23年前に刊行された「たったひとりのワールドカップ」増刷の背景
23年前、つまり1998年に上梓した文庫本が3月末に増刷されることになった。タイトルは、「たったひとりのワールドカップ 三浦知良1700日の闘い」(幻冬舎文庫)。7版4千部。これで累計27万8千部となった。文芸の名作であれば珍しくはないのだろうが、ノンフィクションとしては、希有といってもいいと思う。
今春、過去のベストセラーを集めたフェアが幻冬舎で企図され、本書もピックアップされたということだが、四半世紀近くも前の本が選ばれたのは、カズがいまだ現役であることと、23年前の出来事がなおも人々の記憶に刻まれているからにほかならない。
人生最大の試練をどう語るか
その背景を少し振り返ってみたい。
「たったひとりのワールドカップ」が初めて書店に並んだのは、1998年8月5日のこと。カズがワールドカップフランス大会を目前にしながら、岡田武史監督によってメンバーから外されたのが同年6月2日だったから、わずか2ヶ月ほどで刊行にこぎつけたということになる。ホットな話題をなるべく多くの人に早く届けたい、という制作側の思いがあったためだ。文庫本書き下ろしとしたのもそんな意図に寄せた結果だ。
集中的にカズにインタビューを重ね、テープを起こし、書き、校正し、とかつてないほどのスピードでまとめ、「Number」誌での連載も組み込んだりしながら、なんとか体裁を整えたのは7月中旬。いま読み返してみれば、拙速ゆえの荒さもそこここで目につく。構成にも問題が多い。が、主眼は、人生最大の試練をたったいま、いかに感じ、どう語るかだったから、何よりスピード重視だったのだ。
たとえば、このときのインタビューでは、カズはこんなふうに率直に最終予選を振り返っている。
「やっぱり、自分に求められているのは、点を入れて日本代表を勝たすということで……。いま考えれば、こうやってワールドカップ(フランス大会)を見ていてもね、やっぱり自分は点を取って、あのときのポジションから言って、ディフェンスとかで貢献はしてたけど、やっぱり点を取って勝たすことが一番自分に必要とされていたということを改めて感じている。みんなそれだけ期待してくれているんです。僕には。足りなかったのは、それじゃないか、点じゃないかなって。でも、意欲はあったよ。でも入らなかったのは自分の責任です。運と力もあるだろうし……」
跋扈する「カズ不要論」をこえて
「たったひとりのワールドカップ」の初版は10万部。冷え込むいまの出版界では考えられない部数設定だが、発売と同時に5万部の増刷が決まる。その後も増刷が続き、この年の終わりには20万部を突破していた。
ベストセラーの背景にあったのは、やはり「カズ落選」の衝撃だ。プロ化に向かう日本サッカーを先頭に立って牽引し、「ワールドカップへ日本を連れて行く」と公言していた男がその晴れの舞台を目前にしながら、メンバーから外されたのだ。こんな劇的なストーリーはなかった。
ブラジルから帰国した1990年から数年、カズは日本代表の不動のエースの座にいた。が、96年頃を境に人々の支持は明らかに中田英寿や城彰二といった新世代の選手たちへと傾いていく。そして、やがて「カズ不要論」が公然と語られ始める。街で、サッカー専門誌で、スタジアムで、カズに対して多くの人が「終わった選手」という見方をしていた。私自身は、どんな世界もそうやって新陳代謝を繰り返してきているわけだし、新しいスターを求める風潮はあってしかるべきだと思っていた。もし終わったとされるなら、その「終わったカズ」を描きたいと思っていた。
しかし、カズがスイス・ニヨンで最終登録メンバーから外され、「魂は向こうに置いてきた」という名言を発した帰国会見あたりからまた風向きは変わり始める。決定的だったのは、日本代表がワールドカップで3連敗を喫したことだった。ここで、世論は、もしカズがいれば、となったのだ。カズがもし出場していたら一勝でも上げられたかといえば、わからない。しかし、少なくとも人々はそうとらえ、たまった不満のはけ口とした。逆風はいつしか追い風に変わり、そこからまた、カズの存在感が日に日に増していったのだ。失意を吹っ切るかのように新天地クロアチアに渡り、トルシエ・ジャパンで日本代表に復帰、さらにはJ2への挑戦と次々と脱皮と進化を繰り返し、カズはついに54歳という年齢にまで辿り着く。そんな長きにわたるサッカー人生の原動力のひとつに、あのときの落選があったことは疑いようがない。皮肉にも落選が火をつけ、人生により深い色をつけていったのだ。ベストセラーが生まれ、増刷がかかった背景でもある。
物語はなおも続く
「たったひとりのワールドカップ」から23年。ちょうど10年前の「東日本大震災チャリティーマッチ」でのゴールなど、新たに描かなければならないことは、山ほどもある。「孤高のキング」の物語はなおも続く。