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芸人がM-1後に活躍するための名刺代わりにも 「審査員」松本人志の名言5選

飲用てれびテレビウォッチャー
(写真:アフロ)

 2001年に始まった『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)。芸人たちが漫才でしのぎを削ってきた同大会は、2020年までに16組のチャンピオンと、のべ59,188組の敗者を生んできた。そこでの主役は、もちろん漫才を披露する芸人たちだ。

 一方、審査員たちの存在も忘れることはできない。いや、以前のM-1に比べると番組が審査員のコメントに割く時間が長くなり、そこでの発言がネットを中心に話題になる機会も増えるなど(そして本稿のような審査員に注目した記事が決勝前後にいくつか出るなど)、その存在感は増しているようにも感じる。そんななか、2020年の第16回大会で優勝したのは、審査員である上沼恵美子との”因縁”を追い風にしたマヂカルラブリーだった。

 そんな審査員について、今回は松本人志のコメントに注目してみたい。彼はこれまで審査員席で何を語ってきたのか。お笑いの審査員をどのように務めてきたのか。大会の“顔”でもある松本の発言を振り返ることは、M-1の魅力を改めて振り返ることでもあるだろう。

2001年・第1回 「僕は今までで一番良かったですね」

 2001年に第1回のM-1が開催されたとき、大きな注目のひとつは「あの松本人志が審査員をやる」ことだった。笑いの“カリスマ”とも称されてきた彼が何を語るのか。どんな漫才を評価するのか。視聴者の関心のひとつはそこに向けられていた。

 ただ、初回のM-1決勝は、審査員がネタにほとんどコメントをつけずに進んでいった。点数はつける。しかし、その点数の理由は語らない。審査委員長を務めた島田紳助によれば、漫才師と審査員がともに真剣であるがゆえの沈黙だった。

 そんななか、麒麟に対して松本が発したのが「僕は今までで一番良かったですね」との短いコメントだ。今ではTBSの朝の顔を務める川島明と、『ホームレス中学生』で一世を風靡した田村裕からなる麒麟だが、当時はまだ結成2年。世間的にほとんど名前を知られていなかった。そんな知名度の低い彼らに対する、“カリスマ”からの高い評価。もっとも、松本はそれ以上詳しいことは語っていない。「今までで一番良かった」というひと言だけだ。しかし、そのたったひと言に会場は沸いた。当時の松本の言動への、注目度の高さがうかがわれる。

 その後、ダークホースのM-1ファイナリストは“麒麟枠”と呼ばれるようになった。川島いわく「その夜にレギュラーが6本決まった」(『あちこちオードリー』テレビ東京系、2020年7月21日)。無名の芸人が一夜にして有名になるM-1の魅力。松本の麒麟への短い講評は、そんなM-1の魅力を初回にして強く印象づけたものだった。

2006年・第6回 「ツッコんだ後、ドヤ顔で僕を見るのやめてもらえません?」

 実のところ、審査員としての松本はネタの内容にあまり踏み込んだコメントをしない。良かった。笑ってしまった。中盤でダレた。序盤で笑いが少なかった。そういったところまでは語るが、それ以上はあまり語らない。その代わりに、オチを交えて笑わせる。特に初期のM-1でその傾向は強かった。今でも松本の審査コメントにはそんなところがいくらかある。

 他方で、松本は時に笑いを交えた審査コメントのなかで、漫才師やネタを的確に表すキーワードをしばしば残している。たとえば、2006年・第6回大会のフットボールアワーに対するコメントがそうだ。ネタを終えた後の彼らに松本がかけたのは、「あのねぇ、後藤くんねぇ、ツッコんだ後、ドヤ顔で僕を見るのやめてもらえません?」だった。「ドヤ顔」という言葉の起源には諸説あるようだが、このときの松本の発言が「ドヤ顔」という言葉を世間に広げるきっかけになったのは確かだろう。同時にそれは、フット・後藤の“取扱説明書”が広く流布された瞬間でもあった。彼はいまでもその「ドヤ顔」がイジられたり、自らイジられにいったりしている。

 同様の例を挙げるならば、2019年・第15回大会で松本は、ぺこぱの漫才に「これはノリツッコまないボケっていうかね」とコメントした。まだ名前のなかった漫才のスタイルが概念化された瞬間。ぺこぱの漫才はそれ以降「ノリツッコまない漫才」と呼ばれるようになった。

 審査員としての松本は、必ずしもネタの内容に詳しく踏み込まないながらも、芸人やネタの面白さや新しさを的確に形容するキーワードをコメントのなかに残してきた。そのキーワードは、しばしば芸人たちがM-1後にも活躍するための自己紹介の名刺代わりになってきたのだ。

2010年・第10回 「漫才ととっていいのかどうかっていうのがちょっとありましたね」

 2020年・第16回大会の終了後に話題になったのは、優勝したマヂカルラブリーのネタが漫才か否かだった。不意に沸き起こったように見える“漫才論争”。しかし、これまでのM-1を振り返ってみれば、その歴史はどこからどこまでが漫才かの線引きをめぐって揺れてきた歴史とも言える。ある意味で、”漫才論争”はすでに番組上で起こってきた。

 たとえば、ジャルジャルの漫才をめぐる松本の評価がそうだ。2010年・第10回大会の決勝で彼らが披露したのは、ツッコミの側が「練習してきたから」とボケを言い終わる前にツッコむといった漫才。練習してきたネタをあたかも初見のやり取りのように演じる漫才の前提自体にツッコミを入れる、メタ漫才のようなものだ。これを見た西の漫才の重鎮である中田カウスは「これはなぁ、ちょっとキツイかなぁ……」と頭を抱えることになるのだが、松本もまた「これがねぇ、漫才ととっていいのかどうかっていうのがちょっとありましたね」と語った。点数も低めにつけている。

 ただ、2017年・第13回大会でジャルジャルが見せた「ピンポンパンゲーム」のネタに対しては、松本は「僕は一番面白かったんですけど。たぶん、そうでもないと思う人もおるかな。あれ以上行ききっちゃったら曲になっちゃうので、そのギリギリのとこ」などとコメント。「曲になっちゃう」の前には、「漫才というよりも」が省略されているのだろう。他の審査員の点数が伸び悩むなか、松本はこの日の彼の最高点である95点を2人につけた。

 一方、2019年・第15回大会でミルクボーイの漫才を見た際には、「なんでしょう、行ったり来たり漫才とでもいうんでしょうかね。なんか、揺すぶられたなぁ。これぞ漫才っていう、久しぶりに見してもうた感じがしましたねぇ」とコメントしている。

 M-1は、さまざまな芸風の漫才師を決勝の舞台に上げてきた大会だ。そんななか、目の前で見る多種多様な“漫才”をその場でどう評価するか。審査員は自身の漫才観や会場のウケなどを天秤にかけながら、その都度悩んできたのだろう。「これぞ漫才」と「これを漫才ととっていいのかどうか」の間。その行ったり来たりの振幅もまたM-1という大会の魅力だ。

 いずれにしても、かつては「そんなもんは漫才やない。チンピラの立ち話じゃ」と横山やすしから自分たちの漫才を批判されたこともある松本が「これぞ漫才」と「これを漫才ととっていいのかどうか」の間で逡巡する姿には、彼の立ち位置の変化とお笑いの審査員の難しさを改めて感じる。

2019年・第15回 「最近ツッコミの人って結構笑いながら楽しんでる感じが、僕はそんなに好きじゃないんです」

 上で触れたように、第1回のM-1は審査員がネタにほとんどコメントしなかった。第2回以降、ネタ後の講評の時間がとられるようになるが、その時間は近年になるにつれ長くなっている。そして、時間が延びただけでなく、審査員と出場芸人、そして司会の今田耕司の間のやり取りに笑いが増えてきた印象を受ける。いわばM-1は、審査員とファイナリストのやり取りを中心に“バラエティ化”を強めてきた。有名なのは、やはり上沼恵美子とマヂカルラブリーの関係だろう。

 松本の場合は、ニューヨークとのやり取りが印象的だ。2019年の第15回大会でのこと。松本は彼らのネタに「なんかねぇ、これまぁ僕の好みなんでしょうけど」と前置きした上で、「最近ツッコミの人って結構笑いながら楽しんでる感じが、僕はそんなに好きじゃないんです」とコメントした。すると、ニューヨークの屋敷裕政は「最悪や!」と即座に応答。トップバッターとして登場した彼らは、漫才だけでなくこの松本とのやり取りでも会場を沸かせた。観客の笑いの沸点を引き下げ、審査員の点数を引き上げた。

 さらにその翌年もニューヨークは決勝に進出。ネタが終わると、屋敷は即座に「僕はもう笑っても大丈夫ですか?」と前年の話題を持ち出した。このフリに応じた松本のアンサーは「(今年は)ツッコミ、怖かったかなぁ」。昨年とは正反対の評価に屋敷は「ツッコミから表情奪う気ですか?」とツッコみ、またしても笑いを生んだ。こういったM-1の“平場”でのやり取りの巧みさが、2021年のニューヨークの活躍につながっているのだろう。

 松本をはじめ審査員との“平場”の応酬が私たちの記憶に残り、物語となり、翌年以降のM-1やバラエティ番組での活躍につながってきた。今年は、松本はファイナリストとの間にどんなやり取りを繰り広げるのか。そのやり取りを、芸人たちはどのように活かすのか。そんな見方もまた、もはやシンプルな賞レースではないテレビのバラエティ番組としてのM-1の楽しみ方だ。

2020年・第16回 「漫才やることの幸せと、漫才見ることの幸せを今回特に感じました」

 コロナ禍のなか迎えた2020年の第16回大会。そのエンディングで、松本は「漫才やることの幸せと、漫才見ることの幸せを今回特に感じました」と語った。

 そして2021年。漫才をやることの幸せ。漫才を見ることの幸せ。そして漫才で笑うことの幸せ。さまざまな関係者の尽力のもと、テレビの前で今年もそれを感じられることがまずもってありがたい。松本のこの言葉は、1年経った今でもまだ新鮮だ。

 2021年の『M-1グランプリ』。今年もまた、6,017組の頂点に立つ1組が決まる。松本人志をはじめとした審査員が、頂点に立つ1組を決める。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

テレビウォッチャー

関西在住のテレビウォッチャー。文春オンライン、現代ビジネス、日刊サイゾー、日刊大衆、週刊女性PRIME、電子コラム&レビュー誌『読む余熱』などでテレビに関する文章を執筆。

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