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ロシアとの対話は不要か~鈴木宗男議員訪露の意義を考える

亀山陽司元外交官
(写真:アフロ)

 日本維新の会の鈴木宗男議員がロシアを訪問し、10月2日から4日の間、ロシアの外務省関係者や国会議員と会談を行ったことで、物議をかもしている。

 世上では、鈴木議員の勝手な行動だ、外務省の渡航中止勧告に反している、日本の国益を害する、所属する維新の会への届け出がなかった、ロシアによる日本世論の分断工作に加担している、などの批判が多く見られるし、そうした方向で報じられている。

 そうした批判が果たして妥当なのか、鈴木議員訪露の意義、さらに同議員に対する批判や報道の是非について検討してみたい。

代替策、多様性のない外交戦略

 まず、鈴木議員は自身の訪露について、政治家としての行動であり何の問題もない、ロシアと対話することが重要だとの説明をしている。鈴木議員は政治家として、ロシアとのつきあいが長く、ロシア寄りの政治家と見られているが、これは本人が明言していることであり、事実であろう。それは鈴木議員自身のポリシーであり、それ自体についてとやかく言うことではないだろう。

 現在の日本政府、すなわち岸田政権は対露制裁、ウクライナ支援、G7との連携という政策を打ち出しており、対露政策に関しては、鈴木議員とは真逆であるが、鈴木議員は野党政治家であり、政府方針に従順である必要はない。むしろ、政権与党の政策に是々非々で判断を下し、必要に応じて反対の行動をとることが野党政治家に求められることである。いな、与党政治家であっても、国民のために必要だと考えるならば、たとえ党是に反していたとしても動くのが「国民の代表」としての議員の義務ではないのか。それができないなら、「国民の代表」を辞任し、党職員にでもなればよい。

 政権が反露親米路線を推し進めているからといって、すべての政治家がそれに迎合しなければならないのであれば、それはただの大戦中の翼賛政治と同じである。鈴木議員の政治思想や行動に賛成するか反対するかは人それぞれであるのは当然だが、そういう政治家がいること自体は、日本の政治が健全であることの証であろう。政治の多様性、政策議論の多様性を示したこと、それだけでも鈴木議員の訪露には意義があったと思われる。代替策、多様な選択肢のない外交戦略は脆弱である。

外務省勧告は政権の人間には適用されない?

 次に、外務省渡航中止勧告に反しているとの批判についてだが、外務省は邦人の海外での安全のために、海外渡航に関する危険情報を発している。ロシアは現在危険レベル4(退避勧告)とレベル3(渡航中止勧告)である。ウクライナとの国境周辺のみがレベル4となっており、今回鈴木議員が訪問したモスクワはレベル3である。鈴木議員の訪露は、議員でありながら外務省の勧告を無視したものであると批判されているのである。

 因みにこれらの勧告は、文字通り勧告であって法的強制力のないものである。もちろん、政府の勧告であるから、強制力がないからと言ってないがしろにすべきものではないのは当然だ。

 その上で言えば、岸田首相や林前外務大臣は、レベル4(退避勧告)のウクライナを立て続けに訪問しているのである。政権の人間であれば、外務省勧告は無視してよいのであろうか。岸田首相にせよ、林前大臣にせよ、そして鈴木議員にせよ、勧告を無視してもするべきことがあったから訪問しているのであるから、何があっても自己責任であると覚悟しているはずだ。とやかく言わずともよいのだ。ただ、政権の首相や大臣の訪問は膨大な関係者とコストをかけて行われるものであり、何かあれば自己責任では済まない。そう考えると、どちらの方が問題なのだろうか。外務省勧告を理由に鈴木議員を批判するなら筋の通った説明が必要だ。

ロシアとの対話は国益を害するとの主張の是非

 鈴木議員の訪露は国益を害するとの批判はどうだろうか。これについては、筆者はそもそも、現在のウクライナ支援偏重=対米(民主党)絶対従属とも言える政策が日本の国益だとは全く考えていない。

 対露制裁、ウクライナ支援を支持する人々は、ウクライナを支援することは自由民主主義を守ることだ、世界の秩序を守ることだと盲目的に信じ、ロシアのウクライナ侵攻は国連憲章違反だから制裁されるのは当たり前だと素朴に考え、ウクライナは台湾であり日本であるからウクライナを支援することは日本自身を支援することだと不可解な論理を受け入れている。

 筆者としては、その論理には飛躍や誤解、少なくともあいまいさや不確実性がないか、じっくりと考えてもらいたいのである。これまでの莫大なウクライナへの軍事支援がどこに行きつこうとしているのか、今こそしっかりと見ていく必要がある。それは、ウクライナ自身の荒廃ではないのだろうか。

 ウクライナはこれまであまり知名度が高くなかったため、多くの人々は知らないであろうが、残念ながら自由民主主義において成熟しているとはとても言えない国である。そして、それはロシアのせいではない。なぜウクライナを支援することが自由民主主義を守ることになるのか、筆者には全く理解できない。筆者が以前から指摘していることだが、そもそもウクライナにおける紛争は自由民主主義と専制主義といった政治的イデオロギーの争いではなく、純粋に地域の安全保障の問題なのだ。

 日本の隣国はウクライナではなくロシアであり、ロシアとの関係が日本にとって極めて重要である。その意味でロシアが日本の安全保障にとってウクライナよりもはるかに重要であることは疑いのない事実だ。北方領土問題、北洋漁業など、ロシアと話し合わなければならない問題は多い。

 ロシアとの関係を重視する(これはロシアにおもねるという意味ではない!)必要があることは当然だろう。それでもなお、ロシアとの関係はどうでもよいと言えるのだろうか。

 念のため言っておくが、筆者はロシアを信じているわけではない。むしろ信じていない。ロシアは戦略的に、そして外交的に非常に巧緻であり、現実的であり、すなわちドライである。だからこそ、ロシアの思考回路や行動原理、ロシアが日本と世界をどう見ているのかをよく知り、感情的にならず、慎重につきあう必要があると考えているのだ。ご関心の向きは、拙著「地政学と歴史で読み解くロシアの行動原理」「ロシアの眼から見た日本~国防の条件を問いなおす」をご一読あれ。

定見なき政治の問題

 そもそも、日本の保守派を自認する政治家を含め、日本政府の対露政策には定見がないように思われる。岸田首相もそうだが、現政権は安倍政権の流れを大きく汲んでいる。当時、安倍元首相はプーチン大統領との関係構築に腐心していた(筆者自身は安倍政権のロシア偏重の対露政策を行き過ぎだと考えていたが)。

今はどうか。安倍晋三を礼賛し、安保政策を継承すると言っている人々がロシアを強く非難している。彼らは言うだろう。国際秩序を守らないロシアが悪いのだと。

しかし、実はロシアは何も変わっていない。2008年にはグルジアに侵攻しているし、2014年には既にクリミアを一方的に占拠、併合している。ロシアは以前から一貫してロシアなのだ。日本の政治家たちが、いかに世論や国際政治に流され、軸の定まらない対外政策を行っているかがわかろうというものだ。そういう人たちが、国益、国益と言ったところで、国益という言葉で何を指しているのか我々国民にわかるはずがない。

 そもそもロシアとの対話がなぜ国益を害するのか。ロシアと対話することはロシアによる日本世論分断工作だという考え方もあるようだが、果たしてそうだろうか。世論は様々であり、鈴木議員を含め、いろいろな立場があるのは当然だ。それとも、政府の見解、さらに言えば、アメリカの立場と異なる意見を表明することは、すべてロシアや中国による分断工作に毒されていると言われてしまうのだろうか。そうだとすれば、非民主的だし、なにより、住みにくい国だというほかない。

 鈴木議員の考えを批判するのももちろん自由だ。しかし、政治のレベルでなされる批判は生産的であるべきだ。議員の訪露という時点で、もう受け入れられないというレベルの批判では次元が低すぎる。政策を語る人であるならば、鈴木議員の訪露を頭ごなしに批判する前に、なぜロシアと対話するべきでないのか、外交戦略の次元で説得的な説明を聞かせていただきたい。

元外交官

元外交官 1980年生まれ。東京大学教養学部基礎科学科卒業、同大学院総合文化研究科地域文化研究専攻修了。外務省入省後、ユジノサハリンスク総領事館(2009~2011年)、在ロシア日本大使館(2011~2014年)、ロシア課(2014~2017年)、中・東欧課(ウクライナ担当)(2017〜2019年)など、10年間以上ロシア外交に携わる。2020年に退職し、現在は森林業のかたわら執筆活動に従事する。気象予報士。日本哲学会、日本現象学会会員。著書に「地政学と歴史で読み解くロシアの行動原理」(PHP新書)、「ロシアの眼から見た日本 国防の条件を問いなおす」(NHK出版新書)。北海道在住。

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