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今、大地が呼吸不全を起こしている。自然の蘇る力を生かした開発への移行

甲斐かおりライター、地域ジャーナリスト
田島山業が被った被害箇所で「大地の再生 結の杜づくり」の矢野さんに指示を仰ぐ様子

あの時、山で何が起こったのか

「1時間に120ミリの雨が降って電気も止まるし、道も全部だめになりました。4ヶ月たっても山に入れない。木が出せないので収入ゼロです。」

田島山業株式会社の田島信太郎社長は、一息にそう話した。

国内屈指の木材の産地、大分県日田市中津江村。田島山業の前身である田島家は、鎌倉時代からこの地で林業を営んできた。市場を通さず独自の販路を開拓するなど新しい林業の方法を模索し続けてきた会社である。

この田島山業の山が、2020年7月の九州豪雨で大きな被害を受けた。自社で整備した林業用の私道だけで、被害は100箇所以上。しかもその崩れ方が尋常ではなかった。水が流れた跡もないのに地面がざざっと下に落ちている。木が立ち木のまま滑り落ちそのままの向きで倒れている。会社には40年以上林業に携わってきた人や、伐採の腕前は誰にも引けを取らない現場派などプロ揃い。そうした面々をしても解明できない現象が多発。いったい山で何が起こったのだろう。

その謎を解明したいと招いたのが、一般社団法人「大地の再生 結の杜づくり」の矢野智徳(やの・とものり)さんだ。矢野さんはここ約30年の間、荒れた土地や畑、被災地など数々の現場に入り、土地の水脈を整えることで、自然がみずから蘇ろうとする力を生かして環境改善を行ってきた人だ。

紅葉の真紅がまだちらほら目につく11月中旬。矢野さんは5人のチームメンバーとともに田島山業を訪れた。田島山業のオフィスには従業員も含めて15名ほど。私たち取材班もこの貴重な現場に立ち会わせてもらったのだった。

田島山業のオフィスに集まった従業員と矢野チームのメンバー。(撮影:後藤 史成。以下同 )
田島山業のオフィスに集まった従業員と矢野チームのメンバー。(撮影:後藤 史成。以下同 )

ダムの話以前に見るべき視点

2020年7月上旬に起きた九州豪雨は熊本県を中心に九州全域に甚大な被害をもたらした。テレビでも大きく報道された球磨川流域ではとくに被害が大きく、10年前に白紙撤回された川辺川ダム建設の話が再び持ち上がったのも「ダムがあれば浸水面積が約6割減だった」という推定値が公表され「どれほどの被害を出さずに済んだか」の議論が再燃したからだ。

当時建設中止を決めた熊本県の蒲島知事本人が「自分の決断を翻すのは容易ではない」としながらも、流水型ダムの建設決定を表明。それがちょうど、この取材を行った2020年11月のことだった。

ところが、こうしたダムの話以前に、見るべき視点があると話すのが、矢野さんである。

矢野さん「ダムそのものが悪いわけじゃないんです。そのつくり方、上流の水をどう対処するか。巨大なコンクリートで垂直に水をせき止めるのではなくて、自然に水の加速を緩めるような角度で受け止め、ほどよい量を流し続けてやる。そういう自然に沿った機能を取り入れることが重要で。現代土木にはその視点が欠けていて災害対策としても生かされていない。これが問題だと私はみています」

初めてお会いした矢野さんは、長く自然に関わる人はこうなのかと思うほど、ただ無心にそこに存在しているような、ゆっくりと穏やかに話す、気配の静かな人だった。

一般社団法人「大地の再生 結の杜づくり」の矢野智徳さん。
一般社団法人「大地の再生 結の杜づくり」の矢野智徳さん。

水脈が渋滞を起こす

田島山業の有する1200ヘクタールの山は、九州北部一帯の水資源である筑後川や矢部川などの上流域にあたる。山には公道だけでなく、自社で整備した林業用の私道も35本。いずれも大型の10トントラックが入る4メートル幅の立派な道だが、これらがことごとく被害を受けた。

矢野さんは、田島さんたちの話を一通り聞いた上で山全体の地図を指しながらこう話し始めた。

矢野さん「被害にあった場所の水脈をみると下流にダムがありますよね。大雨が降ると、このダムが水をせき止めてものすごい量の水が溜まるんです。すると本流の水が上流に向かって水はけを悪くして、連なる水脈全部が渋滞するのです。川の合流地点にも次々と水が貯まって大きな岩も持ち上げるような水柱ができ、山がスポンジのように水を吸って。するとどんなに急峻な崖でも、水の抜け場がなくなった土地が下から引っ張られるようにして崩れます」

上から大量の雨水が流れて崩れたのではなく、流域一帯に水が溜まり、山の斜面が水を大量に吸収して耐えきれなくなり崩れ落ちたというのである。この話に、田島山業の人たちは驚きの表情を浮かべていた。

「続きは現地で」ということで、いざ被害現場へ。

水が滞留した痕跡

まず訪れたのは国道442号線沿いの鯛生(たいお)川と支流の合流地点。砂防ダムのすぐ下流で、この日は穏やかに水が流れているが、よく見ると川岸の土が大きくえぐられている。

「豪雨の日、鯛生川は溢れていて、上流からの水は加速する一方で、ここで渦を巻くように水が滞留したんですね。水かさがぐーっとあがって壁面に水がどんどん浸透して土を削った形跡がある」と矢野さん。

水でえぐられた跡。
水でえぐられた跡。

道なき藪にぐんぐん入っていく。
道なき藪にぐんぐん入っていく。

矢野さんチームは川上に向けて、道なき藪にぐんぐん入っていく。必死でついていくと、砂防ダムを見渡せる場所に。ダムには多くの土砂が詰まっていて、水が十分に流れない状態のまま。

矢野さん 「こうした堰堤(えんてい)や砂防ダムが水の流れを邪魔していることが多いんです。守ってくれるはずのダムもメンテナンスされないと流れの詰まりをつくってしまう。ここも豪雨の時は、相当高い位置まで水がたまっていたはずです。斜面に倒れている木々を見るとぐるぐると水が渦をつくっていたことが、わかりますよね。」

水の流れを妨げる原因になっていた砂防ダム。
水の流れを妨げる原因になっていた砂防ダム。

   ここで水が渦をつくったことが木々の向きでわかる。
   ここで水が渦をつくったことが木々の向きでわかる。

これを改善するには砂防ダムの砂利を取り除き、ダム前を掘って自然の流れがつくり出すような水のたわみをつくってあげるのがいい、と矢野さん。さらに砂防ダムに大量の水が直撃しないよう、手前に川の蛇行に沿って水の速度を落とすような抵抗をつくってやる。コンクリートではなく、その場にある倒れた木々や石を組み込み合わせて自然な抵抗柵をつくるのがいい、という。

こうした水の渋滞はこれまでに他の被災地でも起こっている。それを裏付ける映像がある。2018年7月の西日本豪雨後、広島県呉市安浦町の野呂川ダム入り口から上流にかけてドローンで空撮したもの。

ダムの入り口や支流との合流地点にも、水が運んだ土砂があふれている。

田島山業で見た現場も、この事象と符合するものだった。

水と空気の抜ける道をつくる

しかし山が必要以上に水を溜め込まないために、何ができるのだろう。今ある巨大なダムや砂防ダムを壊すわけにはいかない。

山腹の四ツガイ線と呼ばれる地点で矢野さんたちはそのヒントを見せてくれた。

矢野さん「土地に水や空気の抜ける道をつくってあげればよいのです。」

そう言うと矢野さんは地面に、手持ちのクワで細い道筋をつけ始めた。チームのメンバーが後に続く。足元は工事現場などでよく見るネズミ色のドブのような匂いのする土、グライ土壌(*)。その地表面に、ゆるやかに蛇行した細い道筋をつけると、みるみる筋に水が湧いて、細い流れになって流れ始めた。あたりの淀んでいた空気も、すーっと抜けていくのが感じられる。

みなでグライ土壌に水の道筋をつける。
みなでグライ土壌に水の道筋をつける。

矢野さん「今は濁っていますが、次第に透明の澄んだ水になって水量も増していきます。土中にヘドロのように停滞していた空気や水が大気圧に押されて動き始めると、グライ土壌も泥水も消えてきれいに澄んでいく。するとこれまでガスと泥あくのせいで発芽し切れなかった草たちがみるみる発芽します。」

地中に詰まった空気が抜けて、水の抜ける道ができれば、空気の通りもよくなって周囲の環境が改善していく。これが矢野さんの大地の再生の基本の考え方である。

どんな土も空気が停滞し水の抜け道がないと、こうしたガスの溜まったグライ土壌になる。そこに空気を抜いて、水の通り道をつくってやると次第に普通の土に戻るという。
どんな土も空気が停滞し水の抜け道がないと、こうしたガスの溜まったグライ土壌になる。そこに空気を抜いて、水の通り道をつくってやると次第に普通の土に戻るという。

ところがこの現場は10トントラックが頻繁に通る場所。細い水筋ではあっという間にまた埋まってしまう。一般的な土木工事ではU字溝をつくってコンクリで蓋をするのが普通だが、とあるスタッフが問うと矢野さんはこう答えた。

矢野さん「U字溝で流れをせき止めるのではなくて、ここにあるもので水の通り道をつくればいい。1メートル幅ほどの溝をほって、木や枝葉を柵(しがら)ませて(*)組み込んで、10トントラックの重圧がかかってもつぶれない水と空気の通り道をつくってやる。その上で雨風の力にならって軽く埋め戻しをすれば、上をトラックが通っても大丈夫です。」

田島山業の人たちはみな信じられないといった顔。木や枝葉で水の道をつくれば腐ってしまうし強度がない。だからコンクリートに頼ろうというのが常識。だが矢野さんの方法では、地中の水や空気の流れが改善する頃には自然とその木々が地に還りながら、同時に新しい生きた周囲の植物の根が育ち、スクラムを組んで重圧を支えていくという。

言葉を失った様子の従業員に感想を問うと「言われとることはわかるけど、これまでの土木や林業の常識では考えられん。やった結果をこの目で見んことには信じられん」。ある方は「やったことないけんねぇ。想像もつかん」と半信半疑の様子。

唖然としながらも真剣に聞き入る田島山業の方々。
唖然としながらも真剣に聞き入る田島山業の方々。

たった半日で田んぼに水が戻った

矢野さんはもとは造園家だった。大学で自然地理学を学び、造園業の現場で、土中の空気が動くと水も流れがよくなり、周囲の植生や環境がよくなることに気付く。夜間の大学に通い、元日本地理学会会長の中村和郎教授に師事。1999年に「環境 NPO 杜の会」、3年前に一般社団法人「大地の再生 結の杜づくり」を設立。「水と空気の通り道」を生かした環境改善を進めるために各地の現場に入り、大地の再生講座や改善予防を提案している。

矢野さんを支えるメンバーもみな、矢野さんの手により植物や周囲の環境がよくなる現場を見てきた方たちばかり。その一人、下村京子さんは、2018年の西日本豪雨後に地元の広島県呉市安浦町で、矢野さんが滞った水脈を、見事元に戻した現場にいた。

下村さん「ひと月たっても復旧はいっこうに進んでいなくて、地区には土砂や大木が散乱したまま。田んぼに水が一番必要な時期に、水害の影響で水の道が変わって水が入らなくなっていたんです。役場の人は直せるかどうかもわからないって感じで。地元の人たちにとって田んぼは命より大事なもん。みなさん藁にもすがる思いで矢野さんを呼ばれたんですね。入ってすぐ矢野さんは重機を使って、コンクリートではなく、そこにある流木・土・石を用いて水の道を元に戻しました。そしたらたった半日で、田んぼへの水が戻ったんです」

はじめは泥水だった川が、雨が降るごとに次第に清流になっていったという。田島山業のグライ土壌で見たのと同じ現象だ。

現在、一般社団法人「大地の再生 結の杜づくり」の活動を中心的なスタッフの一人として支える下村京子さん。
現在、一般社団法人「大地の再生 結の杜づくり」の活動を中心的なスタッフの一人として支える下村京子さん。

自然の機能を生かすように2〜3割だけ手を入れる

矢野さん「いま全国で起きているのは、大地の呼吸不全です。大地の血管である水脈が、溜池、U字溝などの水路、砂防ダム、大型ダム、コンクリート道などの人工物にふさがれて、土中の水と空気が循環しなくなって土壌が呼吸不全になる。それで泥水や洪水の問題が起きたり、生き物も弱り、木が枯れるなど生態系に異変が起きています。」

近年頻発している自然災害は異常気象ばかりが原因ではなく、現場を検証すると、被害を大きくしている隠れた要因が見えてくると矢野さんは言う。コンクリートで覆われ、水脈機能が低下した大地。

矢野さん「ダムは必要かもしれませんが、自然の機能やシステムを壊さない範囲においての話です。ダム以前に解決する問題が歴然とある。たとえばあの球磨川の災害も、まず川にかかる高速道路の橋脚部分に水が当たって本流に渦流が生じることで水位が上がりました。それが上流に向かって連鎖反応を起こし、すぐ上流の一般道の橋下の水位も上昇して、水の上部を流れる流木が次々に橋桁に引っかかりダム化した。そこから氾濫が生じて、市街地、下流域の集落を襲ったと考察できます。水脈機能の連鎖の問題を改善しないと、二重三重の被害が起こる可能性が十分あります。」

100%人工的に自然を抑え込むのではなく、自然の機能を生かすように人が2〜3割の手を入れてやると、自然はみずからの力で再生していくという。むしろ自然は放っておいても再生の方向へ向かうから、人が手を貸すことでその速度を早めようとする。現代土木の技術やコンクリートで固めること自体が問題ではなく、自然に沿う形で、そうした技術を駆使しようという話である。

田島山業では、まず何から手をつければよいのだろう。

矢野さん「単位を小さくゾーニングして点と線の改善から始めることです。山全体に張り巡らされている点と線の脈機能を活用して水脈改善していけばいい。

田島さんの山は下流域への影響も大きいので、流域全体として考えないといけないと思うんですね。小さくても地域のみんなとスクラムを組んで、互いに助け合う結(ゆい)の作業で山の整備をやっていくこと。そして日々観察することがとにかく大事です」

矢野さんによる見立ての2日目は、山腹の荒れ地を再生する実作業にあてられた。矢野さん自身ユンボに乗り込み、荒れ地の端に幅2メートルほどの溝を掘って水と空気の通り道をつくる。田島山業のスタッフも一緒に、溝に木々や枝葉を組み込むように入れ、弾力のある水脈をつくった。こうして空気と水の流れができれば周囲の植生が回復し、荒れた環境が蘇っていくという。

半年、一年後、数年後と、この場所はどう変わっているだろうか。

現場にある木や落ち葉を使う。
現場にある木や落ち葉を使う。

荒れ地脇に掘った穴に、木々を織り込むようにして入れ、上から笹の葉をかぶせる。(この写真のみ、筆者撮影)
荒れ地脇に掘った穴に、木々を織り込むようにして入れ、上から笹の葉をかぶせる。(この写真のみ、筆者撮影)

自然界は不足を前提に成り立っている

後日、田島社長に今後のことを聞いてみた。

田島さん「普通なら、この道何十年のプロがよそから来た人に違うこと言われたら反発しますよね。でも現場のスタッフみんなが、理屈としては矢野さんの話にものすごく腹落ちしたというわけですよ。私なんかよりずっと山のことわかっとる人たちよ。だから信用するじゃない。

ただ、どうやるかが問題。まずはできるところから、木を伐り出すごとに重機で空気と水の通る点穴を開けてみようとか。ただ復旧作業についてはね、やっぱり県や国に応援してもらって、規準に沿って進めなければいけない。その時、新しくつくった道の脇に穴開けるって言ったら頭おかしいって言われますよ、現代土木の視点では。だから一度道を整備した後の、メンテナンスで道脇に点穴を開けてやるのがいいんじゃないかと今は思っています。」

田島山業 田島信太郎社長
田島山業 田島信太郎社長

矢野さん自身、これまでに何度も行政や人々から「数値と理論」を求められてきた。理論体系化され立証されて初めて予算がつく。ようやくここ10年ほどで実績を蓄積し今それをまとめる段階にある。ただ理論や数字を偏重することには危惧もある。

その偏重が人と自然の距離をつくってきたからでもあるだろう。数字より大切なのは五感による感覚測定や感覚学習だと矢野さんは言う。

矢野さん「数字がなくても誰でもできることなんです。目で見てさわって感じて。昔の人たちはクワ一本で見事なほど安定した地形を保っていた。それは自然をよく見て、自然がどう動きたいかを知っていたからです。

僕は、環境学習とは『自然界は不足を前提に成り立っている』と知ることから始まると思っています。水も空気も足りないところに移動しようとする。循環とは、不足を調整するエネルギーが生み出す結果なんです。

食料も経済も、十分に満たされることなんてあり得ない。すべての生き物は毎日必死になって不足を補うように生きている。足りなくて当たり前なんです。生態系の一員である限りこのリスクを受け入れるところから始めるしかない。きれいごとじゃないんです」

矢野さん。
矢野さん。

人間だけが100%満足するような開発はすでに行き詰まりを見せている。

自然と呼吸を合わせた現代土木や林業の方法が求められているということだろう。毎年のように起こる災害が、今のやり方では限界だと教えてくれている。

(写真:後藤 史成 )

(*)柵(しがら)ませる…一般的には水流をせき止めるために、杭、木の枝や竹などを結びつけることなどを言うが、一般社団法人「大地の再生 結の杜づくり」では、種々のものが同じエネルギーのうねりをもってスクラムを組んでいく自然のありようを指す。ともに空気をつないでいく連携、形だけでなくエネルギーの動きも含むニュアンスをもつ。

※本記事は、まちと森がいかしあう関係が成立した地域社会を目指し、竹中工務店、Deep Japan Labとグリーンズが共同で運営している「キノマチ会議」において作成された。

ライター、地域ジャーナリスト

地域をフィールドにした活動やルポ記事を執筆。Yahoo!ニュースでは移住や空き家、地域コミュニティ、市民自治など、地域課題やその対応策となる事例を中心に。地域のプロジェクトに携わり、移住促進や情報発信、メディアづくりのサポートなども行う。移住をテーマにする雑誌『TURNS』や『SUUMOジャーナル』など寄稿。執筆に携わった書籍に『日本をソーシャルデザインする』(朝日出版社)、『「地域人口ビジョン」をつくる』(藤山浩著、農文協)、著書に『ほどよい量をつくる』(インプレス)『暮らしをつくる』(技術評論社)。

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