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東電OLえん罪事件が示す刑事司法改革の課題- DNA鑑定・証拠開示に関する抜本的制度改革が急務である

伊藤和子弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

東電OL事件で再審無罪判決が出された。

この事件をめぐる経緯はあまりにもひどく、検察・裁判所は猛省しなければならない。

徹底した検証と、刑事司法改革が必要であることがはっきりした。

この事件は、東京電力の女性社員が1997年に殺害された事件で、

2000年4月に一審無罪判決、2000年12月(高木俊夫裁判長)には二審の東京高裁が逆転有罪・無期懲役、2003年に最高裁もこの判断を維持した。

一審無罪判決に対する検察官上訴を理由に、いったん無罪判決を受けて釈放された被告人を再勾留するという異例の措置まで取られた。

有罪の決め手となったのは、事件現場で発見されたコンドーム内の精液である。東京高裁は、これが被告人のDNA型と一致したとし、何ら根拠もなくこれが殺害当日に遺棄されたもの、と認定、この点での弁護団の鑑定を認めないまま、有罪判決を下した。

ここまでも不当なのだけれど、ここからが驚くべき話である。

弁護団は2005年3月に再審請求を申立て、7年以上が経過した今年の6月に再審開始決定が出された。

これは、被害者の体内に残されていた精液や現場に遺留されていた陰毛等の証拠物の存在を再審請求後に検察官が明らかにし、裁判所の要求を受けて検察官がDNA型鑑定を実施したところ、別のDNA型が見つかったからである。

さらに、再審公判で、検察側は自ら無罪主張をしたが、それは、被害者の爪の付着物について、一発逆転を狙って鑑定を行ったところ、第三者のDNA型が検出されたからだというのである。

ところが、弁護団は爪の付着物について、2007年に検察側に鑑定を求めたが、当時、検察は「爪からは何も検出されていない」と付着物の存在自体を否定していたのだ。

捜査機関は、被告人の無罪につながった、第三者の精液、陰毛、爪の付着物について捜査の初期段階から既に収集し、それを被告側に一切開示せずに握りつぶしてきた。

被告人に有利な可能性がある生物学的証拠があるにもかかわらず、それを隠して、被告人と一致するDNA型鑑定だけを恣意的に選んで証拠提出し、有罪判決を得たのである。

この事件で争点とされたのは、第三者の犯行の可能性であり、別のDNA型証拠が検出されれば第三者の犯行の可能性があるとして無罪を言い渡さなければならないこととなる。そのことを知りながら、無罪立証を封じ、被告人に有利な証拠を隠して、不利な証拠だけを提出して裁判所の認定を誤らせ、有罪に持ち込む、これは犯罪的行為というほかない。

村木事件における証拠隠滅に匹敵する職権犯罪である。

単に謝罪するだけでは足りず、徹底した責任追及がなされ、検察において検証がされなければならない。

調査された事実関係次第では、関係者の証拠隠滅罪での捜査・訴追が真剣に追及されるべきである。

また、一審判決が出ながら、かくも長きにわたり無実の人をえん罪の被害者にする判断を漫然と続け、救済を怠ってきた裁判所にも厳しい検証を求めたい。

足利事件と東電OL事件、そして近年相次ぐ再審事件で明らかになったえん罪の教訓から、刑事司法改革はまったなしである。

いま議論され、少しずつ進んでいる取調べの可視化だけでは済まされない。

共通するキーワードである、検察側の証拠隠し、DNA鑑定、に関する改革が不可欠である。

私の提案は以下の通りである。

第1  被告人に有利な証拠、または有利である可能性のある証拠について、検察側が弁護側に第一審公判前に開示することを義務付けること。この義務に違反した事件は憲法違反により覆され、違反した捜査機関には刑事罰が科されるものとする。

・・被告人に有利な証拠の開示義務は、欧州では当たり前であり、米国でも連邦最高裁判例により確立している(ブレイディ・ルールと言われる)。日本の2004年刑事訴訟改正における証拠開示の規定制定の際になぜか、米国のルールのうちこの部分は導入されなかった。

証拠隠しにより有罪に持ち込むという恥ずべきやりかたをこれ以上認めないため、必ず必要である。

第2 DNA鑑定の対象となる生物学的証拠に関しては、検察側が申請する証拠に関連する証拠に限らず、捜査機関が入手・保管しているすべての証拠の存在とDNA鑑定結果を弁護側に第一審公判前に開示し、鑑定未了な証拠についても弁護側の求めがあればすべて鑑定を行うこと。

米国では多くの州でこのルールが採用されている。

第3 有罪判決を受けた被告人にDNA再鑑定の権利を保障し、未了のDNA鑑定があればこの鑑定を受ける権利を保障する。

手続が迅速になされるよう、具体的手続きを定めた規定を制定する。

そして再鑑定を保障するために、捜査機関による鑑定資料の全量消費を禁止し、故意または重過失により全量消費した捜査関係者を刑罰に処す。

これは米国で2004年にイノセンス・プロテクション・アクトとして連邦事件について制定された法律であり、多くの州が同様の規定を置いている。

日本のように2005年の再審請求後7年もかけて実施するという遅いペースで、人の人生の貴重な時間を奪うことは許されない。

第4 再審段階における証拠開示のルールを明確に定める。

再審事件には、適正手続や審理のあり方について定めた明確な規定がなく、極めて恣意的に運用されている。証拠開示のルールも一切なく、2004年の刑訴法改正で規定された通常事件の証拠開示規定も適用されない。

このように再審は無法地帯ともいうべき状況であり、明確なルールが必要である。

まず最低限、現行刑訴法上の証拠開示規定(316条以下)は再審においても適用されなければならない。

しかし、私は、再審段階においては全証拠を開示すべきだと考える。そもそも、第一審段階においてすべての検察官手持ち証拠が被告側に開示されるべきであるが、捜査機関は頑としてこれを認めない。その理由として被告人の証拠隠滅等を理由とする。

しかし、再審段階になればそのような恐れはほとんどない。この間のえん罪の教訓は、検察官が証拠を隠したまま誤った有罪判決を得て司法判断を歪め司法の公正を傷つけ、刑訴法の目的である真実発見を阻害する重大な違反を現に行っていることを示しているのであり、そうした不正を但し、誤判を正すことこそ優越した価値というべきである。

米国ノースカロライナ州では、再審段階におけるすべての証拠開示がルールとして義務付けられ、その結果、過去の死刑有罪判決において、検察側が被告人に有利な証拠を隠して有罪に持ち込んだことが次々と明らかになり、相次いでえん罪が発覚した。同州ではその後、2004年に第一審段階における全面開示を義務付けるに至ったのであるが、同州の経験は、再審段階の全証拠開示がいかにえん罪究明と真実の発見に資するかを示している。

現在、法務省法制審議会のもとで「新時代の刑事司法制度特別部会」が、刑事司法の改革を議論している。

もうこれ以上、改革を怠り、手をこまねいていることは許されない。

以上の諸改革を実施することを強く要請したい。

日弁連等も、包括的な刑事司法改革に関する具体的提案をえん罪の実態に即して十分に行っておらず、怠慢と言わざるを得ない。

知恵を絞ってこれらの改革について正式な提案をすべきである。

以下、読売新聞の社説を一部抜粋する。私も同感である。

東電OL事件 再審無罪で冤罪の検証が要る(11月8日付・読売社説)

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20121107-OYT1T01582.htm?from=ylist

事件から15年を経ての無罪確定である。

冤罪(えんざい)を引き起こした捜査当局と裁判所の責任は重い。

東京電力の女性社員が1997年に殺害された事件の再審で、東京高裁は無期懲役となったネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリさん(46)を無罪とする判決を言い渡した。

高裁が「第三者が犯人である疑いが強い」と判断した以上、当然の結論と言える。検察は上告する権利の放棄を申し立てた。

無罪を決定付けたのは、被害者の手の爪に残っていた付着物だ。マイナリさんとは異なる人物のDNA型が検出されていた。

判決はこの鑑定結果を重視した上で、「女性が首を絞められて殺害される際、渾身(こんしん)の力で犯人の手をつかんで引き離そうとしたと想定される」と認定した。

弁護側が爪の付着物について、検察側に鑑定を求めたのは、マイナリさんが服役していた2007年1月のことだ。しかし、検察は「爪からは何も検出されていない」と付着物の存在さえ否定する回答をしていた。

その後、女性の胸などに残された体液から第三者のDNA型が見つかった。これにより、再審開始が決定し、追いつめられた検察は「存在しない」としていた爪の付着物を鑑定した結果、同じ第三者のDNA型が検出された。

ところが、あきれたことに、検察は「証拠隠しはない」と居直っている。過ちを認めず、冤罪に至った経緯の検証を一切行わない姿勢も示している。極めて問題である。

自分が不利になりそうな証拠は開示しないという姿勢をたださなければ、国民の検察不信は一段と深まるだろう。

裁判所も猛省が必要だ。1審の無罪判決を破棄し、逆転有罪とした高裁、その判断を支持した最高裁の誤判により、マイナリさんは長期間、自由を奪われた。

マイナリさんは検察や裁判所に対し、「どうして私がこんな目にあったのか、よく調べ、よく考えてください」とのコメントを出した。これに応えねばならない。

弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

1994年に弁護士登録。女性、子どもの権利、えん罪事件など、人権問題に関わって活動。米国留学後の2006年、国境を越えて世界の人権問題に取り組む日本発の国際人権NGO・ヒューマンライツ・ナウを立ち上げ、事務局長として国内外で現在進行形の人権侵害の解決を求めて活動中。同時に、弁護士として、女性をはじめ、権利の実現を求める市民の法的問題の解決のために日々活動している。ミモザの森法律事務所(東京)代表。

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