53歳で現役を続けるということーー最年長出場63分にかけたカズの思い
最年長出場63分への助走
2007年以来、実に13年ぶりのJ1公式戦だった。
8月5日、ルヴァンカップの横浜FC対サガン鳥栖戦ーー。先発で出場したカズは、63分にわたって闘志をたぎらせ、ピッチを駆け回った。53歳と5ヶ月のプレーヤーがそこに立っていること自体がもはや驚異としか言いようがなく、最年長出場記録のニュースは世界をも驚かせた。
だが、カズからすれば、それは、ある意味、当然のことでもあったのだろう。なぜならば、この63分を迎えるために、8か月の長きにわたって、コロナ禍の中も、ひたすら念入りな準備を重ねてきたのだから。いつでも出場できるようにと、万全の体調を昨シーズンが終わったときから、維持し続けていたのだから。
数年間感じてきた「もどかしさ」
横浜FCが昨年11月24日にJ1昇格を決めたその約2週間後、カズの姿はグアムにあった。シーズン終了後、間髪入れず自主トレに入り、13年ぶりとなるJ1に備え始めたのだ。
カズは、ここ数年の自身の置かれている立場にまるで納得していない。出場機会が減っていくことのもどかしさをずっと感じていたのだ。
「一昨年は、ここ最近の中ではケガが少なくて、一番コンディションがよかったんですけど、結局、出場時間は50数分と最短だった。天皇杯を含めた44試合中42試合ベンチに入って、天皇杯では2試合先発で出場したんだけど、でも、もっと出場できれば、去年(2019年)はもう少しいい結果が出せたと思う。僕は本当にいつでも試合に出たいと思っているし、出てなんぼだと思っている。ただ、それは最終的に監督が決めることだし、自分でコントロールできないところだから。でも、その間も、戦いをやめずに、変わらず練習と練習試合をやり通してきたわけです。クラブはずっと僕と契約してくれているけれど、自分はこれでいいのか、というもどかしさはずっと感じていますよ」
試合に出場できない苦しさ、ベンチ外で練習を続ける大変さもまた、カズは、痛いほど感じている。
「ベンチ外の選手ってみんな苦しいんです。そんな中でダントツで一番年上の僕が必死になってやっていることで、みんなのやる気を起こしているというところはあるかもしれない。ベンチに入らなくても、居残り練習はやっているし」
この年で現役を続けるということ
年が明けた1月にもグアムで自主トレを行い、チーム練習をこなしたカズは、2020年の開幕戦を迎える。しかし、ほどなくコロナ禍によって、2月26日のルヴァンカップの鳥栖戦が延期となり、公式戦は完全に止まってしまう。
他の選手同様、カズはここから終わりの見えない長いトンネルに入っていく。若い選手と違って、53歳の肉体を維持するのは容易ではない。衰えゆく筋肉、心肺機能、アジリティ。これらを可能な限り落とさず、少しでも向上する方策を探り、ケガすることなく、いつ再開されるかわからないシーズンに備えなければならなくなったのだ。
今シーズンが始まる直前、「老い」について質問すると、カズはこんなふうに答えてくれた。
「老いなんて、いま感じたことじゃないから。30歳になったときには、30歳の老いを感じたけど、でも、いま考えればあんなのは老いじゃなかったな、と思う。40歳のときも同じ。53歳で現役を続けていれば、当然いろんな部分が出てくる。そういうすべてのことと戦わなきゃいけないんです。この年で現役を続けるということはそういうことなんです」
データのない未知の領域
「走るための身体」を維持する食事も30代40代とは大きく変わった。
「一般の人だったら、カロリーの摂りすぎで死んじゃうかもしれないというぐらい3食しっかり食べる。食べる量を抑えると動けない。毎日体重計をにらみながら、維持する必要がある。74キロぐらいまで増やしても、3日後ぐらいに練習後測ると71.5キロになっていたりする。だから、いまは、たとえ体脂肪が増えたとしても、食べるようにしています」
53歳のプロ・サッカー選手の身体の生理など誰ひとり知らない。誰も踏み込んだことのない未知の領域をカズはひとり走っているのだ。
「栄養学の人に訊いてもわからないと言う。どこにもデータがないから(笑)。だから、自分で感じて、こっちのほうがいいと思ったら、それを実行する、という感じです。体重が増え、体脂肪が増えたとしてもこっちのほうが身体が楽だと感じていたら、それでいいんです。それでサッカーがよりよくできるんだったら」
もはや他の選手云々ではなく、常に自分自身に問い続けるしか、答えは引き出せないのだ。
コロナ禍で中断している間ももちろん、カズは独自のスタイルでトレーニングを続けていた。
コロナ禍での努力と鍛錬
神戸時代からカズは、個人でトレーニングルームを借りてきた。正確に言えば、部屋を借りて、そこにレッグプレス、インナーサイなどトレーニングマシンを数台設置し、チーム練習後もひとり鍛えていたのだ。東京に戻ってきてからもこのスタイルは維持された。コロナ禍ではこれが奏功した。
さらに、兄三浦泰年氏が経営するフットサル場を個人的に借りることができた。自粛下で営業ができなくなっていたため、これを利用したのだ。
「グアムのコーチでついてくれている喜熨斗(勝史)さんと毎朝一緒に走ったり、ボールを使ったり、三密になることなく、結構きつい練習ができた。それが僕にとってはすごくよかった」
もちろん、クロアチア時代から20年間にわたってカズの身体をケアし続けてきたトレーナー竹内章高氏の存在も大きい。あらゆる練習に帯同し、少しでも問題があれば、その芽を早めに摘み取り、ケガにつながることを防いできたのだ。
こうした自身へ惜しみない投資とケアもまた、カズが永らえてきた大きな理由なのである。
63分のパフォーマンスの裏側には、心震わせられたヘディングシュートには、こんなカズの血のにじむようなシーズンオフの努力と鍛錬の日々があったのだ。
そして、そのモチベーションは、もちろん、「1分でも長くピッチに立ってサッカーをしたいから、楽しみたいから。やっぱりサッカーが好きだから」から生まれているわけである。
63分にかけたその純粋さ、ひたむきさを前にしたら、「引退はいつですか」などという無礼な質問は、もはやできまい。