるBCG、難治性の白血病やリンパ腫向けのCAR-T細胞療法の前処置に必要なフルダラビンなどの供給不足も続いているのだ。

議会もASCOも状況悪化に危機感

 こうしたことから3月には米国連邦議会の国土安全保障・政務委員会で、「医薬品不足がもたらす健康と国土安全保障リスク」に関する公聴会が開かれた。同委員会の報告書によれば2022年末時点で295品目という過去5年で最も多い種類の医薬品が不足しており、不足解消には平均で1年半かかっているという(注3)。中には10年以上も不足状態が続く薬剤もあり、患者ケアに直接的な影響を及ぼしている。米国臨床腫瘍学会(ASCO)も公聴会に対し、薬剤不足は患者ケアから臨床試験の実施に至るまで幅広く影響しているとして、薬剤の安定供給確保に向けた具体的な提案を行うとともに医療のインフラ強化を求めた(注4)。

 医薬品の供給不足には様々な要因がある。需要の急増、品質問題による製造の一時停止、メーカーの経営判断による製造中止、原料や添加剤の供給停止、自然災害や不測の事態によるサプライチェーンの分断など。

 2017年の大型ハリケーンでカリブ海のプエルトリコにある点滴バッグの生産工場が壊滅的な打撃を受けた数カ月後には、米国内の病院が点滴バッグの不足で四苦八苦した。また米国市民もコロナ禍により、医療用マスクからPCR検査のスワブまで多くの医療品を輸入に頼る医療インフラの脆弱さを目の当たりにすることになった。

9割をインド、中国に依存するジェネリック医薬品

 さらに大きな問題なのがジェネリック(後発)医薬品の供給不足だ。委員会の報告書によれば、安価な材料や労働力、緩い規制を求め、ジェネリック医薬品の製造をインドや中国にアウトソースしてきた結果、いまや重要な注射剤の9割以上の使用原料、原薬や製剤を両国に依存しているという。

 利益率の高い新薬と異なり、低価格競争となるジェネリック医薬品製造では、品質向上への投資や柔軟な生産体制が重視されることはほとんどない。製造工程でひとたび品質問題が発生すれば再開までに長い時間がかかり、急な需要増にも対応できない。利幅が縮小すれば、需要があっても経営判断により製造を中止するケースも少なくない。

 薬剤の供給不足に対し、医療機関は在庫している薬剤を小分けしたり、異なる薬の利用や治療スケジュールの調整で患者ケアへの影響を最小限に抑える工夫はしたりするものの、代替できる薬がなければ患者の生死にかかわる治療ができない事態にもなる。

 医薬品の製造は原料から原薬、製剤、完成品の梱包まで国外の多数の供給者が複雑に関わっており、どこで不具合が起きても供給不足に直結する。しかし政府も医薬品産業界もすべてを詳細に把握しておらず、不意打ちのように起こる供給不足に対して対応が後手に回るのが現状だ。 

 ASCOをはじめとする医療者からは、国として重要な医薬品を特定した上で、そうした医薬品の安定供給を確保できる体制の構築を求めている。供給不足の影響を最小限にするためには、FDAによる品質への監視強化や、いち早く問題を特定できるような情報の透明性や予備的な在庫なども必要となる。また海外生産で安価なジェネリック品を調達するビジネスモデルが浸透した現状で、いかに国内生産を増やすかといった難問もある。

日本でも医薬品の安定確保が課題に

 抗がん剤を含む医薬品の供給不足は日本も経験している。2021年後半には膵がんや胃がん、乳がん治療などに広く使われるナブパクリタキセル(商品名、アブラキサン)が世界的な供給不足及び供給停止となり、日本でも代替薬に切り替えた患者も多かったはずだ。また今年3月には再発卵巣がんの治療薬のひとつであるドキソルビシン(商品名、ドキシル)で出荷遅延にともなう影響がでている(注5)。

 日本では2021年以降ジェネリック医薬品メーカーを中心に不正製造の発覚と行政処分が続き、その代替需要に対応できずに長期間にわたり供給不足が起きた(注6)。このため厚生労働省でも「医療用医薬品の安定確保に関する関係者会議」で対策を検討している(注7)が、やはり米国と同様に多岐にわたる対策が必要なようだ。

参考リンク

注1 FDAの供給不足薬剤リスト(英文リンク)

注2 Pluvictoの供給不足を説明する手紙(英文リンク)  

注3 米議会の国土安全保障・政務委員会「医薬品不足がもたらす健康と国土安全保障リスク」報告書(英文リンク)

注4 米議会の国土安全保障・政務委員会に対するASCOからの意見書(英文リンク)

注5 「ドキシル注 20mg」の供給に関するお知らせ(婦人科腫瘍学会のウェブサイトより)

注6 【詳しく】製薬会社の行政処分相次ぐ メーカーに何が?(更新) | NHK | News Up | 医療

後発医薬品 品質不正が示す「薄利多売ビジネス」の限界 | AnswersNews (ten-navi.com)

注7 医療用医薬品の安定確保策に関する関係者会議|厚生労働省 (mhlw.go.jp)

在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー

 東京生まれ。日本での記者職を経て、1995年より米国在住。米国の政治社会、医療事情などを日本のメディアに寄稿している。2008年、43歳で卵巣がんの診断を受け、米国での手術、化学療法を経てがんサバイバーに。のちの遺伝子検査で、大腸がんや婦人科がん等の発症リスクが高くなるリンチ症候群であることが判明。翻訳書に『ファック・キャンサー』(筑摩書房)、共著に『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)、『夫婦別姓』(ちくま新書)、共訳書に『RPMで自閉症を理解する』がある。なお、私は医療従事者ではありません。病気の診断、治療については必ず医師にご相談下さい。

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