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台湾在住サーファー清水淳×岩佐大輝 対談~台湾に根付いた人生とその先に描くビジョンを語る~

岩佐大輝起業家/サーファー
photo by DRAGONPRESS沼田孝彦

台湾・東河郷でサーフィンのパイオニアとして活躍する清水淳さんとの対談も終盤に。この地で直面した試練と葛藤,数々の困難に立ち向かいながらもアグレッシブに生きる淳さんがこの場所にかける思いを語ってくれた。

<前編 移住の地・台湾で追い求めるスタイルとは>

<中編 異質に対する寛容さが魅力あるローカルを創る>

岩佐:サーフィンの話に戻りたいのですが、サーファーにとって東河郷は台湾サーフィン聖地と言われる場所ですよね。ここの波はどんな特徴があるんですか?

清水:ここの波はとにかく万人受けする波です。9月から季節風が吹き始めて波のサイズがどんどん上がって、日本に北風が吹いている時期に風を受けて波のピークを迎えます。そのあと4月くらいで高い波は終わって易しいシーズンになる。天気も良いし、暑いし、夏バイブスが溢れます。

岩佐:本当に良い場所ですよね。サイズも馬鹿みたいに大きくならないし、波数も適度に豊富ですよね。世界中のサーファーが惹きつけられる場所なのも納得。そんな東河郷で民宿を始めるにあたっての苦労はありましたか?

[写真]今や台湾サーファーの聖地となった朝日が差す浜辺 この美しい景色と波のコンディションは多くの人を虜にする photo by DRAGONPRESS沼田孝彦
[写真]今や台湾サーファーの聖地となった朝日が差す浜辺 この美しい景色と波のコンディションは多くの人を虜にする photo by DRAGONPRESS沼田孝彦

清水:ここは波が良くて人が少ないから、日本人が気に入る場所だとすぐに分かったんですが、どうやろうか苦悩しました。色々やりましたよ、東京に行ってサーフツアーを扱っている旅行会社を全部訪ねました。でも当時、既に南台湾でいくつかサーフツアーを開催していて、現地に詳しい人たちが旅行会社をシークレットポイントに案内していたんです。だから、その人たちが僕が台東で同じことをやることをすごく嫌って、旅行会社に僕と契約しないように圧力をかけていたんです。それで去年まで日本の代表選手は例え僕の民宿に泊まりたいと言っても、旅行会社がアレンジしてくれなかったみたいです。去年は選手の希望もあって僕のところに予約が入っていたのに、直前になってキャンセルされた、なんてことがあったり。でも変えた店の評価が悪かったみたいで、今年はどうしてもという選手の声があって、やっとアレンジをしてくれるようになりました。それまですごくいじめられていたのですが、僕も気が強いのでやられても立ち上がりました(笑)

岩佐:すごい話ですね…。

清水:僕も気が強いので全然引かないんですよ(笑) 相当色々ありましたよ。裁判沙汰になったこともあります。僕、手を出されて一番悔しかったことがあったんです。サーフィンを教えた台東の若者がいたんですけれど、調子に乗ってオラオラし始めて。ある日そいつの仲間にわざと海でぶつけられたことがあって、あがってきたところで文句を言ったら殴られたんです。でも手を出したら台湾を出なくちゃいけないことになると思ったので、手出ししませんでした。でも本当にムカついて、知り合いのサーフ仲間に刑事がいたので相談したら、「訴えた方がいいよ」って。弁護士を連れて果たし状を持っていって、タイマンを申しこむことまでしたんです。少林寺の師範にジャッジまで頼んでいたんですけど、その先輩たちから「悔しいけど、ここで我慢したら後から得るものがいっぱいある」って説得されて。それで我慢したら、得することがいっぱいありました!

結局僕に手を出したやつは、周りに友達がいなくなって、サーフィンもつまらなくなってやめて、同じような暴力を繰り返して、ボロボロになっていなくなりました。僕は台湾人の友達が増えたので、結果的には良かったです。もしチャンスがあれば、妄想の世界でボコボコにします(笑)

[写真]エアリアルを次々とはなつ熱帯低気圧代表の清水さん photo by DRAGONPRESS沼田孝彦
[写真]エアリアルを次々とはなつ熱帯低気圧代表の清水さん photo by DRAGONPRESS沼田孝彦

岩佐:戦ってますね…(笑) ここまで来るんだから色々なことがあったんですよね。サーフィンの作法について言えば、たしかに海で波に乗せないように露骨に徒党と組んでブロックしてくる人たちはたまにいますけど、あれはきついですよね。

清水:ローカルの人が多い場所だとなかなか乗らせてもらえないこともありますね。今は何とも思いませんが、当時は本当にムカついていましたね。

岩佐:ローカルとよそ者のサーファーの関係っていうのは万国共通で難しい。

岩佐:さて、最後になりますが、世界に出て何かをやる日本人はそんなに多くない中、こうやって淳さんは台湾で実際に活動していますが、これからのビジョンはありますか?

[写真]東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧にて photo by DRAGONPRESS沼田孝彦
[写真]東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧にて photo by DRAGONPRESS沼田孝彦

清水:今はレストラン経営がおもしろい。この村には今、宿泊施設は既に十分にあるので、次は飲食店を充実させたいです。あと5年後には美味しい店がいくつかできてくると思いますが、その中で僕のルーツである「原住民と日本人の融合」というテーマを大事にしたレストランを作っていきたいです。あとは今も音楽をやっているので、音楽ライブをしたり。嫁に捨てられない限りは台東にいます(笑) この土地には縁があるし、今となっては自分の地元千葉よりも台東が自分にとっての地元ですから。

岩佐:人生って感慨深いですね!漂流記のような濃い話、ありがとうございました!

(終わり)

起業家/サーファー

1977年、宮城県山元町生まれ。2002年、大学在学中にIT起業。2011年の東日本大震災後は、壊滅的な被害を受けた故郷山元町の復興を目的にGRAを設立。アグリテックを軸とした「地方の再創造」をライフワークとするようになる。農業ビジネスに構造変革を起こし、ひと粒1000円の「ミガキイチゴ」を生み出す。 著書に『99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る』(ダイヤモンド社)、『絶対にギブアップしたくない人のための成功する農業』(朝日新聞出版)などがある。人生のテーマは「旅するように暮らそう」。趣味はサーフィンとキックボクシング。

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