壮麗な映画絵看板は映画そのもののプレリュードであった

大阪で映画看板の制作を長年手がけてきた工芸社が遺した厖大なネガが、創業者の没後10年にあたる2017年にひょっこり発見され、本書の企画者である貴田奈津子氏を筆頭にこの映画絵看板を記録撮影した数千のフィルムの貴重さを知る人々がアーカイブ作業を行った。まずこの偶然が本書『昭和の映画絵看板 看板絵師たちのアートワーク』(トゥーヴァージンズ刊)誕生の背景である。文化的な値打ちがわからぬ輩なら無用の廃棄物として扱われかねなかったこの貴重な資料のアーカイブ化に、なんと大阪市が助成金を出して支援したというのも冴えている。そしてついに姿を現していっためくるめく看板の写真の数々は、映画資料保存研究の第一人者である国立映画アーカイブの岡田秀則氏の監修のもと、稀有な書籍としてまとめあげられた。これは本当に快挙である。

なぜ快挙なのかと言えば、映画館というものは、日がな映画という映像を映す場所でありながら、自らを映像に遺すことについてはひどく無頓着な施設なのである。その興行の黄金期をとうに過ぎて、老朽化した劇場をノスタルジーをこめて撮影した写真集などは若干存在するけれども(そしてそれらもひじょうに貴重な仕事ではあるのだが)、やはり映画館がいきいきとした現役時代の本来の姿をこそ再確認したいところである。だが、まとまったそういう資料にお目にかかることはまずない。これはなぜだろうかと思う。おそらく現役の映画館は流通のように、配給された商品=映画を日々回し続けることに忙しく、その毎日の慌ただしさにかまけて劇場自体を撮っておこうという発想が劇場の当事者には湧きにくいのだろう。一方で観客の側も、映画館には愛着を持ちながら、映画を観ることで満足してあえて劇場の写真を撮っておこうとは(閉館後に後悔することはあっても)思わないのだろう。

したがってこの戦後まもない復興期から1950年代後半の映画黄金期、映画興行が低迷した70年代から80年代前半までの長い期間にわたって、公開中の劇場の絵看板、切り出し看板の数々を記録し続けた写真の数々が遺されていたというのは、多くの人が思っているよりはるかに貴重な出来事なのである。これは絵看板制作・設置・メンテナンスを担った不二工芸の創業者と二代目が撮り続けたもので、劇場も観客も映画そのものを見せる/見ることに慌ただしく絵看板の存在を忘れがちだったのに対して、この親子にとってこれらは自社の「業務の成果」として記録しておこうというモチベーションが自然に湧いたのだろう。そういう動機であるがゆえに、親子二代が記録し続けた看板写真の数々はいずれも情緒に流れず正確かつ鮮明である。これがまたアーカイブとしての価値を大いに高めている。

そしてめくるめく映画絵看板、特に迫力満点の切り出し看板の威容を頁をめくるごとに味わえるのは至福である。日本映画黄金期前後の興行に勢いのある時代は、とにかく切り出し看板は相当な大きさで路面に張り出し、道行く人々を惹きつけた。その看板を、観客たちは夢の入り口としてくぐってゆく。それが興行不振の70年代以降は、看板にかける予算も削減されてごくノーマルな絵看板が主流となり、あの往時の劇場から発散される胡乱で猥雑な活気は失せてしまう。本書の写真の個々からは看板絵のダイナミックさや工夫の面白さが鮮やかに伝わってくるが、それらをロングショットで見れば戦後の映画産業の消長が目に見えるかたちで理解できるだろう。

看板絵師として活躍した人々の回顧譚はユーモアも交えてひじょうに興味深く、絵看板のメイキングや描かれた作品ごとの行き届いた解説などが本書に文字通り立体的な愉しさを与えている。1960年代の幼き日に、辛うじて切り出し看板の数々に遭遇しては、そのあまりの大きさと迫力に怯えて泣いたことすらある私としては、こうした宣伝用の意匠がすでに映画そのものの序章であった感覚を本書でサルベージできたのだった。