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大相撲名古屋場所で敢闘賞の北勝富士と琴ノ若 まるで“兄弟”埼玉栄出身の2人が語り合う厳しさと思い出話

飯塚さきスポーツライター
大相撲名古屋場所で活躍した琴ノ若(写真左)と北勝富士(写真:すべて筆者撮影)

大相撲名古屋場所で優勝決定戦に臨んだ北勝富士と、小結で11勝を挙げ、9月場所は新関脇として臨む琴ノ若。年齢こそ5つ離れているが、同じ埼玉栄で力をつけた先輩後輩でもある。高校3年間の後、日本体育大学を経て角界入りした北勝富士と、中学から埼玉栄に入学し、高校卒業後に角界入りした琴ノ若は、それぞれ2015年3月、同年11月に初土俵を踏んだ。そんな二人の対談が実現。(埼玉)栄時代の思い出話に花が咲いた。

栄を経験したらどんなことも乗り越えられる

――同じ埼玉栄校出身のお二人。琴ノ若関は中学から入られたので、北勝富士関が高校3年生、若関が中学1年生の1年間は一緒だったのですね。お二人の出会いはどんなふうでしたか。

北勝富士 僕が高校1年生くらい、将且(まさかつ・琴ノ若の本名)が小学生の頃からもう栄に来ていたんだよね。

琴ノ若 はい。5年生くらいから泊まりにも行っていました。当時からもう、親元を一度離れたほうがいいなと思って、栄に入ろうっていう意思がありました。

――そうでしたか。その頃のお互いの印象は。

北勝富士 将且はもう、とにかくかわいいかわいい。まだ小さくてプリプリしていて、ちょっといじったらすぐ泣く泣き虫だったし、弟よりももっと子どもみたいでした。

琴ノ若 自分はめっちゃ迷惑かけたと思うんですけど。大輝さん(北勝富士の本名)は、強くて優しい先輩。試合や稽古を間近で見させてもらったら、サイズ感も迫力も全然違うし、土俵が小さく見えました。

北勝富士 僕はずっと将且の面倒を見ていた感じがします。近くのゲームセンターにもよく連れて行ってあげたし、厳しくはないですけど、悪いことをしたら注意したり、同級生と喧嘩したらちゃんと仲直りしろよって言ったり。

琴ノ若 しょうもないことでよく同級生と喧嘩していましたね(苦笑)。

北勝富士 まあ、これだけ年が離れていれば、ダメだよと言うくらいで、烈火のごとく怒ったことはないです。稽古場では、小学生の頃からとにかく体が柔らかい子だなと思っていました。この柔らかさで力がついたら、そりゃあ強くなるよなと。

琴ノ若 中学生まではほとんど相撲を取らず、基礎運動が中心なんです。だから、大輝さんには基礎をずっと教わっていました。栄特有の基礎メニューがあるので、一緒にやってもらって。

北勝富士 小中学生までは、やっぱりお母さんのおいしいご飯を好きなだけ食べて、お菓子やジュースも自由だと思うので、大きい子でもただ脂肪で太っているだけなんです。栄に入ったら、稽古で汗を流して、監督の山田先生のごはんでまずは体を全部改善していきます。お菓子や炭酸も禁止です。

琴ノ若 僕も最初は10~20キロくらい体重が落ちました。食べても食べても痩せていくんです。稽古も寮生活も徹底されていて、勝負にかける集中力が違うなと思いました。

北勝富士 栄を経験したら、どこも楽勝だよね。

琴ノ若 はい、本当にどんなことも乗り越えられるなって思います。

すっかり“お兄ちゃん”の表情で琴ノ若を見つめる北勝富士
すっかり“お兄ちゃん”の表情で琴ノ若を見つめる北勝富士

――強豪校なので、いろんなことが厳しかったんだろうと思いますが、特にどんなことが大変だったんですか。

北勝富士 ちゃんとしなきゃいけないっていうプレッシャーですかね。栄校生っていう自覚と感謝の気持ちをもてと、ずっと口酸っぱく言われていたので。

琴ノ若 私生活も稽古も学校生活も、とにかく調子に乗っちゃダメなんです。入学当初は特に、1年生の決まりとかやることを覚えないといけないし、ちゃんこ番もしないといけないし、頭がいっぱいいっぱいでした。

北勝富士 親に送ってもらって寮に帰る車の中、めちゃくちゃため息ついていたもん。このまま一回家帰らない?って。

琴ノ若 わかります。でも、自分は家帰っても土俵あるんで。(※編注:父は現師匠で実家は佐渡ヶ嶽部屋)

北勝富士 そっか。どうせやらされちゃうのか。

――若関は特殊環境ですもんね(笑)。

北勝富士 先生も先輩も怖かったけど、高校3年生になったらなったで、とにかくインターハイ団体優勝のために、それしか見ずに朝練もきっちりやっていました。

琴ノ若 はい、最後の年は、同級生同士多少仲が悪くても、目標は一つでした。その気持ちがほかの大会にもつながっていくので、そういうモチベーションがプロになったいまも生きています。これだけ稽古したんだからっていう自信になる。栄で学んだ精神力が、全部詰まっています。ただ、卒業していまやっと笑い話になっていますけど、当時はきつすぎて全然笑えなかったです。

北勝富士 栄で学んだ3年や6年は、本当に一生の宝です。その後大相撲に入ろうが、就職しようが、力士を引退して親方になろうが、自分へのプラス。これだけの生活を頑張ってやってきたんだっていう自負があるから、どんな道でも頑張れるんだと思います。

楽しかった学校生活の思い出、そして角界へ

――栄での3年間ないし6年間が、お二人の大きな土台になっているんですね。ちなみに楽しい思い出は何かありますか。

北勝富士 やらかしごとはいっぱいあります。将且がまだ6年生だった頃の旅行がやばかったんです。年に1回旅行があって、その年は千葉の房総半島にあるホテルだったんですけど、まだ6年生だった将且も一緒に連れて行って。でも、テンションが上がりすぎて、ふざけた先輩がトイレのドアをぶっ壊しちゃったんです。

琴ノ若 食事会場のエレベーターの前にみんなで並んで、先生にその後怒られたんですけど、僕も一緒に並ばされていました(笑)。

北勝富士 あと、外の冷たいプールに突き飛ばし合ってはしゃいでいたら、いきなり林の奥から山田先生が出てきて、また怒られたなんて人もいたし。

琴ノ若 そのときたまたま山田先生は露天風呂に入っていたんですよね。お風呂には一応柵があったらしいんですけど、騒ぎを聞いて乗り越えてきたって(笑)。自分は、大輝さんと一緒に室内プールにいたので、中でよかったって言い合っていましたもんね。

――そんなことも、いまとなってはいい思い出ですね。北勝富士関は大学卒業後の2015年3月、琴ノ若関は同年11月に初土俵を踏みましたが、角界入りしてからの交流は。

北勝富士 栄の集まりとか、巡業先でご飯に行くことはあります。でも、本当はもっと誘ってほしいんだよ。

琴ノ若 え!そうなんですか。なんか失礼かなと思って…。

北勝富士 そんなことないよ。大丈夫だよ。

――お二人は過去に5回対戦があります。初めて対戦したときはどんな心境でしたか。

北勝富士 感慨深いものがありましたね。幕内まで上がってすごいなって。でも、土俵に上がったら勝ちか負けしかないし、死ぬ気でいかなきゃいけないですしね。そこはやっぱり勝負の世界なので、どんな相手にもベストを尽くすっていうのは変わらないです。

琴ノ若 僕からしたら先輩なので、胸を借りるぐらいの気持ちで向かっていくしかありません。まず、同じ土俵に立てるっていうことに感動というか、なんとも言えない感じになってしまいましたが、ただ必死になっていくことを考えていました。そして、(昨年1月)後輩の王鵬と対戦したときに、やっとちょっと先輩たちの気持ちがわかりました。

北勝富士 栄出身の力士たちは、仲がいいからこそ、よく喋るからこそ、負けたくない。いい意味での発奮材料になっていると思います。

栄での数々の“事件”を、琴ノ若も子どもの頃の思い出として振り返る
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そろって敢闘賞受賞の名古屋場所 9月場所への抱負

――先の名古屋場所では、お二人とも敢闘賞受賞の活躍でした。北勝富士関は、12勝3敗で優勝決定戦にまで臨みました。振り返っていかがですか。

北勝富士 僕はコロナ禍で精神的にすごく落ち込んでいて、自分の相撲がなかなか取れずに4場所連続で負け越していたので、シンプルに勝ち越したかった。今場所は外出制限もなく、ご飯を食べに行ったりサウナに行ったりと、勝っても負けても気持ちのいい切り替えができたことがよかったかもしれません。途中、朝稽古や取組でケガをしてすごく不安だったんですけど、逆に肩の力が抜けて早めに勝ち越せたので、自分でもびっくりしました。

――決定戦は緊張しましたか。

北勝富士 プレッシャーはなかったんですが、身震いするような不思議な感じはしましたね。頭では攻める気持ちでいたのに、はたいてしまった。師匠(元横綱・北勝海)もまったく同じ経験があるみたいで、気持ちがすごくわかると言っていただき、だからこそもっと稽古して、同じような場面ではたかないように体に覚えさせるしかないと言われました。ただ、これまで落ち込んでいたところからの決定戦の土俵だったので、応援してくれる人が多く、また奮起できたのでよかったです。

――若関はいかがでしたか。

琴ノ若 序盤はよくない相撲が出たところもあったので、反省して直していかないといけませんが、終盤は自分が思っているようないい相撲をどんどん取れたので、11番につなげられたのかなと思います。ここのところ、勝ち越しても上がれないことが続いていたので、5場所連続小結で取ってやろうというくらいの気持ちで、思い切っていけたのがよかったのかなと。内容がよかったのは千秋楽の一番。勝てば三賞もいただけるというなかでいい相撲が出たのは、ひとつ自信になったというか、気持ちの面で少し成長できたかなと思います。前日に2桁勝っていたので、しっかりもう1番積んで次につなげようという気持ちでした。その気持ちで土俵に上がれたので、そんなにプレッシャーなく取れたのかなと思います。

――9月場所はいよいよ新関脇です。昇進おめでとうございます。どんな場所にしたいですか。

琴ノ若 次も先場所の終盤のような相撲を続けていくことが結果につながってくると思いますので、優勝も狙っていければいいなと思います。何事も、できると思っていかないといけないので、常にそこを目指して土俵に上がりたいです。

北勝富士 僕は、勝ちたい気持ちが先走ると力が入ってしまうので、自然体で、思い切りがむしゃらにやっていけたらなと思います。そうすれば、先場所のように優勝争いができると思うので、意識しないように臨みたいです。

――では最後に、お互いにメッセージをお願いします。

北勝富士 本当にまだ若いですから、これからの角界を引っ張っていけるような力士になってほしいし、「琴ノ若」を越えて「琴櫻」になっていってほしいなと思っています。

琴ノ若 栄で角界を引っ張っていきたいので、幕内上位を栄で埋め尽くすぐらいの勢いで、一緒に頑張っていきたいです。あと、巡業のときはお声がけします。

北勝富士 それはぜひ。酒、強いらしいからね。

琴ノ若 いや、それは尾ひれがついているかもしれないです(苦笑)。

スポーツライター

1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(アプリスタイル)などで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、構成・インタビューを担当した横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』が発売中。

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