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横綱・照ノ富士も「素質があって芯の通った子」と太鼓判 大相撲九州場所で新十両決めた尊富士の素顔とは

飯塚さきスポーツライター
所要8場所で新十両を決めた、伊勢ヶ濱部屋の尊富士(写真:筆者撮影)

大相撲九州場所で、見事新十両昇進の切符を手にした伊勢ヶ濱部屋の尊富士。所要8場所でのスピード出世となった。今夏優勝した同部屋の横綱・照ノ富士も太鼓判を押す尊富士に、これまでの土俵人生と2024年への意気込みを語っていただいた。同時に、横綱から尊富士へのコメントもお届けする。

これまで相撲から「逃げたことはありません」

――新十両昇進おめでとうございます。率直な感想はいかがですか。

「地元の方々が喜んでいるのを見て、自分もうれしい気持ちになりますが、僕自身はやはり、目標がもっと上なので、これからのほうが大事だという気持ちのほうが大きいです。やっと一からだと思っています」

――先場所はいかがでしたか。

「一番一番前に出ることができたのでよかったです。特に緊張はしませんでした。勝ち越しの意識もまったくなく、見ているお客さんの前で自分の相撲を取ることだけを考えていました」

――昨年アマチュアからプロへ入って、どんな違いを感じていますか。

「プロは稼がないといけないですし、アマチュアと違って、自分で考えないと上に行けない。初めてプロに入ったときは、また違った重圧を感じました。大学を背負うのと自分を背負うのとで、全然違いますね。でも、僕はむしろ一日一番しか取らないプロのほうが向いているなと自分では思っています」

稽古場で汗を流す尊富士(写真右)(撮影:倉増崇史)
稽古場で汗を流す尊富士(写真右)(撮影:倉増崇史)

――相撲を始めたきっかけは。

「祖父がアマチュア相撲をやっていたので。僕が生まれる前は指導者でした。最初は何が何だかわからないまま道場へ連れて行かれたんです、物に釣られて(笑)。保育園の頃だったのかなあ。生まれてから、自分の記憶があるところでは、相撲をやっていない人生がないんです」

――あまり乗り気でなかった相撲をここまで続けて来られた理由はなんでしょうか。

「ひとつのものに集中したい、諦めたくないという気持ちが強かったんです。自分のやっていることから逃げたくない。やりたくなくてもやるしかないと、小学生の頃からそう思って、逃げたことはありません」

――ほかのスポーツの経験は。

「小学4年生の1年間だけ野球もやっていたんですが、その年のわんぱく相撲で上位に入賞したので、相撲一本に絞りました」

――運動神経がいいので、ほかの競技経験があるのかなと思ってお聞きしました。

「小さい頃から走るのが好きで、ゲームよりも鬼ごっことか外遊びのほうが好きでしたね。体を動かすのがとにかく好きでした。あと、雪道で遊んできたのもよかったのかもしれません。僕の住んでいた青森県五所川原市は、世界でも積雪が多い地域らしくて、雪道を歩くときの力加減が身についているので、絶対転ばないです。東京とは景色が全然違いますよ。この間久しぶりに地元に帰ったら、寒くて死んじゃうかと思いました(笑)」

悔しさから入門を決意 横綱にあこがれ伊勢ヶ濱部屋へ

――中学を卒業後、強豪・鳥取城北高校へ進学。15歳で親元を離れるのは寂しくありませんでしたか。

「寂しさよりも、地元を捨てたくない気持ちがあったんですが、僕は常に上を目指す環境でやってきたんで、妥協せずに一番厳しいところを選びました」

――その頃からやはり将来はプロへと考えていたんですか。

「いえ、まったく。むしろ行きたくないと思っていました。入門を決めたのは、大学4年のすべての試合が終わった後です。ケガで追い込まれてタイトルも取れず悔しかったので、地元からの関取誕生というのが僕の夢になりました。活躍できなかった分、周りに負けたくないと強く感じました」

――それまでは、ほかのお仕事に就こうと考えていたんでしょうか。

「はい、トレーニングが好きだったので、トレーナーになろうかなと思っていました。でも、やっぱり中途半端に生きたくなかった。相撲を諦めるなら死んだほうがマシと思いました」

――なかでも伊勢ヶ濱部屋を選んだ理由は。

「横綱(照ノ富士)ですね。中学のときに、伊勢ヶ濱部屋が地元に稽古に来たことがありました。親方が同じ中学校の出身なんです。その後、横綱が僕に話しかけてくれたのは高校生の頃。あこがれの存在でした。横綱の生き様、相撲への真面目さに感銘を受けたのと、関取の多い名門だったので、伊勢ヶ濱部屋に決めました。稽古が厳しいし、ここだったら強くなれると思ったんです。入ってみたら、相撲のときはみんな厳しいんですけど、終わると本当に皆さん面倒見がよくて、優しいです。よく錦富士関と翠富士関と一緒にいます」

取材日も、横綱・照ノ富士(写真右)から熱心に指導を受けていた(撮影:倉増崇史)
取材日も、横綱・照ノ富士(写真右)から熱心に指導を受けていた(撮影:倉増崇史)

「夢は、横綱と一緒に土俵入りをすること」

――目指す理想の相撲はどんな相撲ですか。

「いまのお相撲さんにはないような、出足でバーッともっていく押しを目指しています。もっと上で勝つためには、立ち合いを一番強化したいと思いました。相手の嫌がる相撲を取っていきたいです。いまは客観的に見て直したほうがいいところを教えてもらって、それを直すことが一番大事ですね」

――師匠の伊勢ヶ濱親方や横綱がアドバイスしてくださっているんですね。

「はい、横綱はいつも本当によく見てくださっています。本場所より緊張しちゃいますね。親方にはもっと緊張します。そんな相撲部屋での生活は、生きているなあって感じがします(笑)」

――今後どんなお相撲さんになっていきたいですか。

「目指すは横綱みたいなお相撲さん。特に相撲に対する考え方を尊敬しています。ケガのことで周りに何を言われても、待っている周囲やお客さんのために、そして自分のために、何が何でもやるというところがカッコいいんです。誰がライバルではなく、自分でやるしかありませんから。僕の夢は、横綱と一緒に土俵入りをすること。それを目標に、来年からも頑張ります」

~横綱・照ノ富士からのコメント「強くしてあげたい」~

「最初の印象としては、真面目そうだなと思いました。もともと素質があるし、ちゃんと芯の通っている子。仲間を大事にする一面もある。まず力士は強くならなくちゃいけないんだけど、それを念頭に置いて取り組んでくれています。もちろん、まだまだ足りない部分、甘い部分はあるけど、そういうところは自分がひとつひとつ教えていってあげたいし、スカウトして伊勢ヶ濱部屋を選んでくれたからには、強くしてあげたいなと思っています」

スポーツライター

1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(アプリスタイル)などで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、構成・インタビューを担当した横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』が発売中。

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