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樋口尚文の千夜千本 第192夜 【追悼】大森一樹監督

樋口尚文映画評論家、映画監督。
池袋・新文芸坐で筆者と対談する大森一樹監督(筆者撮影)。

日本映画の「転換点」となったしなやかな映画的感性

2022年11月12日、大森一樹監督逝く。まだ70歳とはいかにも早すぎる。大森監督と知り合ったのは44年前、1978年の夏のことだ。その年の春、大森監督はまだ京都府立医大の学生でありながら、松竹のゴールデンウィーク興行を担った『オレンジロード急行』で商業映画にデビューするという快挙をなしとげていた。地元神戸の高校時代から8ミリで自主映画を撮っていた大森監督は、京都での大学時代は熱烈なシネフィルとして映画館通いに明け暮れるが、1975年に撮った16mmの劇映画『暗くなるまで待てない!』は軽快なおかしさとペーソス溢れる快作で一躍注目を浴びる。そして1977年には脚本家の登竜門・城戸賞に自作のシナリオを応募、みごとに受賞を果たした。この脚本を松竹が映画化することとなり、全く商業映画の経験がないにもかかわらず、自らが監督することにこぎつける。

これは当時高校生で自主映画を創り始めていた後続のぼくらの世代にとっては大事件であった。前年にもともとは個人映画作家だった大林宣彦監督がCFディレクターを経て東宝映画『HOUSE』で劇場用映画の監督デビューを果たしたことが大いに話題を呼んだが、これに続いて大森監督がアマチュアの自主映画作家からいきなり助監督経験もなく商業作品に登板するというニュースは衝撃的だった。それまで個人映画、自主映画と商業映画は別世界のもので、あくまでプロの映画監督は映画会社が自社で養成するものであった。しかも70年代の日本映画は興行不振の極にあり、自社で監督を育てる余裕も気概もなくなりつつあった。

すなわち当時の映画づくりを夢見る若者にとって、いよいよ映画館のスクリーンは遠くに隔てられたものになっていて、作り手の側に回ること、まして監督になることは至難であった。大森監督は25歳の学生にして、そのまさかを飄々と実現してしまった。これに刺激された日活も助監督だった27歳の根岸吉太郎を『オリオンの殺意より 情事の方程式』で監督デビューさせ、さらには日大芸術学部の学生だった石井聰互(現・岳龍)の8ミリ作品『高校大パニック』を劇場用映画としてリメイクし、共同監督を石井につとめさせるという画期的な流れにつながった。

この1977年から78年にかけての個人映画、自主映画の才能が劇場用映画の監督としてデビューするという目覚ましい動きは、明らかに以後の日本映画の流れを変える転換点となった。かねて大森を応援していた情報誌『ぴあ』はこの動きと連動するように自主製作映画展(PFF=ぴあフィルムフェスティバルの前身)というコンペティションを開始し、やがて森田芳光、長崎俊一、犬童一心、手塚眞ほか数えきれないほどのPFF出身の才能が商業映画の監督となって日本映画を支えることになる(かく言う私もその流れに属するひとりである)。大森が『オレンジロード急行』を手がけたことは、この現在につながる日本映画の作り手の変革の「震源地」であった。

そして今ひとつ大森監督について記憶されるべき点は、その作家性のしなやかなレンジの広さである。大森作品は、村上春樹原作のATG作品『風の歌を聴け』のようにあたかも大学時代の自主映画を彷彿とさせるようなアート性のある繊細な小品から東宝が正月映画として社運を賭けた平成『ゴジラ』シリーズや吉川晃司、斉藤由貴といったアイドル歌手を売り出す青春映画まで、実に幅広い。大森監督は知的で軽妙なスマートさをもって、それらあらゆるジャンルの作品をいきいきと快調に描いてみせた。

この映画的感性の豊かさ、柔軟さは、何より大森作品の大いなる魅力に違いなく、そこから『ヒポクラテスたち』『すかんぴんウォーク』『恋する女たち』『トットチャンネル』といったみずみずしく俳優の演技と映画の文体がともに清新に弾ける珠玉の青春映画が生み出された。大森監督のこの作風の広大さ、フレキシビリティは、おのおのの作品の娯楽的な気安さゆえか、いまだその凄さが相応しいかたちで論じられていない気がする。大森監督は、その出発点におけるインパクトと、以後のフィルモグラフィの振れ幅の稀有な豊饒さにおいて、今まさに熱く再評価されるべき作家なのである。

この44年間、折にふれ会話を重ねてきた大森監督だが、くだんのように多彩な作品が個別に論じられることはあってもフィルモグラフィ総体から作家性の豊かさを説く評論は皆無であったので、それを期した拙稿「大森一樹 スタジオ・システムが終わっていて、悲しい」(1991年刊「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」No.2所収)については生前幾度も謝意を表された。その流れでキングレコード〈ATGライブラリー〉『ヒポクラテスたち』『風の歌を聴け』Blu-rayの解説も寄稿しているので、これらの文献が大森一樹を再度味わううえでの一助となれば幸いである。

そんな大森監督とは晩年の数年にわたって文化庁芸術祭の審査でこの時期にお会いすることが続いていたが、昨年の審査の終わりにご一献いかがですかと誘った私に「実はかなり重い病気だということが検査でわかってしまったので、今夜は残念ですが」と謝ってお帰りになった。いつも飄々とした大森監督がやけに神妙な面持ちだったので、これはただごとではなさそうだと感じた。その後、それが白血病ということは聞かされたが、今や回復例もよく耳にするので、まさかこんなに早く旅立たれるとは思いも寄らなかった。仮に大きなサイズの映画が撮れなくても、いくらでも実験的な作品を楽しんで作れる方だったので、もうひと暴れしてほしかった。合掌。

映画評論家、映画監督。

1962年生まれ。早大政経学部卒業。映画評論家、映画監督。著作に「大島渚全映画秘蔵資料集成」(キネマ旬報映画本大賞2021第一位)「秋吉久美子 調書」「実相寺昭雄 才気の伽藍」「ロマンポルノと実録やくざ映画」「『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画」「黒澤明の映画術」「グッドモーニング、ゴジラ」「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」「女優 水野久美」「昭和の子役」ほか多数。文化庁芸術祭、芸術選奨、キネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクール、日本民間放送連盟賞、藤本賞などの審査委員をつとめる。監督作品に「インターミッション」(主演:秋吉久美子)、「葬式の名人」(主演:前田敦子)。

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