Yahoo!ニュース

これでいいのか、成田空港検疫 検査結果待たずの帰宅に強制力なしの14日間待機 米国からの帰国体験ルポ

飯塚真紀子在米ジャーナリスト
閑散としているLAX(ロサンゼルス国際空港)の国際線ターミナル。筆者撮影

 新型コロナウイルスの感染拡大が始まって半年。

 米国在住の日本人の多くが、一時帰国したくてもできない状況が続いている。毎夏、一人暮らしの高齢の母をみるために一時帰国している筆者も、今年はいつ一時帰国できるのか考えていた。秋に延期することも考えたが、秋冬には第2波が襲来することも予測されている。感染がいつ終息するのかもわからない。

 母からは、電話で話す度にこう言われた。

「生きて、日本に戻ってきてよ」

 一時帰国を5月半ばに決め、先週半ば、帰国した。

 成田空港の検疫所で受けたPCR検査で陰性の結果が出て、現在、友人が用意してくれたアパートで、14日間の待機を続けている。

 今回は、帰国前から現在の待機に至るまでの体験を書きたい。

一時帰国の問題

 帰国前、ニューヨーク在住の同郷の友人と一時帰国について話し合った。彼女もいつ一時帰国したらいいのか、タイミングを考えていた。一時帰国にはいくつか考えなければならない点があるからだ。

 

 1つには、空港でPCR検査を受けて陰性判定を受けたとしても、14日間は待機する必要があること。例えば、3週間の一時帰国を予定したとして、うち2週間待機することになるのでは、正味1週間しか活動できないのと変わらない。

 また、帰国した場合、空港から自宅あるいは14日間待機をする場所までは公共交通機関を使えないため、どう移動するかという問題。

 成田空港から実家のある大分県までどうやって公共の交通機関を使わずに帰るのか? レンタカーを借りることは許されているので、それで帰る方法もある。しかし、日本での運転には慣れていない上、時差ボケ下での運転は危険も伴う。それに、途中でどこかで1泊はする必要が出てくるのではないか。途中で一泊しても構わないのか? 

 移動が難しい場合、空港近くにある、帰国者を受け入れているビジネスホテルで14日間待機する手はある。実際、そうしている帰国者もいる。しかし、14日間のホテル滞在費は高額になる。

 筆者は、関空に飛ぶことも考えた。関空からなら、PCR検査結果で陰性判明後は、大阪に住む姉の家までレンタカーで行き、待機することも可能だと考えたのだ。しかし、筆者が帰国便を調べた5月半ば時点では、ロサンゼルス空港から関空便が飛んでいなかった。

(*ちなみに、6月27日に、現地駐在員らの要望で、JALの臨時便がロサンゼルスから関空まで飛んだ。)

 ニューヨークの友人は、例えば、韓国経由などで福岡空港に飛ぶルートができたら、そこでレンタカーを借りて大分に一時帰国することにすると話している。

 筆者の場合、幸い、関東圏に住む友人が空港まで迎えに来てくれることになった。しかも、14日間待機するためのアパートも用意してくれることになった。大感謝だ! 

 さて、帰国便はマイルを貯めているユナイテッド航空便にしようと思ったら、乗客が少ないからだろう、ユナイテッド航空便は飛んでおらず、ANAとの共同運航便となっていた。そのため、搭乗するのはANA便となった。

防護服姿で登場する乗客も

 帰国日のロサンゼルス空港の国際線ターミナル。

 エントランスがいつもと違っていた。以前は、ターミナルビル内部には、どのドアからの出入りも可能だったが、客同士の対面を避けさせるためだろう、入口と出口が別々になっていた。ビルに入ると、早速、ソーシャルディスタンスを呼びかける看板が並んでいた。

 ANAのチェックインカウンターではすでにチェックインを待つ乗客の列ができていたが、中には、3Mの白い防護服を着用している若者たちの姿もあった。グランドスタッフが、列に並んでいる乗客1人1人に国籍を確認していた。日本国籍でない乗客には、成田でトランジットするのか確認していた。筆者の後ろには中国籍の男性が並んでいたが、彼は別の場所に誘導されてしまった。

ANAのチェックインカウンターの列には、防護服を身につけた乗客の姿もあった。筆者撮影
ANAのチェックインカウンターの列には、防護服を身につけた乗客の姿もあった。筆者撮影

 チェックインカウンターでは、座席の候補をいくつかあげられ、その中から、選んだ。乗客がソーシャルディスタンスを保つように席を決めているようだ。検温や健康状態の確認が入念に行われるのではないかと予測していたのだが、そんなことはなかった。

 セキュリティーゲイトに向かった。パスポートや航空券の確認をするデスクに向かう列に入る前に、犬を放たれた。なんのために犬を放ったのか何の説明もされなかったが、先日、犬がコロナ患者を発見することができるという報道を見たので、あくまで推測ではあるが、コロナ感染者を嗅ぎ分けるテストをしていたのかもしれない。ちなみに、筆者に放たれた犬は、すぐに、筆者から離れて行った。

ロサンゼルス国際空港(LAX)の国際線ターミナル。免税店もブランド店も閉まっており、閑散としている。筆者撮影
ロサンゼルス国際空港(LAX)の国際線ターミナル。免税店もブランド店も閉まっており、閑散としている。筆者撮影

機内でのソーシャルディスタンスに疑問

 手荷物検査を受けた後、搭乗ゲイトに向かった。免税店やコーチなど小売店はみな閉まっていた。開いていたのはキオスクやスタバ、レストラン1店くらい。機内感染を懸念し、キオスクに販売されているN95相当の防護力があるというマスクを購入した。

 さすがに乗客は少なく、ゲイト付近で搭乗を待っていた客を数えると50人ほどだった。

 機内に入るとその少なさは歴然。ガラガラだった。しかし、ソーシャルディスタンスを保持した客の配置なのかという、そこは疑問を感じた。同列の左右の乗客を見た場合、ソーシャルディスタンスは保たれていた。しかし、筆者の前列の席には2人、後列の席には母と子2人がおり、前後のソーシャルディスタンスが保持されているとは思えなかったからだ。そして、機内最後方部の席は、前後、左右とも十分なゆとりがあった。そのため、客室常務員に話して、最後方部の席に移動させてもらった。

ロサンゼルス発成田空港行きのANAのNH5便の機内の様子。筆者撮影
ロサンゼルス発成田空港行きのANAのNH5便の機内の様子。筆者撮影

 離陸前の安全説明のビデオでは、機内でのマスク着用の必要性はもちろん、機内の換気が徹底されており、30分ごとに全ての空気が交換されていることが伝えられた。

 機内サービス開始前には、アルコールシートと使用済みのシートを入れるビニール袋が渡された。機内食は特に、通常とは異なる点は感じられなかった。

 機内では、成田空港の検疫所で行うPCR検査のための質問票と、検査後の14日間の待機場所や待機中の注意事項などが記されている用紙が配布されたので、それらに記入した。

機内で渡されたPCR検査のための質問票(表面)。筆者撮影
機内で渡されたPCR検査のための質問票(表面)。筆者撮影
質問票(裏面)。筆者撮影
質問票(裏面)。筆者撮影
「検疫所よりのお知らせ」には、待機場所記入欄がある。筆者撮影
「検疫所よりのお知らせ」には、待機場所記入欄がある。筆者撮影

迎えの車ですぐに帰宅するのは問題

 成田空港に到着すると、第1グループ=他の国際線便にトランジットする客、第2グループ=空港に出迎えの車が来ている客、第3グループ=迎えの車がなく、政府が確保している宿泊施設で検査結果が出るまで待機する客の順で、機内から降りた。

 筆者は、検査結果が陰性の場合のみ、友人に車で迎えに来てもらうことにしていたので、第3グループだった。検査結果が陽性の場合、病院か専用の宿泊施設に送られることになるからだ。

 検査結果が出るまでは、政府が確保している宿泊施設に留まることは重要だ。検査結果を待たずに、迎えの車に乗ってすぐに自宅に戻った場合、陽性者は、家族や同居人に家庭内感染させてしまう恐れがあるからだ。

 しかし、成田空港では、上記の第2ブループに該当する乗客は、検査終了後、迎えの車に乗ってすぐに帰宅することが可能となっている。水際対策を強化するためにも、第2グループはなくすべきだと思う。空港検疫で陽性になる入国者の数が、緊急事態宣言解除前の4倍と増加していることを考えると、このことは重要だ。

 筆者は第3グループであるため、降りるまで、1時間ほど機内で待たされた。

 降機後、まず、PCR検査を受けるのを待つために設けられた場所で待機した。そこには、1人がけの椅子がずらりと並んでいたのだが、椅子と椅子の間には、2メートルのソーシャルディスタンスが取られていないと感じた。その間隔はおそらく1メートルくらいだろう。

14日間の「自主待機」

 この場所で40〜50分ほど待った後、検疫場所へと誘導された。検疫場所は写真撮影禁止となっていた。

 そこでは、係員が10人ほど横一列に並び、個々の乗客に対応していた。係員はマスクはもちろん着用してはいたものの、シャツにパンツというごく普通の姿で、防護服も着用していない。彼らは機内で配布された質問票の記入内容を入念に確認した。額には検温器も当てられた。36.1度だった。

 質問票の中には、「LINEアプリ等を活用した健康確認への同意」に対し、イエスかノーか答える質問項目もあり、筆者はイエスと記入していたのだが、海外登録のスマホではこのアプリは使えないとの説明を係員から受け、結局ノーの回答に変更した。海外からの入国者により感染が広がる可能性が高いことを考えると、海外登録のスマホでも使えるようにできないものか。

 14日間の待機先の電話番号を記入する必要があったが、わからなかったので、待機中の連絡先には、大分の実家の電話番号と日本でも使えるアメリカの携帯番号、メルアドを記入した。

 待機中は、保健所から健康状態を確認する連絡が行くという説明を受けたが、ホテルを出て6日目の現在まで、確認電話もメルアドへの連絡も来ていない。

 気になっていたのは、陰性判明後の14日間の待機中、アパートから一切外出できないのかということだった。毎日、ウーバーイーツを頼むわけにもいかない。最寄りのスーパーに食料品など必需品の買い出しには行ってもいいのか? その点を係員に質問すると「必要最小限の外出はしても大丈夫です。待機は強制ではなく、罰則もありません」という回答。案外、緩い。

 実際、帰国者のブログを見てみると、14日間の待機中、毎日、公園に散歩に行っていた人もいるし、レストランに行っていた人もいるようだ。

 つまり、「14日間の強制隔離」ではなく、あくまで、帰国者の自主性に任せる「14日間の自主待機」なのである。しかし、空港検疫で陰性になった後に受けたPCR検査で、陽性になった者もいることを考えると、これでいいのかと疑問に思う。

 一方、アメリカの場合、州によっては、海外からの帰国者に対して買い物に行くのも禁止している「14日間の強制隔離」を求め、違反した場合は、罰金や逮捕という罰則を設けているところもある。

ダンボールの検査ブース

 そして、PCR検査。

 驚いたことに、オープンしている検査ブースはたったの2つしかなかった。しかも、その2つのブースはダンボールのボードで簡易に仕切られているだけだった。まず、検査番号と本人確認が行われ、椅子に着席すると、防護服を着た検査員からマスクを鼻の下まで降ろすように言われた。長い綿棒を鼻に入れられたが、緊張していたせいか「力を抜いて下さい」と注意を受けた。かなり奥まで入れられたからか、少し痛みが走った。検査後は、テーブルに置かれている消毒液で手を消毒するよう促された。

 隣の検査ブースでは、検査員が鼻の奥まで綿棒を入れた後、5秒間数えていた。中には鼻に綿を詰めている男性もいた。検査の際、鼻血が出たらしい。

 ちなみに、6月28日、成田空港での検査数が1日1,000件を突破した。緊急事態宣言が解除され、夏休みシーズンにも入ることから、帰国者の増加は必至と思われる。検査ブースを拡充させる必要があるのではないか。

ダンボールのベッド部屋

 検査後は入国審査を受けて、バゲージクレームでスーツケースをピックアップ。そこにいた女性係員が、政府が確保している宿泊施設で検査結果待ちする乗客を、迎えのバスが到着するのを待つ待機場所へと案内してくれた。

PCR検査後、この紙を入国審査場所で提示。筆者撮影
PCR検査後、この紙を入国審査場所で提示。筆者撮影
北ウイングのバゲージクレームにズラリと並ぶダンボール製の簡易ベッド。筆者撮影
北ウイングのバゲージクレームにズラリと並ぶダンボール製の簡易ベッド。筆者撮影

 「立ち入り禁止」のラインを越えて誘導されたのは、北ウイングのバゲージクレームだった。バゲージクレームの間には、ダンボール製の簡易ベッドがずらりと並んでいた。ざっと数えたところ、少なくとも100床はあったと思う。しかし、筆者が待機していた時点では、実際に使用されていたのは、20床くらいだった。

 水ボトルやバナナ、おにぎりなどの食べ物も置かれており、バスが来るまでの間、無料で取ることができた。

 そこでは40分ほど待っただろうか。迎えのバスが来たとのアナウンスを受け、バス乗り場に誘導された。

 バスに搭乗して驚く。内部が、隅から隅までビニールシートで覆われていたからだ。バスが出発する際は、運転席との間もビニールシートが降ろされた。窓にはカーテンが降ろされているので、外も全然見えない。そのため、どこをどう走っているのかもわからなかった。いったいどこに連れて行かれるのか? そんな不安がよぎった。カーテンまで降ろす必要があるのだろうか? 

成田空港から、PCR検査の検査結果を待つ間滞在する政府が確保している宿泊施設へ向かうバスの中。全面ビニールシートで覆われていた。筆者撮影
成田空港から、PCR検査の検査結果を待つ間滞在する政府が確保している宿泊施設へ向かうバスの中。全面ビニールシートで覆われていた。筆者撮影

ホテルで検査結果待ち

 到着したのは、成田空港の近くにある某大手ビジネスホテルチェーンのホテルだった。成田空港に到着したのが午後4時頃だったので、PCR検査や様々な場所での待機を経て、ホテルに入るまで3時間半ほどかかったことになる。

 バスから降りる前に、部屋番号を書いた紙を渡された。ロビーには、厚生労働省の職員と思われるスタッフがズラリと控えていた。なぜ、彼らが厚労省の職員だと推測したかというと、2日後、筆者を迎えに来た友人がロビーにいたスタッフにそう告げられたからだ。

 ロビーでは夕食入りの袋を手渡され、指定された部屋のある階にエレベーターで上がった。ちなみに、エレベーターには、1機に1人ずつしか乗せていなかった。

 指定階でエレベーターから出たら、そこにはスタッフが待機していると言われていたが、そこには誰もいなかった。そこには、スタッフが来るのを待っている別の女性もいた。しかし、そう長くは待つことなくスタッフは現れた。おそらく、他の人を部屋に案内していたのだろう。

 部屋に案内された時、スタッフに、自販機にドリンクを買いに行ったりなどはできるのか聞いたがNGだった。検査結果が出るまで、完全に部屋の外に出ることができないのである。

客室のドアの内側には、食事配布時にはドアを開けないよう注意喚起する掲示が貼られている。筆者撮影
客室のドアの内側には、食事配布時にはドアを開けないよう注意喚起する掲示が貼られている。筆者撮影

 ホテルでは、3食、決まった時間に提供された。提供開始を知らせるチャイムが鳴った後、「これから配膳をします。ドアを開けずにお待ち下さい」とのアナウンスがあり、その約15分後には「配膳が終了しましたので、ドアを開けてお取りください」とのアナウンスが行われた。ダイアモンドプリンセス号で得た教訓からか、帰国者とスタッフとの接触は完全にシャットアウトされている。

 提供された食べ物はおかず入りのパッケージとおにぎり1個、紙パック入りのお茶で、これらの食べ物が入った袋がドアノブにかけられていた。ドアを開閉する際にはマスクを着用するよう注意喚起もされているので、食べ物を取る際はマスクを着用してドアを開けた。

 不便に感じたのは、室内にある冷蔵庫の使用が禁止されていたこと。なぜなのだろう?

ホテルで1泊目の夜に提供された夕食。ロールパン2袋、おかずのパック、おにぎり1個、お茶、味噌汁と十分な量である。筆者撮影
ホテルで1泊目の夜に提供された夕食。ロールパン2袋、おかずのパック、おにぎり1個、お茶、味噌汁と十分な量である。筆者撮影
ホテルで2日目に提供された昼食。筆者撮影
ホテルで2日目に提供された昼食。筆者撮影
検査結果が出た3日目の朝に提供された朝食。筆者撮影
検査結果が出た3日目の朝に提供された朝食。筆者撮影
14日間の待機場所とその場所までの移動手段に関するアンケート。ホテル入りした翌日の午後12時までにドアの外側にマグネットで貼りつけておくよう指示された。筆者撮影
14日間の待機場所とその場所までの移動手段に関するアンケート。ホテル入りした翌日の午後12時までにドアの外側にマグネットで貼りつけておくよう指示された。筆者撮影
ホテルでの一時待機の手引きやエコノミークラス症候群防止のための運動を紹介する紙、手洗いの仕方が記された紙なども配布された。筆者撮影
ホテルでの一時待機の手引きやエコノミークラス症候群防止のための運動を紹介する紙、手洗いの仕方が記された紙なども配布された。筆者撮影

陰性でも不安が残る

 ホテルには2泊した。3日目の朝7時半くらいに部屋に電話が入り、陰性との結果報告を受けた。米国滞在中は十分に感染予防していたつもりだが、どこから感染するかわからないし、無症状感染者も多い。ロサンゼルスでは新規感染者数も激増している。検査結果が出るまでドキドキだったが、陰性と聞いて胸を撫で下ろした。

 メールでも、検査結果が送られてきた。

 しかし、それでも懸念はある。

 陰性判定が出たものの、感染初期で十分なウイルス量が排出されていないために、陽性判定が出なかった可能性もあるのではないか。例えば、帰国便の機内で感染したとしたら、帰国直後の成田空港検疫で果たして陽性判定が出るのだろうか? 

 また、PCR検査がどの程度信頼できるのかという懸念もある。

 実際、成田空港では陰性判定を受けたものの、その後の検査で陽性が判明した入国者もいる。その意味では、成田空港で陰性判定が出たからといって、安心できない。

 さて、ホテルで陰性判定をもらった帰国者は、空港近くのホテルで14日間の待機に入る者もいれば、迎えの車で待機場所へ移動する者もいた。

 筆者の場合、11時過ぎに友人の迎えの車が到着。友人は、ロビーで厚労省の職員が対応していることに驚いていた。新型コロナに対応する人材が不足しているのだろう。こういった対応は、民間に委託できないのだろうか。

 待機があけたら実家に戻る予定だが、できるだけ外出は控えようと思っている。

 筆者は2月半ばにシンガポール出張から帰国後、14日間実家で待機し、家の中でも母の前ではマスクを身につけるようにしたが、今回も、しばらくはそうするつもりだ。

 米国立アレルギー・感染症研究所所長のファウチ博士が訴えているように、感染予防は「やり過ぎが命を救う」。緊急事態宣言解除に伴い、人との交流が再開されて感染が再拡大している今こそ、このスタンスを維持していく必要性を感じている。

在米ジャーナリスト

大分県生まれ。早稲田大学卒業。出版社にて編集記者を務めた後、渡米。ロサンゼルスを拠点に、政治、経済、社会、トレンドなどをテーマに、様々なメディアに寄稿している。ノーム・チョムスキー、ロバート・シラー、ジェームズ・ワトソン、ジャレド・ダイアモンド、エズラ・ヴォーゲル、ジム・ロジャーズなど多数の知識人にインタビュー。著書に『9・11の標的をつくった男 天才と差別ー建築家ミノル・ヤマサキの生涯』(講談社刊)、『そしてぼくは銃口を向けた」』、『銃弾の向こう側』、『ある日本人ゲイの告白』(草思社刊)、訳書に『封印された「放射能」の恐怖 フクシマ事故で何人がガンになるのか』(講談社 )がある。

飯塚真紀子の最近の記事