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樋口尚文の千夜千本 第191夜『戦慄のリンク』(鶴田法男監督)

樋口尚文映画評論家、映画監督。
(C) Yili Dasheng Chuanqi Film Co., Ltd.

検閲の午後の降霊祭

中国の人たちは海賊版で『リング』『呪怨』のようなJホラーに親しんでいるが、実は霊的なものが出てくるホラー映画、オカルト映画のたぐいを中国国内で作るのは御法度だ。なぜなら中共が幽霊の表現を認めないからである。これは邪教や迷信の流布を禁止する意図からであるが、それにしても当局の検閲の厳格さは並大抵のものではないと聞く。こんな事情を知らない人が聞いたら、今どきの事かとさぞ驚かれるだろう。

そんな中国に5年前「Jホラーの父」と呼ばれる鶴田法男監督が招聘されて『网络凶铃』というネット絡みのスリラー映画を撮り、コロナ禍の2020年に中国の5000館で公開された。今ようやくその作品を日本でも観られることになったが、すでに観た評者からは「どうしてこんなホラー映画を中国で撮れたのか、快挙であり、また不思議でならない」という声があがっている。私は中国の映画事情に格別に詳しいわけではないので、アジア映画に造詣が深い評論家の浦川留氏に尋ねると、やはり「ここまでやれたのは本当に凄い」とのことだった。

そんな声を聞いたうえで邦題『戦慄のリンク』というその作品を試写で観たのだが、確かにそこまで厳しく幽霊の表現を禁ずる国で、ここまで「どう見ても幽霊らしきもの」が不気味に跋扈する映画を撮れたというのは奇跡的なのだろう。そのくせ、当局の掲げる「幽霊は迷信でばかげたものだ」「ネットにはまるのは禁止」「事件を解決するのは警察でなければならない」といったお題はみごとにクリアされており、にもかかわらずホラー描写の実質はまるで損なわれず、したたかに怖いのである。

本作では、ちょうど鶴田監督自身がリブートに関わったTBS=円谷プロの傑作テレビシリーズ『怪奇大作戦』のように、とある科学的なたくらみが幽霊ふうの幻を現出させるという設定になっていて、明らかに幽霊自体は迷信扱いされているから、その建前が変更されない限りは当局も文句をつけられなかったはずだ。物語の上で「これは幽霊ではなく幻なのです」という設定であった場合、理屈で判断する検閲側がいかにそれを幽霊の描写のように感じようとも「いやこの映像は幻ではなく幽霊を描いているのではないか」と反論することは不可能である。

そして鶴田監督は、検閲の細かさゆえにお得意の降霊術を無条件に発揮できなかったこと、つまりストーリー上は「どう見ても幽霊」が幽霊にあらずという理屈をつけざるを得なかったことを自嘲気味に語るのだが、その謙遜は無用である。なぜなら、われわれ自由な観客も、中国の検閲サイドとまるで同じ理由で(見方の方角は逆なれど)不気味に出没しつづける髪の長い女の映像を「これは幻ということになっているけれど、本当は幽霊なのではないか」と思い出したら、映像自体にはそれを否定する根拠はないのである。

つまり、われわれはある映画のあるシーンを観ていて、それが現実なのか夢なのか、あるいは現在なのか過去なのか、その審級を映像自体で特定することはできない(だからこそ普通の娯楽映画ではその境界を何らかの映像的語彙で粉飾して「ここから夢または回想が始まります」とわかりやすくしてみせる)。この映画ならではの現実/夢の決定不可能性を武器にすると、たとえば『去年マリエンバートで』のような迷宮的表現が生み出されたりする。

『戦慄のリンク』における「幽霊」というワードを「夢」に、「幻」を「現実」にそれぞれ変換すれば理屈は同じであって、たとえ検閲者が「これは凄く幽霊に見えてならないが」と言い張ったところで「催眠術が生んだ幻ですよ」と言えば否定はできない。だが、それを断定できないのは、検閲者だけでなくわれわれも同じなのである。だから、鶴田監督は映画の「罠」であり「魅力」でもあるその本質的な特性に訴えて、実質的なところでホラー表現を勝ち取ったのだといえるだろう。

そのゆえに、終盤のまさに「幽霊」の次元と「幻」の次元をめまぐるしく往還するクライマックスなどは、ひときわこうした映画ならではの面白さが横溢するのであった。そして、迫りくる髪の長い女が階段下からふわっと浮き上がってくるところは、怪談映画の傑作『牡丹燈籠』(山本薩夫監督)の幽霊の飛翔場面に勝るとも劣らぬ怖さである。鶴田監督は決して口を割らないとは思うが、中国当局公認の本作にあってここにはまごうこと無き幽霊が映りこんでしまっているではないか(と私には見えるのだが)。

映画評論家、映画監督。

1962年生まれ。早大政経学部卒業。映画評論家、映画監督。著作に「大島渚全映画秘蔵資料集成」(キネマ旬報映画本大賞2021第一位)「秋吉久美子 調書」「実相寺昭雄 才気の伽藍」「ロマンポルノと実録やくざ映画」「『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画」「黒澤明の映画術」「グッドモーニング、ゴジラ」「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」「女優 水野久美」「昭和の子役」ほか多数。文化庁芸術祭、芸術選奨、キネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクール、日本民間放送連盟賞、藤本賞などの審査委員をつとめる。監督作品に「インターミッション」(主演:秋吉久美子)、「葬式の名人」(主演:前田敦子)。

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