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台湾在住サーファー清水淳×岩佐大輝 対談~異質に対する寛容さが魅力あるローカルを創る~

岩佐大輝起業家/サーファー
photo by DRAGONPRESS沼田孝彦

台湾サーフィンのパイオニア清水淳さんとの対談は続く。台湾原住民の生活スタイルに魅了され、現地の人々に溶け込んだ生活を始めた淳さん。そんな彼が、なぜ東河郷で民宿の経営を始めたのか、彼の人生をさらに追う。

<前編 移住の地・台湾で追い求めるスタイルとは>

岩佐:淳さんは東河郷で民宿やレストランも経営していますよね。そこで食べた食事が全部美味しくてびっくりしたのですが、提供する料理やサービスに対するこだわりも強いものを持っているんですか?

清水:そうですね、原住民の生活から得られた哲学が基になっているかもしれません。僕がいた村には、日本人らしい考え方をする年配の方が多かったんです。昔の日本人の思想がものすごく引き継がれている。例えば、とりあえずみんな懸命に働く、怠けない、ものすごく勤勉です。団結して畑を耕して、各々が自分の仕事を全うしています。僕は小さい頃父親の仕事の関係でアメリカで育った経緯もあって、日本人らしいそういうことをしてこなかった人間なので、原住民の人たちから強く影響を受けました。

[写真]東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧にて代表清水さん自ら地元の肉製品を燻製にしてゲストに振る舞う photo by DRAGONPRESS沼田孝彦
[写真]東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧にて代表清水さん自ら地元の肉製品を燻製にしてゲストに振る舞う photo by DRAGONPRESS沼田孝彦

岩佐:どうして東河郷で熱帯低気圧民宿をはじめることになったんですか?

清水:僕は元々、ブヌン族集落のテーマパークで働いていました。100人くらい収容できる大きな宿泊施設があって、1日に2回原住民の歌と踊りのショーなんかもあったりして。30歳でブヌン族の女性と結婚してその村に住んでいたのですが、サーフィンが好きだったのでバイクにサーフボードを積んで1時間くらいかけて頻繁に東河郷に来ていました。

岩佐:奥さん、本当に素敵な方ですよねー。それにしても1時間かけて通い詰めるということは、サーフィン本当に好きなんですね。

清水:やっぱりサーフィンは好きなんです。台湾に来た当初から、ここは波も良いし、人も少ないスポットだと知っていたので、当時からこの場所で何かできたら良いなと漠然と思っていたんですよね。それで結婚した後、1年くらいかけて本格的に民宿を始める構想を立てて。市街地からのアクセスだったり波の具合など考えた結果、この東河郷が一番良いなということになったんです。

[写真]移住当初は何もなかった場所もいまや世界大会最終戦の地に photo by DRAGONPRESS沼田孝彦
[写真]移住当初は何もなかった場所もいまや世界大会最終戦の地に photo by DRAGONPRESS沼田孝彦

岩佐:今でこそ台東っていったら台湾サーフィンの聖地っていわれているけど、この民宿をはじめた当時はどうだったんですか?

清水:サーフィンをやっている人なんていませんでした。台東にサーフィンを持ってきたのは僕なんです。今年WSL(ワールドサーフリーグ)の世界大会がここで開催されますが、それも計画の内でした。もともと僕らが結成した台東県サーフィン協会という団体があって、大会を開いていたんですが、その大会がだんだん大きくなってきて世界大会にしたいなと思って。そこでWSLに僕がメールを送って、この場所を紹介し、理事長にも会いに行きました。そんなやり取りをしていたら、台東県が話に乗ってきたので政府に主催してもらい、台湾国際サーフィン大会が開かれることになりました。

岩佐:国をあげて誘致をするようになったんですね。あのWSLがここで大会を開くなんて、びっくりですよね。僕もここで開催されるCTロングボードツアーの最終戦をテレビでみますけど、ほんといい波。

清水:はい。台東は他の地域と比べてイベントが少ないんです。あるものといったら、熱気球をあげるバルーンフェスタかサーフィン。でも逆に2つしかないから、予算がたっぷり出るんです。WSLのサーフィンの大会で2000万以上出ていますよ。まだ大会までしばらく時間があるのに、もう会場設備を立て始めているくらいの熱の入れよう。台東といったらサーフィンといわれるくらい政府もバックアップしています。

岩佐:そうなんですね。それで台東が人気になってきたわけだ。今日もここのメジャーポイントに入りましたが、2ピークでサーファーが50人くらいはいたかなー。GPSみたら3時間で20本くらい乗りました。欲張りだから一番ピークで待ってたったいうのもあるけど、いい波にかなりの数ドロップインされたのがキツかったー。笑

清水:そうなんですよ、じわじわ人気が出てきました。現在も15~20%くらい毎年増加しています。3,4年前までは日本人がたくさん来ていたのですが、台東が世界的に有名になってからは、欧米人の観光客も多く来るようになりました。

[写真]台東、レギュラーのロングウォールが最高。GRA岩佐。 photo by DRAGONPRESS沼田孝彦
[写真]台東、レギュラーのロングウォールが最高。GRA岩佐。 photo by DRAGONPRESS沼田孝彦

岩佐:僕が住んでいる山元町もコンスタントに良い波がある場所なんですが、こんな感じに色々なところから人が来たりするような場所ではないんですよね。どうやったらこういうオープンな場所になるのかな?地方創生のヒントが欲しい。

清水:ここは元々移民の国で、台湾人だって元々は中国から渡ってきた移民たち。そういうベースがあるので、基本的に寛容な気質なんですよね。知らない人が1人で道を歩いていたら「一人でいないで一緒にこっちでメシ食べようよ!」って言ってくる、みたいな人たちです。だからよそから来る人が入り易いっていうのがあるんじゃないかな。でも、僕が台湾に来た当初行った宜蘭のハネムーンベイは当時本当に閉鎖的で、よそ者を受け付けない場所でした。観光客を現地人がボコボコにするような事件も起きていた。そういうことをしちゃったから、下の世代が育たなくなっちゃったんです。つまり閉鎖的になった結果評判が悪くなって、人が来なくなっちゃったんですよね。

でもそんな宜蘭も今は暴力事件がほとんど起きない場所になりました。当時はヤクザがサーフショップや大会を荒らす事件を繰り返していたのですが、ある芸能人が自分が開いた大会を荒らされたことで刑事告発をしたんです。それを発端にして、地元老舗サーフショップとヤクザの関係性が明るみになる一大週刊誌沙汰になって。そこから、台湾のサーフィンにおける暴力は完全にアウトになりました。

岩佐:そうなんですね。でも、人の気質の問題になると、地方創生を目指す人たちにとっては難しい課題になりますよね。

清水:日本の田舎は入りずらい。僕もアウェイ感を感じます。元々の閉鎖感が変わっていないんですよね。

岩佐:そうかもしれない。「異質に対する寛容さ」,地方を盛り上げるために必要なマインドかもしれませんね。

[写真]東台湾の海辺を散策、ローカルのあり方を考える photo by DRAGONPRESS沼田孝彦
[写真]東台湾の海辺を散策、ローカルのあり方を考える photo by DRAGONPRESS沼田孝彦

台東にサーフィンを根付かせ、サーファーにとっての聖地と言われるまでの場所に変えた淳さん。次回、そんな彼がここ東河郷で直面した数々の試練と、それを乗越えてこの場所に住み続ける理由を聞いていきます。

<次回 台湾に根付いた人生とその先に描くビジョンを語る に続く>

起業家/サーファー

1977年、宮城県山元町生まれ。2002年、大学在学中にIT起業。2011年の東日本大震災後は、壊滅的な被害を受けた故郷山元町の復興を目的にGRAを設立。アグリテックを軸とした「地方の再創造」をライフワークとするようになる。農業ビジネスに構造変革を起こし、ひと粒1000円の「ミガキイチゴ」を生み出す。 著書に『99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る』(ダイヤモンド社)、『絶対にギブアップしたくない人のための成功する農業』(朝日新聞出版)などがある。人生のテーマは「旅するように暮らそう」。趣味はサーフィンとキックボクシング。

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