Yahoo!ニュース

がんとコロナと認知障害 ある独居の高齢がん患者の現実(上)

片瀬ケイ在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー
コロナ禍で家にこもる時間が増え、認知機能が悪化した高齢者も少なくないようです。(提供:イメージマート)

コロナ禍で失った機会

 新型コロナ対策で日本への入国制限が厳しく、会社も長期に休めないといった理由から、米国在住の私は3年ほど一時帰国する機会を失してきた。コロナ禍で日常生活が大きく揺らいだ米国では、働き方を再考する人が増えた。還暦が近づいてきた私もその1人として、この夏、フルタイムの仕事を辞めた。そして東京で一人暮らしをしている高齢の母と、2カ月ほど一緒に過ごす予定で8月半ばに一時帰国した。

 母は年季の入った大腸がんサバイバーだ。50歳で発症し、何回かの手術と定期的な大腸内視鏡検査で、今年5月に86歳の誕生日を迎えることができた。病院とは縁がきれないものの、定年まで働いた後は習い事や地域活動に参加しながら、一人暮らしを続けていた。

 最後に開腹手術をしたのは腸閉塞を起こして病院に運ばれた2020年の春で、母は84歳になる直前だった。コロナによるロックダウンが世界各地で行われた時期で渡航は困難。日本に行けたとしても病院は感染対策で面会制限をしている。無力感の中で私は米国での生活を続けた。

 ありがたいことに、母の主治医は新たに転移した小腸がんを含め、首尾よく病巣を切除してくれた。時間はかかったが、母は再び近所のスポーツクラブに通えるところまで回復した。しかし手術から一年あまり過ぎた昨年の夏、内視鏡検査でまたもや再発が発覚した。これ以上の手術は難しく、昨年末からTS-1という飲み薬の抗がん剤による治療を始めることとなった。

 幸い吐き気や食欲不振などの副作用はなく、自宅でこれまで通りの生活を続けているようだった。米国から電話をするたびに、スポーツクラブやら月2回の病院通いやらで忙しいとボヤくいつもの母の声を聞いては、安堵した。その一方で、電話で母が口にする繰り返しや日時の勘違いが気になりはじめ、あわててデジタルの日めくり時計を送ったこともあった。

 今年6月の内視鏡検査では、前回の手術で切除した小腸がん周辺にリンパ節転移があったものの、再発した大腸がんには抗がん剤の効果が見られたようだった。その一方で筋力が急に落ちて歩けなくなったので、シルバーカーを押してスポーツクラブに通うようになったと話していた。

 高齢者に対する抗がん剤治療はいつまで続けるべきなのか。今回の一時帰国は、今後の見通しや、母の生活面での問題について把握し、いわゆる「人生会議」について母と直接対話することが目的でもあった。

異変に気付く

 3年ぶりに会った母は二回りほど小さくなっていたが、元気そうだった。耳が遠いため大音量のテレビを見ながら、夕食には近くのコンビニで買ったけっこうなボリュームの餃子をペロっと食べ、ビールを楽しんでいた。これは前回一時帰国した時と同じ光景だった。

 しかし室内は明らかに掃除が滞っており、埃をかぶった不用品やかさばるゴミがアパートのあちらこちらを占拠し、賞味期限切れの食材などもあった。これも高齢の親の家の『あるある』なのだろう。親孝行を長い間サボってきた報いと受け止め、帰国翌日から私は大掃除に奮闘した。

 母は朝6時に起きて食前の薬を飲み、朝食の支度をしてテレビを見ながらゆっくりと食べ、食後には高血圧、コレステロール、骨粗しょう症、下剤、整腸剤など8種類もの薬をのんでいた。これに2週間毎に抗がん剤が加わる。大音量のラジオを一晩中かけつつも夜もよく眠っていたはずだが、朝の薬を飲んだ後、母は再びベッドに戻り眠ってしまった。午後はスポーツクラブに行くと言っていたが、昼頃起きてきた母は、お決まりの葡萄パンと牛乳の昼食をとった後、再びベッドに戻ってしまった。

 そして夕方6時、母は「薬の時間だ」と言って起きてきて、朝食の定番であるご飯とみそ汁の用意をはじめようとした。アナログの壁時計では、午前か午後かの区別はつかない。私は「寝ぼけないでよ」と母をたしなめ、夕食の支度をはじめた。しかしそんな私が目に入らないかのように、母は冷蔵庫をあけて今度はコンビニの餃子をさがしはじめた。

 繰り返しは多いが、会話は成り立つ。テレビのニュースも理解している様子でホッとするが、以前のようにお笑い番組を見ても笑うことがなくなった。そして夕食後、母は突然「不思議なんだけどさ、給食代として誰かが毎日120円を銀行に振り込んでくれるから、私はお金の心配はいらないのよね」と言い出した。翌日以降も「お金」というキーワードを耳にするたびに、母は繰り返しそう主張した。もはや単なる老化とは考えられなかった。

突然始まった認知障害

 あらためて母の居室を見まわすと、以前は様々な予定が書き込まれていた壁のカレンダーには何の印もなく、冷蔵庫や物入には同じ食品や日用品が開封されないまま、いくつも入っていた。引き出しには飲み忘れと思われる薬が大量に置かれていた。その週は抗がん剤のTS-1を飲む週だったが、これも薬袋の中に余りがあり、予定通りに飲めていない様子だった。

 今度は24時間表示のデジタル置き時計を注文し、抗がん剤の飲み忘れについて主治医に相談すべく病院に電話をした。患者が書き込むTS-1の服用ノートを見ると、今年の5月までは服用記録、毎日の体温や血圧、その日の体調などが母の筆跡で几帳面に書き込まれていたが、6月からは白紙だった。近所の人やスポーツクラブで親しくしている人に母の様子を聞くと、初夏まではシルバーカーなしで普通に歩き、毎日のようにスポーツクラブに通っていたという。

 86歳にもなれば、いつ認知障害がでても不思議はない。TS-1の副作用の中には、筋力低下や物忘れの悪化もあると説明書に書かれていた。さらに高齢者は身体的な体調悪化や環境の変化で認知機能が一時的に大きく低下することもあるらしい。

 これまで外科的な治療でサバイブしてきた母にとって、もう手術はできず抗がん剤治療を行うことへの不安は大きかったに違いない。コロナ感染症への懸念や行動制限も影響したはずだ。この2年ほど外出の機会はなくなり、スポーツクラブでも常連さんたちと一言、二言挨拶をかわした後は、無言でプールを歩く程度だったらしい。マイペースで生きてきた母にとっては、久しぶりに来た娘から掃除や服薬管理など生活面の質問をされたのも、混乱やストレスの元だったのかも知れない。

介護保険制度で支えられるのか?

 私は地域の福祉事務所に相談し、とりあえず介護保険の認定申請を行った。介護度を判定するための認定員はすぐに面接に来てくれた。一般的によくあることのようだが、面接となると高齢者は途端に元気になるらしい。家事嫌いの母は、誰かに掃除に来てほしいという要望はあったものの、それ以外は「何の問題もない」アピールをし、実際におおむね的確な受け答えをしていた。

 ドアの外で、ほぼ一日中、眠ってしまう母について認定員に尋ねると、「娘さんが帰ってきて、安心して眠っているのかもしれません。コロナ禍で家に閉じこもり認知機能が低下した人も多いんです。デイサービスで刺激を受ければ、また変わってくると思いますよ」と話していた。

 介護認定には一カ月かかると言われ途方にくれながらも、私が日本に滞在している間にできる限りの母の生活サポート体制を整えるべく、ケアマネージャーを見つけてもらい、デイサービスの見学やヘルパー手配などに文字通り奔走した。母はデイサービスの見学を拒否することはなかったが、施設や一日の活動を説明してくれる見学先の責任者に「自分でお金を払いますから、帰りたくなったらタクシーを呼んで帰っていいですか」と尋ねた。自分がくる場所ではないと確信したようだった。

 私が日本に帰国して3週目。デイサービスの利用について母と議論をする間もなく、さらなる急展開が起こった。(次回に続きます)

在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー

 東京生まれ。日本での記者職を経て、1995年より米国在住。米国の政治社会、医療事情などを日本のメディアに寄稿している。2008年、43歳で卵巣がんの診断を受け、米国での手術、化学療法を経てがんサバイバーに。のちの遺伝子検査で、大腸がんや婦人科がん等の発症リスクが高くなるリンチ症候群であることが判明。翻訳書に『ファック・キャンサー』(筑摩書房)、共著に『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)、『夫婦別姓』(ちくま新書)、共訳書に『RPMで自閉症を理解する』がある。なお、私は医療従事者ではありません。病気の診断、治療については必ず医師にご相談下さい。

片瀬ケイの最近の記事