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聴覚障害を持つ世界屈指のプレーヤー バレーボールの米国代表

柄谷雅紀スポーツ記者
スパイクを放つデービッド・スミス。両耳に補聴器をつけている(写真:REX/アフロ)

難聴でも世界トップに

 難聴でも世界のトップ選手になれる――。

 それを実証しているバレーボーラーが米国代表にいる。

 デービッド・スミス、35歳。背番号は20番だ。日本で開催中のバレーボール男子のワールドカップ(W杯)に出場している世界屈指のミドルブロッカーである。

 高さのあるスパイクに、堅固なブロック、そしてジャンプサーブも一級品だ。5日にあった日本戦では10本のうち7本という高確率でスパイクを決め、サービスエースも奪った。

 2012年ロンドン五輪、2016年リオデジャネイロ五輪に出場し、リオ五輪では銅メダルを獲得。前回の2015年W杯では金メダル獲得に貢献した米国になくてはならない戦力だ。

 気付かない人も多いが、両耳に補聴器をつけている。もちろん、試合でプレーしている最中も。

3歳から補聴器

 生まれつきの難聴だった。スミスによると「2歳か2歳半ぐらいの時に難聴と診断された」という。3歳頃から補聴器をつけ始めた。以来、今に至るまでずっと使っている。「泳ぐときやシャワーを浴びるとき以外は、ずっとつけているよ。もちろんプレーしているときもね」。そう教えてくれた。

 だから、スミスにとっては補聴器をつけている生活が普通なのだ。

「幸いにも私は補聴器を使用できて、普通の公立学校に通うことができた。成長する過程で周りにはあまり難聴の人はいなかったけど」

 自身がハンデだと感じていなくても、声によるコミュニケーションが重要な要素のバレーボールでは、時として不利に働くこともある。代表チームでは大きな歓声を受けることも多く、なおさらである。「雰囲気がうるさいときや、歓声や音楽があるアリーナが1番コミュニケーションが難しい。でも、幸運にもチームメートと長くやってきて、聞こえるときと聞こえないときを分かってくれているので、その問題を迂回する方法をみんなで見つけ出したんだ」とスミスは言う。

米国チームのルール

 「デービッド・スミス・ルール」。米国チームではスミスを生かすために、チーム内にそう呼ばれる決まり事がある。スミスをカリフォルニア大学アーバイン校時代から指導している米国代表のジョン・スパロー監督が教えてくれた。

 スパロー監督は言う。「ボールが空中にあって、デービッド(・スミス)がそのボールをプレーしにいくと、他の人からの声は聞こえない」。だから、ラリー中などボールが動いている場面では、米国チームは「デービッドが叫んで意思表示をしたら、そのボールはデービッドのものにする」という「デービッド・スミス・ルール」のもとでプレーが行われている。

 それはスミスが「トスもできるしレシーブもできる。素晴らしいオールラウンダー」(スパロー監督)だからこそできることなのかもしれない。それだけ自然に、ナチュラルにチームとして成り立っている。

難聴者のロールモデルに

 聴覚障害者にはデフリンピックという五輪のような国際総合大会があり、デフバレーボールも盛んに行われている。スミスのように聴覚障害を持っていても、健常者と同じようにその国の代表チームで、しかも世界トップレベルで活躍しているという例は極めてまれだろう。

 セッターで主将を務めるマイカ・クリステンソンはスミスのことをこう評価する。「デービッド(・スミス)は全てそろった選手。ブロックもアタックもボールコントロールもうまい。ボールをよく見ているし、安定性もある。必要とされる能力を全て兼ね備えた選手だと思う」。聴覚障害なんて何も関係ないと言わんばかりに。

 スパロー監督は尊敬の念を込めて話してくれた。「デービッドはワンダフルな、素晴らしいロールモデルだと思う。米国の子ども、世界中の子どもたちにとって、聴覚に難があってもバレーボールをすることができることを示す素晴らしいロールモデルだ」

 スミスにプレーする上で難しさを感じたことがないかを尋ねると、笑顔で言われた。「3歳から補聴器を使っているから、逆にないのがどんな感じなのか分からないし、私としては克服してプレーし続けるだけだ」

 自分の活躍が聴覚障害者に希望を与えることも自覚している。「自分がやっていることで、多くの人にインスピレーションを与えられることが、本当にエキサイティング。それは、出身の米国だけでなくて、プレーしたことがあるフランスやポーランド、そしてもちろんここ日本でも。難聴者同士でお互い手を差し伸べるというのは、本当にクールだよ!」

 

 9日からW杯後半戦が広島で始まる。

 聴覚障害がある方にも、そうでない方にも、ぜひ見てほしい。デービッド・スミスの生き様と、米国チームのプレーぶりを。

スポーツ記者

1985年生まれ、大阪府箕面市出身。中学から始めたバレーボールにのめり込み、大学までバレー一筋。筑波大バレー部でプレーした。2008年に大手新聞社に入社し、新潟、横浜、東京社会部で事件、事故、裁判を担当。新潟時代の2009年、高校野球担当として夏の甲子園で準優勝した日本文理を密着取材した。2013年に大手通信社へ。プロ野球やJリーグの取材を経て、2018年平昌五輪、2019年ジャカルタ・アジア大会、2021年東京五輪、2022年北京五輪を現地で取材。バレーボールの取材は2015年W杯から本格的に開始。冬はスキーを取材する。スポーツのおもしろさをわかりやすく伝えたいと奮闘中。

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