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「出産したらお辞めなさい」労基法違反推奨の曽野綾子論文を週刊現代が掲載した件はなぜ問題にならない?

伊藤和子弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

週刊現代は、8月31日号に「甘ったれた女性社員たちへ~私の違和感」とする曽野綾子氏の特別寄稿を掲載した。

そのなかで、曽野氏は、驚くべき発言をしている。

見出しは「出産したらお辞めなさい」

「最近、マタニティ・ハラスメントという言葉をよく耳にするようになりました。マタハラとかセクハラとか、汚い表現ですね。妊娠・出産した女性社員に対する嫌がらせやいじめを指す言葉ですが、この問題に対し、企業側は、反対意見を言えないよう言論を封じ込められているようです。」「そもそも実際的に考えて、女性は赤ちゃんが生まれたら、それまでと同じように仕事を続けるのは無理なんです。」「ですから、女性は赤ちゃんが生まれたら、いったん退職してもらう。そして、何年か子育てをし、子どもが大きくなったら、また再就職できる道を確保すればいいんです。」「彼女たちは会社に産休制度を要求なさる。しかし、あれは会社にしてみれば、本当に迷惑千万な制度だと思いますよ。」

出典:週刊現代8月31日号

OH! これには本当に驚きました、私。

改めて説明するまでもないこと(のはず)であるが、産休制度は労働基準法65条に明記された労働者保護の根幹。労働者保護のイロハのイにあたる最低基準であり、違反した場合、労働基準法違反として、懲役・罰金刑が科される。

企業の法令順守・コンプライアンス上もイロハのイ。

そして、人間らしい生活と女性の働く権利確立のために、先達たちが勝ち取ってこられて、国際的にも当然のこととして疑問の余地なく認知されている。このような基本的人権・最低限の労働者の権利を攻撃する人がいるとは思ってもいなかった。

セクハラ、マタハラについても、セクハラは均等法で明確に禁止され、マタハラについても多くの類型が均等法違反であるというのに、「汚い表現ですね」とは何事であろう。こういう風潮が蔓延すれば、被害に会った女性の権利行使を躊躇わせることになり、職場で女性の権利侵害が横行することになりかねない。

このような発言をする曽野氏も曽野氏だし、掲載・依頼する週刊現代も大問題である。

曽野氏は私の知る限り、政府の審議会の委員などによく名前を連ねており、安倍政権の教育再生実行会議の委員などもしている。

私は曽野氏のことはよく知らないので、どんなに偉い方か、いかなる魅力・実力のある方かよくわからない。

しかしながら、労基法違反の主張を堂々と展開し、もし雇用主だったら刑事罰の対象となりかねない言動、均等法違反を問われる言動を公然とされている方が、政府の審議会等の委員、とくに教育再生実行会議の委員をそのまま継続していいのだろうか。

審議会委員の間で、いろんな意見の食い違い・対立があるのは当たり前だが、女性の権利の根幹を否定するような人、社会のコンセンサスたる法律への違反を公言してはばからない人を委員にして平然とし、その意見を取り入れて政府の政策が決められるというのはおかしい。

「出産したらお辞めなさい」と子どもたちを教育していくつもりだろうか??

政府内部における、男女共同参画推進の流れとも全く整合性がない。

何が教育再生だ、私としてはすぐにやめてほしいと思う。

週刊現代は、このところ、「コンプライアンス・タブー」職場では本当のことは言えないから」として、働く女性が産休・育休を取得することや、出産を経験した女性に対する批判・非難めいたキャンペーンを三回シリーズで展開したがその極め付けが曽野氏の寄稿だ。

社内では法令違反で決して言えないことを保守系女性文化人に言わせて、誰も責任を取らないというずるいやり方だ。

もちろん、最近では、仕事を持ちながら子育てをできる女性は少数派になってしまい、ますます厳しくなる労働環境のなかで様々な軋轢も生まれているのは確かだという。しかしその解決は、労働者の権利を否定するところから始まるべきでは決してなく、権利を前提としたうえでの対策を建設的に議論するほかにない。

おじさんたちが「そうだそうだ」と心の中で喝采を送るガス抜きくらいの軽いノリで取り上げたのかもしれないが、労基法違反を公然と推奨するような記事を垂れ流すような言論は果たしてそのまま野放しにされてよいのか、メディア・企業としての資質・コンプライアンスのあり方が問われるのではないか。

しかし、あまりメディアで問題にされている気配はない。

唯一アエラが異を唱えただけのようだhttp://dot.asahi.com/aera/2013082800030.html

このような人権侵害的言論が公然とまかり通って、あまり問題になっていないこと自体が問題である。

ちょっと話が横にそれるようだが、昨年、週刊朝日が橋下氏に関連して、部落差別を助長するような記事を掲載し、社会的に問題となった際、私も

「週刊朝日の人権感覚は論外」

http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20121020-00022138/

として、差別を助長する言論はどんな場合でも許されない、と書いたけれど、今回のこと、性質としては、その時と同じくらいジャーナリズムとしての姿勢が問われるべきであるが、大きな声で騒ぐ人がいないから、社会問題にならないのだろうか。

子育て真っ最中で忙しく、肩身の狭い思いもしながら、仕事と家庭を両立してる若い女性達は大きな声をあげにくい立場にある。

となると、大声を叫ぶ権力者の人権に関わるメディアの言論は叩かれて反省を余儀なくされ、弱くて声をあげられない人の人権を傷つけるようなメディアの言論は、大手を振って何ら反省もしなくていいことになる。

そんなこの国のあり方、メディアをめぐるあり方がよいとはとても思えない。

それは私の場合、「違和感」以上の「嫌悪」だ。皆さんはどうだろうか。

弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

1994年に弁護士登録。女性、子どもの権利、えん罪事件など、人権問題に関わって活動。米国留学後の2006年、国境を越えて世界の人権問題に取り組む日本発の国際人権NGO・ヒューマンライツ・ナウを立ち上げ、事務局長として国内外で現在進行形の人権侵害の解決を求めて活動中。同時に、弁護士として、女性をはじめ、権利の実現を求める市民の法的問題の解決のために日々活動している。ミモザの森法律事務所(東京)代表。

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