Yahoo!ニュース

地方でも、芸術にふれる機会がもっとあるといい。「地方で音楽家は生きていけるのか?」を実践する道へ

甲斐かおりライター、地域ジャーナリスト
プロのフルート奏者、伊藤愛さん(本人提供)

都会にはあふれていて、地方には足りないもの。

その一つが、芸術にふれる機会かもしれない。

生の演奏を聴く、一流の絵画を目にする。そうした機会は、都会に比べてたしかに少ない。芸術を職業にする人がいるという事実も、地方の子どもたちには身近に感じられなかったりする。

情報格差は薄れている面もあるが、暮らしている地域によって、享受できる文化に大きな差があるのは事実だ。

一方で、近年、「アーティストインレジデンス」の制度を設けている地域も珍しくない。

アーティストインレジデンスとは、NPOや自治体が、国内外のアーティストや芸術家の卵を招き、住まいと制作環境を安価で提供するプログラム。

滞在中にアーティストが地域の文化を掘り起こし、地元の人たちの交流のなかでいい風をもたらす効果を期待して行われる(*)。

プロの音楽家として、鹿児島大隅半島の小さなまちで、このアーティストインレジデンスを始めた女性がいる。

若手のプロのフルート奏者、伊藤愛さん。

「地方で、音楽家は生きていけるのか?」の追求と「都会には溢れ、地方には足りないもの」を提供しようとする試みを紹介する。

大隅半島の東海岸西部に位置する錦江町からのぞむ鹿児島湾(筆者撮影)
大隅半島の東海岸西部に位置する錦江町からのぞむ鹿児島湾(筆者撮影)

■「音楽が都会に一極集中している」

鹿児島県大隅半島の東海岸西部に位置する錦江町。人口6640人のまち(2023年1月)である。

ここで、若手のプロフルート奏者をしながら「アーティストインレジデンス」の運営を始めたのが伊藤愛さん。

2021年に地域おこし協力隊として錦江町に移住した。独立後も、アーティスト支援事業を続けるために、3年目になる今年「一般社団法人あわい」を仲間と立ち上げた。

現在、アーティストが滞在できるレジデンスの改修費用を、クラウドファンディングで募集している。(『地方にもアーティストの居場所をつくりたい』

伊藤さんは高校卒業後、フランスで音楽を学び、帰国してからは東京芸術劇場の「芸劇オーケストラ・アカデミー」に参加し、フリーランスの演奏家として活動を始めた。ところが半年もしないうちに、世の中はコロナ禍によるパンデミックに陥る。

決まっていた出演予定の公演が数ヶ月先まで全て白紙になった。

「学生時代は、ただ音楽を好きな気持だけでやってきました。でも職業である音楽家として、自分は何をしたいのか?真剣に考えました」

そんな時に知ったのが「音楽が都会に一極集中している」現状だった。地方では、生の文化芸術に触れる機会が圧倒的に少ない。

「どうやって地域に音楽を届けるか。ホールで待っているだけじゃなく、音楽家自身が出向いていく必要があるんじゃないのかと思いました」

「地域おこし協力隊」の制度を知り、いくつかの地域にアプローチしたが「芸術」と聞くと渋い顔をされた。

そんな中で錦江町に出会う。錦江町の担当者は、伊藤さんの話を聞いて開口一番「面白いですね!」と言ってくれたのだという。

伊藤愛さん(本人提供)
伊藤愛さん(本人提供)

■音楽の真の価値に気づいた

「協力隊の間、どんどん挑戦して失敗したらいい。尻拭いは自分たちがするから」と職員が背中を押してくれる中で、伊藤さんはアーティストを招き、錦江町でワークショップや演奏会を開催する取り組みを始める。

漫画家を招き、子どもたち向けの漫画ワークショップを行ったり、指揮者を招いて演奏会を行ったり。錦江町にはなかなかいない職業の人を積極的に招いた。

廃校の一室を拠点として活用している(筆者撮影)
廃校の一室を拠点として活用している(筆者撮影)

伊藤さん自身も、小さな演奏会を開き始める。

そのうちに、東京にいた頃には感じなかったことに気づき始めたという。

「初めて幼稚園の集まりで演奏させてもらった時、小さな子どもたちが目をきらきらさせてじーっと見るんです。素直に新しいものを吸収しようとする姿が強く心に残って。演奏する側と聴く側の距離も近くて、一緒にその場をつくっていく感覚がありました」

夢中で見つめる園児たち。演奏後、子どもたちは初めて聴くフルートの音に「綺麗だね〜」「素敵だね〜」と一生懸命感想を伝えてくれたそう(提供:伊藤愛)
夢中で見つめる園児たち。演奏後、子どもたちは初めて聴くフルートの音に「綺麗だね〜」「素敵だね〜」と一生懸命感想を伝えてくれたそう(提供:伊藤愛)

高齢者サロンで演奏した際には、涙を流して演奏を聴いてくれる人もいた。

「生の音楽の迫力を感じてもらえたのか、皆さんボロボロ泣いてくださるんです。こんなに近くで演奏を聞いたのは初めてだと言ってくれて。認知症の方が堰を切ったように昔の話をしてくれたり。音楽の力ってすごいんだなと、私のほうが教えられるようでした」

幼稚園児も高齢者も、「クラシック」という音楽のジャンルや「芸術」といった先入観なく、純粋に音楽にふれて心を動かされたに違いない。

「東京のホールでの演奏会では、聴く人と演奏する人の間に境界線があって、自分が演奏している時は、常にお客さんにいい演奏かどうかを判断されているような感覚がありました。もっと、目の前の人に喜んでもらえたらいいんだと思えるようになりました。ここでは純粋に音楽を音楽として楽しんでくれる人たちがたくさんいる気がするんです」

クラシック音楽を聴く人の98パーセントは業界関係者で、残りの2パーセントに愛好家や目指す人たちが含まれるという統計数値があることを伊藤さんは教えてくれた。

「自分は音楽家として、ホールで待っているのではなく、自分の足で土地に届けにいくというスタイルのほうが合っている気がします」

地元で開いた演奏会(提供:伊藤愛)
地元で開いた演奏会(提供:伊藤愛)

■「地方で、音楽家は生きていけるのか?」にチャレンジ

 そうは言っても、地方で芸術家が芸術家として生きていくのは容易ではないだろう。デザイナーでさえ、数年前までは地方で生業にするのは難しかった。先人たちが道を切り拓いてきたおかげで、デザインに対する意識は、ここ数年で大きく変わってきたが、芸術家はまだまだ地方では珍しい。

「たしかに、音楽家ってよくわからないし、最初の頃は腫れ物にさわるような感じが周囲にもありました。演奏をお願いしたいと思っても相場がわからないとか、どう頼んでいいかわからないと言われることも多かったです。いまは演奏を依頼される場合は、これから地域に入るアーティストのことを考えて、私の使命の一つだと思って、勇気をもってきちんとお金を要求するようにしています」

伊藤さんの人柄や、まちの行事にも参加するなど、一人一人との関係を大事にしてきたから実現している面もあるのではと思えた。

小さなまちで、プロのクラシックコンサートにお金を払うという感覚が、一般の人たちにどの程度受け入れられるものなのだろう?

「最近開催したコンサートで、初めてこれまでの1500円の倍の額、3000円の値段をつけたんです。それでもお客さんは減らないどころか少し増えました。気付いたのは、自分のために時間を使うことを求めている人が多いのではということです。

地方にいると娯楽も少ないし、どこへ行っても知り合いがいて、一人でほっとできる時間が意外と少ないのかもしれません。仕事をして家に帰ってもそれぞれの役割があって。

時には役割を降ろして、一人で何かに没頭したり、音楽を楽しみたい人がいる。金額じゃないんだと思えました」

伊藤さん(筆者撮影)
伊藤さん(筆者撮影)

今後は自らが演奏するだけでなく、一般社団法人あわいを通して、コンサートなど芸術活動の企画運営や、外の芸術家の受け入れを事業の柱にしていきたいと考えている。

海外では、野外などラフな格好で音楽を楽しめるクラシックコンサートも広く開催されている。

自然豊かな地方でこそ、もっと音楽を楽しむ場が増えるといい。地方の魅力は、文化度を高めることでより磨かれるのではないかと思う。

『地方にもアーティストの居場所をつくりたい』(READY FOR)

(*)対象分野は「美術」「舞台芸術」「工芸」「映像」のケースが多く、「音楽」が含まれるのは比較的少ない。

ライター、地域ジャーナリスト

地域をフィールドにした活動やルポ記事を執筆。Yahoo!ニュースでは移住や空き家、地域コミュニティ、市民自治など、地域課題やその対応策となる事例を中心に。地域のプロジェクトに携わり、移住促進や情報発信、メディアづくりのサポートなども行う。移住をテーマにする雑誌『TURNS』や『SUUMOジャーナル』など寄稿。執筆に携わった書籍に『日本をソーシャルデザインする』(朝日出版社)、『「地域人口ビジョン」をつくる』(藤山浩著、農文協)、著書に『ほどよい量をつくる』(インプレス)『暮らしをつくる』(技術評論社)。

甲斐かおりの最近の記事