いじめ"増加(特に小学校低学年)"を無視した教員の削減~小・中学校の教育に関心を~1

○小学生のいじめが増加している"公立は異質な集団で形成"

小学生のいじめが増加している。特に小学校低学年の増加が顕著である。これらを気づくことなく放置すると、やがては高学年・中学校の"いじめ"となって現れる。とても危険な兆候である。

公教育は私学と異なり、多様な資質を持つ子供たちが集団を形成している。生活環境や成熟度も異なる異質な生活集団での経験は、これからの国際社会への対応を考えると貴重なものだが、異質な故に生徒間の反発もあり"いじめ"が多発する危険を持つ。

一方の私学は、それぞれの教育方針を選択した同質の家庭環境をもち、選択試験によって教育水準も均一化された集団を形成している。公立に比較して生きる力を養ううえではある種の懸念はあるものの、同質的な集団であるため"いじめ"が少ない特長をもつ。

○教育現場の環境を無視した37,000人の教員削減方針"教育環境の整備は後退"

いじめの増加を無視するかのように、公立小中学校の教員を今後9年間で37,000人を削減することを財務省は求めている。生徒数が減少するので現状の教員配置を基準にすると削減は可能で、国の借金増に歯止めをかける狙いもある。所管する文科省でさえ現行制度(小学1年生35人学級、2年生から中学3年生まで40人学級)を是認し、生徒数の減少から5000人程度はやむを得ないと判断している。

いずれもいじめの問題を学校や教員だけにその責任を押しつけている。義務教育における少人数学級が大きなうねりとなった15年前と比較して、今昔の感がある。

我が国は資源に恵まれないことから"人材こそが資源"といったことを私たちは忘れてしまったのだろうか。

○いじめの防止には少人数学級編成が必要である"教員が、もっと生徒と接したい"

私は市長時代に全国で初めて"小学校低学年における25人程度学級"を導入した。少人数学級の効果が直ちに"学力アップ"に結びつくものではないが"いじめの防止"には役に立つと断言できる。何故なら現行の基準である40人学級よりも25人程度の学級定員のほうが教師の眼がいきとどきやすく、いじめに気づくことが出来る。誰も異論はないだろう。

さらに、わが国の教育行政は文科省を頂点とした中央集権型上意下達主義で、報告書類などの作成が多く教員の事務量は極めて多量である。このため教員の多くは、もっと"生徒と接する時間がほしい"と訴えている。医者が"患者を見る時間がほしい"というのと同じである。この現実はいじめなどに眼が届きにくいことを、如実に物語っている。

○諸外国と比較をする"我が国の教育環境は劣悪"

先進国では25人程度の学級編成が基準(特に低学年)である。そのうえ、家庭・社会・学校の役割が明確にされており、放課後のクラブ活動などは地域社会がしっかりとその役割を果たしている。わが国では子どもに対する家庭や社会の役割まで学校や教員に委ねられており、先進国と比較して多様な任務を背負っている。特に欧米では上位官庁による一定の制約や評価はあるものの学校単位の自己責任が確立されているため現場の自由裁量権が認められており、直接的な教育以外の業務は皆無に近い。OECD(経済協力開発機構)の調査でも日本の中学校教員の勤務時間は週53.9時間と参加国(34ヶ国)の中で最も多い。小学校も同様である。

○義務教育の仕組み「実施主体は区・市・町・村」"住民の力で義務教育を変える"

公立小中学校の実施主体は、区・市・町・村である。しかし義務教育の方針や教員配置基準は国が定めている。私が25人程度学級(志木市)を導入した時も、文科省はもとより埼玉県も当初は反対であり、いわば志木市は義務教育における謀反人として様々な圧力を受けた。

しかし、住民の賛成と理解があれば志木市が導入したように、少人数学級の実現や教育環境の改善は可能である。特に少人数学級編成は、いじめだけではなく、世界の教育が求めている"思考力"の向上にも欠かせないものである。私達はもっと義務教育に関心を持ち、我が国を担う子供たちにとってよりよい教育環境をつくらなければならない。地方自治は住民の声を直接つたえることのできる、民主主義の学校とまで言われているのである。(以下次号)