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あばら骨が折れても「もういっちょ!」立田川親方が語る師匠・錣山親方の偉大さと奮闘する阿炎への思い

飯塚さきスポーツライター
故・錣山親方との思い出を語ってくださった立田川親方(写真:筆者撮影)

大相撲初場所6日目。前頭2枚目の阿炎が、ついに今場所初白星を挙げた。昨年末、60歳の若さで急逝した師匠の錣山親方(元関脇・寺尾)に捧げる、大きな白星だった。深い悲しみに包まれるなか、土俵に上がり続ける錣山部屋の力士たち。彼らを一番近くで見守る「師匠代行」の立田川親方(元小結・豊真将)に、愛する師匠との思い出や、部屋の力士たちの様子などについて伺った。

錣山親方から教わったのは、気迫と闘志

――昨年末、師匠の錣山親方が亡くなられ、角界の内外から驚きと悲しみの声が相次ぎました。

「自分たちも、ただただびっくりでした。おかみさんからは、歩く練習や筋トレなどのリハビリをしていると聞いていて、今日はここまでにしましょうと言われても『もう1セットお願いします!』といった感じで、やる気に満ち溢れていたそうなんです。徐々によくなってきて、一般病棟に移った日に心臓が止まってしまった。本当にびっくりでした」

――師匠との思い出はたくさんあると思いますが。

「自分は、入門する経緯からです。入門前は、日大を中退してとび職のアルバイトをしていました。22歳の入門制限が近づくなか、たまたま師匠が部屋を興すタイミングで、働いていたとびの会社が仮の稽古場の土俵を作りました。そのご縁で、社長から師匠を紹介してもらい、会ってもう一度相撲をやろうと決めたんです。その出会いも奇跡的ですよね。3年ほど相撲から遠ざかって一般の生活をしていたから自信はなかったけど、師匠が『一緒に頑張っていこう』『これから一番上を目指すぞ』と言ってくれたことを思い出します。自分が幕下のときは、いきなり『申し合いやるぞ』と言われたこともありました。当時、師匠はまだ鍛えていたんですが、自分ももう幕下8枚目くらい。でも、それまで受けてきた突っ張りのなかで一番強かった。あのとき、たぶんいまのぼくと同じくらいの年齢(42歳)だったと思うんですが、いま幕下上位の力士と稽古なんて、怖くてできないですよ。しかも1番目は師匠に負けて、2番目で『本気で来い!』と言われて思い切りぶつかっていったら、自分の左手が師匠の肋骨にバキッと当たって2本折れたんです。しゃがみこんでうなっていたけど、そこからまた2番取りましたからね。普通、あばら骨折れていて相撲なんか取れないじゃないですか(笑)。それでも『もういっちょ!』と言った気迫。いま思うとすごいと思います」

突っ張りでならした現役時代の寺尾(写真左)。細身ながら、気迫あふれる相撲と甘いマスクで多くのファンを魅了した
突っ張りでならした現役時代の寺尾(写真左)。細身ながら、気迫あふれる相撲と甘いマスクで多くのファンを魅了した写真:山田真市/アフロ

――師匠からかけてもらった言葉で、心に残っているのは。

「僕は大人しい性格だったから、師匠の情熱や気迫を見習うべきで、どちらかというとそういった闘志や気持ちの面をよく言われました。2009年5月場所で初日から14連敗したときは、負けが込んで闘志が衰えていた部分に師匠は一番怒ったし、最後はお客さんのために相撲を取れと言われましたね。僕は土俵で最後の塩を取る前の所作で胸をたたいていたんですが、あれも師匠に言われて始めたことでした。気持ちを強く持て、胸をたたけと。それからです」

今場所の阿炎は「負けても師匠に褒められるいい相撲」

――「師匠代行」という形で部屋を守る親方ですが、部屋の皆さんの現在の様子はいかがですか。

「だいぶ落ち着いていつも通りですが、まだ四十九日も終わっていないので、師匠が亡くなった実感がなく、いつかひょっこり現れてくれるんじゃないかなとすら思っています。葬儀ではたくさんの人とお会いして、いままで以上に師匠の偉大さ、愛された力士だったことを実感しました」

――皆さん、悲しみのなか稽古に励んできたと思うと、胸が張り裂けそうです。

「いままで以上にやったと思います。みんな目標は勝ち越しですが、師匠は勝ちにこだわるのではなく、お客さんを沸かせるようないい相撲を取れ、絶対に最後まで諦めるなと言っていました。いい相撲を取れば褒めてくれるし、悪い相撲を取ったら怒られる。いままでと変わらずいい相撲を取ろうと、自分も言っています」

――親方ご自身の今後はどうなるのでしょうか。

「いまは、部屋を運営していけるようにおかみさんと話している最中ですが、まだ具体的には何も決まっていません」

――今場所の弟子たちへの思いは。

「師匠が亡くなって、みんな師匠のために勝ちたい気持ちを秘めていますが、自分はとにかくケガなく、師匠に褒めてもらえるような相撲を取ってもらうのが一番の願いです。師匠は常々、弟子の相撲を見るのが一番の楽しみだと言っていたので、上から三兄弟で酒を飲みながら『いい相撲だったな』と言って見ているんじゃないかなと思います」

――部屋頭である阿炎関についてはいかがですか。

「洸助(こうすけ、阿炎の本名)が、師匠に一番怒られて、一番突き押し相撲を教わりましたからね。初日から負けてしまいましたが、逃げないで引かずに突き切る気持ち、師匠に恥ずかしくない相撲を取り切ろうという気持ちが僕には見えたので、勝ちにつながらなくても師匠は褒めてくれると思いますよ」

――おっしゃる通りですね。環境が変わり、お忙しいとは思いますが、親方は今年をどんな一年にしていきたいですか。

「重圧もあるかもしれないし、簡単じゃないとは思いますが、師匠の思いを伝えたり、共有したり、一緒に思い出したり――。師匠が口うるさく『みんな仲良くしないとダメだぞ』と言っていたので、部屋のみんなで一丸となって、仲良く頑張っていきたいですね」

スポーツライター

1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(アプリスタイル)などで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、構成・インタビューを担当した横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』が発売中。

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