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なんかモンモンする遺伝子

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
photo by Masahiko Ishida

ソデフリンで誘うイモリ

前回は、ヒトの女性が嗅覚でパートナーを選んでいるのでは、という学説を紹介しました。なるほど、女性は汗のにおいで男性を選んでるのかぁ。汗ならフェロモンみたいですね。

そういえば、フェロモンって言葉、なんか神秘的でエロチックな響きがあります。この言葉が市民権を得て広まったのは、誰もが神秘とエロには興味を持ってるからでしょう。

ところで、うちの事務所に、においフェチの男がいます。

うちの事務所は、夜の街、銀座に近い賃貸マンションビルの中にあり、ホステスさんとか風俗関係のおねえさんがわりとたくさん住んでます。で、夕方、エレベータに乗ると、出勤する彼女たちと一緒になったりする。

するとにおいフェチの男は、エレベータ内の彼女たちの残り香をくんくんと嗅ぎ、「ああ、フェロモンだ」などと言って愉悦の表情を浮かべます。そう、彼を性的に興奮させる香水は、まぎれもなくフェロモンの一種でしょう。

で、このフェロモンってのは何なんだということなんですが、別に性的でセクシーなものに限らない。

いろんな情報を、オスメス男性女性に限らず、同じ種類の仲間に伝え、それを受け取ることで行動に何らかの作用、影響をおよぼす物質がフェロモンということになってます。

生物が恋をし、セックスをし、子孫をたくさん残そうとするため、あるいは生きていくために必要な特定の情報物質の総称がフェロモンというわけ。

じゃ、このフェロモン、いったいどんな作用や影響を及ぼすんでしょうか。

たとえば、両生類のイモリのある種のオスは、メスに対して「ソデフリン(sodefrin)」というフェロモン物質を出す(*1、日本の早稲田大学、菊山榮教授らの研究)。

このイモリ、日本にいるアカハライモリです。恋の季節になると、オスがメスを引き付けるために、フェロモンを出して性的なアピールをするんですね。

ちなみに、ソデフリンは両生類で初めてフェロモンの性質が特定された物質(ペプチド)で、この変な名前の由来は、額田王が万葉集で詠った「あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずや きみがそでふる」という一首から、ソデフリンを発見した日本人研究者がつけたそうです。

ただ、アカハライモリのオスは、いくらソデフリンを出してメスに求愛しても、わりとよく振られちゃう。この振られちゃう、「袖にされる」を、この一首とかけてるんですな。粋な命名をするもんです。

で、ソデフリンはオスがメスに出します。メスには作用するけど、オスには効かない。

あと、近縁種のイモリのメスにも働きかけません。つまり、同じ種類の生物だけに、何らかの作用を及ぼすということで性的なフェロモン(不揮発性)というわけです。

線虫は人口密度の制御にフェロモンを使う

イモリなんかの脊椎動物だけじゃなく、いろんな生物がフェロモンを出したり受け取ったりしてます。

たとえば、線虫だ。

線虫ってのは、多細胞生物の原始的なモデル生物として遺伝子研究なんかでよく使われてる、ニョロニョロした細長くて小さな生物で土の中にいます。ちなみに、ギョウチュウとかカイチュウとかいった人間の寄生虫も線虫の一種。

で、この線虫もフェロモンを出します。

たとえば、周囲の仲間の数が増えると、同時にある種類のフェロモンの量も増えます。すると、そのフェロモンの影響で、普段なら好きなはずの栄養分のにおいを嫌いになってしまう。

好きな食べ物を嫌った線虫は、その場所から離れていきます。

人口密度というか線虫密度が上がると食べ物が減ることが予想されるので、フェロモンを信号にして別の場所へ探しに行くきっかけにしたり、集団が分散するようになってるというわけ(*2、東京大学理学部の飯野雄一教授らの研究)。

ですから、このフェロモンは、性的なフェロモンじゃない。生きていくために必要な物質です。

人間でもラッシュの満員電車ではストレスがたまりますが、もしかすると線虫と同じようなフェロモンが出ているのかもしれません。そのフェロモンの信号に従わず、通勤通学のために仕方なく満員電車に乗っていることがストレスになるのかもしれない。人口密度が上がれば、生物はなんらかの信号を出していると考えても不思議じゃない。

さらに、この小さなニョロニョロ線虫のスゴいのは、人口問題は食糧問題ということを知ってるところです。

単に、過密状態を嫌うようにせず、なぜ過密になったのか、その原因をフェロモンで解決している。みんなが特定の食物に集中するから人口が過密になるわけで、その食物が嫌いになれば別の食べ物を探しに出掛けるというわけです。

そして、ここに線虫の「食育」がある。偏食せず、まんべんなく多様な食べ物を少しずつ食べることが大切で、効率的に供給できる特定の食べ物ばかり食べるように育てば、世界中が飢餓になるということなんですね。

カイコガのフェロモンは何キロも離れて作用する

また、複雑な巣と社会を作るアリが、フェロモンでコミュニケーションをしてるのは有名です。たとえば、働きアリは食べ物を発見すると、フェロモンを出しながら巣へ戻ります。そのフェロモンの残り香により、エサの場所まで仲間を導いている。

また、アリの脳には警報フェロモンを受信する部分があります(*3、「アリ脳の高次嗅覚中枢のフェロモン処理領域を発見」した当時、東北大学の水波誠教授らの研究)。外敵が巣に進入してきたとき、フェロモンで仲間に知らせてるんですね。

こうしたフェロモンの存在自体、ファーブルが昆虫記(1878年に第一巻発行)を書いたころから知られてましたが、フェロモン物質と受容体、そして遺伝子の関係がわかってきたのは最近のことです。

たとえば、生糸を作るカイコの成虫、カイコガのフェロモンは、ボンビコールっていう人工的に合成もできるアルコールの一種(揮発性)の化学物質です(*4、性ホルモンの研究でノーベル化学賞を受賞したアドルフ・ブーテナントらの研究)。

カイコガのオスを呼び寄せるためにメスがボンビコールを出しているとわかったのが1959年。このボンビコールの受容体遺伝子(BmOR1)が発見されたのは2004年だったんですね(*5、東京大学先端科学技術研究センターの櫻井健志研究員らの論文)。つまり、約半世紀の間、そのメカニズムがわからなかった。ちなみに、これら引用論文でわかるとおり、日本のフェロモン研究は世界でもトップクラスです。

さて、性的なフェロモンと受容体は、同じ種類同士が広い世界でめぐりあい、セックスするためにできてます。

ボンビコールは、カイコガのオスしかフェロモンとして受信できません。ほかの種類のガのオスには意味のない物質だ。

また、何キロも離れたオスとメスがお互いを確認するためには、揮発性の化学物質の先端部分がピッタリと合う必要がある。ボンビコールの化学式は「C16*H30*O」です。その立体構造は、カイコガのオスの触覚の先端についている受容体とカギとカギ穴みたいにカッチリ合うというわけ。

ちなみに、こうした仕組みを他分野の技術、たとえば工学の世界で応用することもあります。それが、カイコガのフェロモンを使ったにおい判別ロボット(*6、豊橋技術科学大学の三澤宣雄助教らの研究)。

カイコガの受容体遺伝子をカエルの卵に埋め込んで小型のにおいセンサーにし、ボンビコールだけに反応する超高感度の嗅覚センサーを作った。こうして生物の優れた機能を他分野で応用する考えを「バイオミメティック(biomimetic)」といいます。

フェロモンのスゴい働き、少しわかってきましたね。次回は、行動をコントロールするフェロモンを紹介しましょう。

(*1:S Kikuyama, F Toyoda, Y Ohmiya, K Matsuda, S Tanaka and H Hayashi, "Sodefrin: a female-attracting peptide pheromone in newt cloacal glands", Science 17 March 1995: Vol. 267 no. 5204 pp. 1643-1645

(*2:Koji Yamada, Takaaki Hirotsu, Masahiro Matsuki, Rebecca A. Butcher, Masahiro Tomioka, Takeshi Ishihara, Jon Clardy, Hirofumi Kunitomo and Yuichi Iino, "Olfactory Plasticity Is Regulated by Pheromonal Signaling in Caenorhabditis elegans", Science 24 September 2010: Vol. 329 no. 5999 pp. 1647-1650

(*3:Nobuhiro Yamagata and Makoto Mizunami, "Spatial representation of alarm pheromone information in a secondary olfactory centre in the ant brain", Proceedings of the Royal Society B, 22 August 2010 vol.277 no.1693 2465-2474

(*4:Butenandt, von A., R. Beckmann, D. Stamm and E. Hecker. "U*ber den Sexual-Lockstoff des Seidenspinners Bombyx mori." Reindarstellung und Konstitution. Z.Naturforsch.,14b:283-284. 1959

(*5:Takeshi Sakurai, Takao Nakagawa, Hidefumi Mitsuno, Hajime Mori, Yasuhisa Endo, Shintarou Tanoue, Yuji Yasukochi, Kazushige Touhara and Takaaki Nishioka, "Identification and functional characterization of a sex pheromone receptor in the silkmoth Bombyx mori", PNAS "Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America" November 23, 2004 vol. 101 no. 47 16653-16658

(*6:Nobuo Misawaa, Hidefumi Mitsunob, Ryohei Kanzakic, and Shoji Takeuchi, "Highly sensitive and selective odorant sensor using living cells expressing insect olfactory receptors", Proceedings of the National Academy of Sciences of the United of America, Published online before print August 23, 2010, doi: 10.1073/pnas.1004334107

※タイトルを変更しました 2015/04/18

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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