卵子凍結女性社員に保険提供、アップルとフェイスブック
KNNポール神田です!
アップルとフェイスブックは、福利厚生の一手段として、卵子凍結の保険適用にまで着手したようだ。
これは働きたい女性従業員にとっては、福音だろう。将来の妊娠に備えて若い頃の自分の卵子を保存し、妊娠したくなった時に体外受精で子宮に戻すことができるからだ。しかし、企業の倫理的にはどうなのだろうか?会社都合で妊娠をズラすことを奨励しているようにも見えかねない。
このサービスが適用されるかどうかの有無で、就職する企業も変わる時代がやってくるのだろうか?キャリアの高い女性ほど、生める時期の機会損失が大きいだけに、ニーズはあるのかも知れない。
そして、一番重要なのは、いつ出産するのかという時期を検討しなければならないことだろう。結婚もそうだろう。そのうちキャリアパスの成果データが揃ってくると、アルゴリズムで、出産時期を推薦してれくれるのかもしれない。受精時期に合わせて結婚相手をレコメンドしてくれるかもしれない。
そのうち、適正の会った相手だけを、自分のウォールに表示することも可能となるだろう。
すべてを時系列で同様にフラットに見せるツイッターとちがって、興味のある関係性のアルゴリズムによる友達の重みづけがなされたフェイスブック社会に、我々はすでに慣れ親しんできている。自分が興味のある人のポストだけが表示されるように調整されているからだ。これは、食べ物の好き嫌い化と同じように、情報の偏食化がフェイスブックで進んでいるとも言い換えることができる。
私達は、情報をフェイスブックに選んでもらった方が幸せなのか、苦労してでも自分で選択できる自由を残すツイッターのほうが良かったのか?それは、twitterが、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」を誰もが、感覚的に感じ取ることができる「方法序説」の演繹型社会を実現しているのに対し、フェイスブックはパスカルの「人間は考える葦である」に代表されるように個々は小さな葦であっても総合的には自然界が織りなす帰納型社会を実現している差にあらわれている。
卵子凍結や精子凍結は、自分の肉体的なDNAの賞味期限を延命できるテクノロジーだ。これはこれで素晴らしい。しかし、これからは、オーガニックで生まれたとか、試験管や代理母によるアーティフィシャルで生まれたとかの差も親子関係に影響してきそうだ。
テクノロジーの合理的な簡便性と、運命的な出会いを信じる神秘性との価値観が衝突したり差別・区別される社会にもなりそうだ。