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樋口尚文の千夜千本 第205夜【追悼】鶴橋康夫、限界突破のテレビマン

樋口尚文映画評論家、映画監督。
撮影=筆者。氏を敬愛する人気脚本家・演出家に囲まれた鶴橋監督(右から二人目)。

鶴橋康夫の異才とテレビジョンの恩寵

日本のテレビドラマ史に尖鋭にして特異な作風で屹立した演出家・鶴橋康夫が逝った。おそらくドラマファンが最初に鶴橋の名前を意識したのは、1976年の連続ドラマ『新車の中の女』だろう。海外サスペンスの翻案だが、機動的なカメラがヒロインの浅丘ルリ子をいわゆるスタア対応の規格品の画ではなく、テレビジョンというメディアならではの臨場感といきのいいスタイリッシュさをもって描く意欲作であった。当時のテレビドラマの映像一般は、もっともっと不自由で窮屈なものだった。

現在のようにiPhoneで大型スクリーンに映す映画を撮れる時代からはもう想像に難いことだが、テレビ局のビデオカメラが屋外で自在に活躍するようになったのは、意外やこの70年代も半ばのことである。1960年前後のテレビ草創期にあっては、ビデオカメラは重たくスタジオから運び出せないうえに(屋外の撮影は16mmのフィルムカメラで代用した)、ビデオテープまでもが高額だったので、初期のスタジオドラマはテープの重ね録りで消去されるという憂き目にあった。鶴橋康夫が読売テレビに入社した1962年は、まだまだテレビ局のハードは鈍重であったので、あの鶴橋独特の複眼的な映像の開花はくだんのカメラの軽量化が実現してからのことになる。

実際、入社してからの鶴橋は、藤本義一原作の『悪銭(ぜに)』などのフロア・ディレクターを経て1963年には早々に同じく藤本作の『四角い空』の共同演出にクレジットされ、1965年のこれも藤本作の単発ドラマシリーズ『悪女の倫理』で一枚看板のディレクターとしてデビューしている。だが、『新車の中の女』以前の鶴橋は、1969年の『ややととさん』や1973年の『らっきょうの花』といった花登筐の根性メロドラマの手堅い演出家でもあったのだ!

浅丘ルリ子主演でビデオカメラによる屋外ロケにこだわった1972年の『冬物語』をつい鶴橋作品と誤認しそうになるが、こちらは鶴橋よりやや先輩で、しかも系列局の日本テレビでどこか似た匂いの仕事を重ねた石橋冠の仕事だった。だが私は、鶴橋の『新車の中の女』の構想には『冬物語』が少なからず影響しているのではと推察する。いずれにせよ『新車の中の女』で進軍の狼煙をあげた鶴橋は、1977年の『炎の中の女』、1980年の『渚の女』など異色の連続ドラマを手がけ、これらには『新車の中の女』以降の鶴橋ドラマのファム・ファタル的な存在になった浅丘ルリ子が主演した。

だが、撮影技術の革新に加えて鶴橋の個性を存分に発揮させる第二の契機となったのは、ドラマの2時間枠の誕生だろう。今や地上波では絶滅した「2時間ドラマ」だが、1977年に米国製のテレフィーチャーを意識して90分枠で始まったテレビ朝日「土曜ワイド劇場」が1979年に2時間になってからは各局で「2時間ドラマ」枠のブームとなった。鶴橋の読売テレビもこの流れにのって2時間の「木曜ゴールデンドラマ」枠を1980年春からスタートさせた。ちょうど40代にさしかかって演出家として脂ののった季節に、鶴橋は2時間の単発物というちょうど劇場用映画に近いサイズの表現の場を与えられることになった。この偶然は、しかし鶴橋の作品歴を飛躍的にグラマラスにしたはずである。

1980年の『虹の果てには 仮説・三億円事件』、1981年の『かげろうの死』、1982年の『顔』、同年の『性的犯罪』、1983年の『知床の子』、同年の『仮の宿なるを』、1984年の『魔性』、同年の『危険な年ごろ』、1985年の『殺して、あなた…』、1986年の『夫婦関係』、1987年の『月は船 如何に漕ぐらん』、同年の『手枕さげて』、同年の『ここの岸より』、1988年の『喝采』、同年の『最後の恋』、1990年の『愛の世界』、1991年の『東京ららばい』、1992年の『性的黙示録』、同年の『雀色時』……ほかここに挙げられないほどの野心作、問題作が目白押しである。

鶴橋の新聞の訃報などで代表作に後年の映画『愛の流刑地』やドラマ『砦なき者』を挙げる例が目立つけれども、鶴橋康夫の作家性がピークを迎えたのは間違いなくこの80年代から90年代初頭までの「木曜ゴールデンドラマ」での作品群であり、もしどうしても訃報の見出しに選ばねばならないなら『仮の宿なるを』『魔性』あたりでなければならないはずなのだが、もはや現役のメディアの書き手は鶴橋ドラマなど見たこともないのだろう(ほとんどソフト化もされていないので無理もない)。

私はこの80年代の鶴橋ドラマの快進撃をずっと追いかけては茫然と眺め、微熱とともに周囲に称揚しまくった。ここには70年代までの日本映画には辛うじて存在した人間の性、暴力、権力にまつわるダークサイドを凝視するまなざしと表現の作家性、そして何より演出家を筆頭とするスタッフ、キャストの熱があった。80年代、いよいよ軽薄短小な娯楽に堕していった劇場用映画よりも、鶴橋康夫のテレビドラマのほうがよほど見るべきものが横溢していた。しかももともと「木曜ゴールデンドラマ」枠は読売テレビと日本テレビが持ち回りで交互に製作していたのに、日本テレビが2時間枠の「火曜サスペンス劇場」をスタートさせてからは読売テレビのみで製作を回すことになり、いっそう鶴橋の野心的な企画が採用されやすくなり、登板機会も増えた。

そんな諸作の中でも、私がリアルタイムで視聴しながら度肝を抜かれたのは、先述した『魔性』であった。近親相姦を経験したヒロインが若い同性の愛人を殺し、死体を損壊したうえ食べてしまい、死刑を宣告される。彼女は独房で自慰行為に耽溺し、絞首刑に処されて失禁する。これを実に浅丘ルリ子が演ずるのだが、この人としての辺境に流れ着いたヒロインを、鶴橋康夫はどこか酩酊感のある穏やかな光と静寂のなかで冷徹に、しかし不思議な愛情をこめて見つめ続ける。今どきのはき違えたコンプライアンスで不自由さの極みにあるテレビ業界では、到底実現し得ない試みであるが、単に題材がセンセーショナルであるだけでなく、その見つめ方の知的な尖鋭さに射抜かれた。

私は日本民間放送連盟賞のドラマ部門や文化庁芸術祭の放送部門の審査員を委嘱されてきたので、たとえば1999年の『刑事たちの夏』などはぜひ大賞にと力説した記憶があるのだが、そんな経緯で鶴橋監督ご本人ともやり取りをするようになり、ある時、『魔性』を映画館のスクリーンで一夜だけ上映してみませんかと提案した。フットワークの軽い鶴橋監督は快諾、読売テレビのしかるべき部署にも(製作時の契約書にはそんな二次・三次使用への言及はある由もないので)柔軟な対応を要請して下さって、2012年にその上映はまさかの実現を見た。この機を逃してはならじと著名な売れっ子脚本家の諸氏がずらりと劇場を埋め、誰もが作品に衝撃を受け、鶴橋監督は熱い賞賛の言葉にまみれた。

このゼロ年代に入っても、往年の密度とはやや隔たりがあるものの、2003年の『龍神町龍神十三番地』、2004年の『砦なき者』、2009年の『警官の血』などの単発ドラマ、あるいは2000年の『永遠の仔』『リミット もしも、わが子が…』2002年の『天国の階段』などの連続ドラマで、鶴橋はあいかわらずの活力と個性を見せつけた。しかし、2007年の『愛の流刑地』を皮切りに手がけ始めた映画監督としての作品は、さすがの手練れの仕事ではあったものの、80年代の鶴橋の絶頂期を知る者としてはまるで物足りなかった。この時分から最晩年まで、鶴橋の扱いは往年の異才監督ではなく、黒澤明作品のリメイクや松本清張、山崎豊子といった国民的作家の鉄板原作の映像化を委ねられる大御所の演出家というかたちに変質していった。これらの作品はいずれも上々のまとまり方ではあったが、私には図抜けた鬼才の余芸というふうにしか思われなかった。

それゆえに亡くなった鶴橋康夫がメディアで『愛の流刑地』の、などという枕で語られることには大きな抵抗を覚えずにはいられない。鶴橋康夫という鬼才中の鬼才が本領を発揮したのは、あくまで80年代を中核とするテレビドラマであって、それはテレビジョンの技術や編成の革新を受けての賜物で、まさに鶴橋の才能のあり方はわが国のテレビジョンの消長と密接につながっていたことを今正確に再確認しておくべきだろう。

映画評論家、映画監督。

1962年生まれ。早大政経学部卒業。映画評論家、映画監督。著作に「大島渚全映画秘蔵資料集成」(キネマ旬報映画本大賞2021第一位)「秋吉久美子 調書」「実相寺昭雄 才気の伽藍」「ロマンポルノと実録やくざ映画」「『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画」「黒澤明の映画術」「グッドモーニング、ゴジラ」「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」「女優 水野久美」「昭和の子役」ほか多数。文化庁芸術祭、芸術選奨、キネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクール、日本民間放送連盟賞、藤本賞などの審査委員をつとめる。監督作品に「インターミッション」(主演:秋吉久美子)、「葬式の名人」(主演:前田敦子)。

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