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樋口尚文の千夜千本 第160夜「朝が来る」(河瀬直美監督)

樋口尚文映画評論家、映画監督。
(C)2020「朝が来る」Film Partners

ひとつまみのマジックにほとばしる感興

本作を観ていたら、ちょっとギャスパー・ノエの『アレックス』を思い出した。あの作品は人生の「不可逆性」をパズルのように描き出し、時間を武器にできる映画の強みをラディカルに活かしていた。もっともあの作品はその如何ともし難い「不可逆性」に哀しみと無常観をみなぎらせて暗澹たる気持ちにさせたが、本作は自在に過去と現在を往還しながらその「不可逆性」のもたらす傷ましさを描きつつ、それに抗おうとする人びとの思いを見つめている。

子どもをもうけることができず、特別養子縁組制度を頼みにして男の子を育て始めた夫婦(永作博美、井浦新)。その子が6歳になった時、「子どもを返してほしい」という生みの母を名乗る謎の電話が入る。夫婦はかつて生みの母である14歳の地味で清楚な少女(蒔田彩珠)に会っているが、ふたりの前に現れた電話の主はまるで別人のヤンキーのような女だった。いったいこの女は何者なのか。

いくぶんサスペンス風でさえある中盤からは、生みの母である少女の足跡が順不同で描かれてゆくのだが、少女がとある目的で静かな島に渡るあたりからの場面は最後まで実に鮮やかだ。蒔田彩珠の衒わぬ演技が素晴らしく、素顔をさらしてさりげなく脇を固める浅田美代子も心に残る。いつもながら手堅い演技の永作博美、井浦新の夫婦が箱庭のようなマンションで幸福を慎重に築きあげている優しい風景とは対照的に、蒔田の少女はなぜかおさなくして人生の辺境に導かれ、殺伐とした風景と荒涼たる人間関係のなかを彷徨する。

だが、よく考えてみると、この物語を時系列でたどってみるならば、はたして観おえた時にこんな感興が湧いてくるものだろうか。河瀬直美は『アレックス』ほどにも手を加えず、反クロノジカルというほどあからさまに戦術的でもなく、本当にちょっとだけ映画内の時間のパズルを順不同にしてみせたに過ぎないのだが、人生の脆さ、むごさが映画というものの「不可逆性」のはかなさとリンクして迫ってくるのである。

映画評論家、映画監督。

1962年生まれ。早大政経学部卒業。映画評論家、映画監督。著作に「大島渚全映画秘蔵資料集成」(キネマ旬報映画本大賞2021第一位)「秋吉久美子 調書」「実相寺昭雄 才気の伽藍」「ロマンポルノと実録やくざ映画」「『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画」「黒澤明の映画術」「グッドモーニング、ゴジラ」「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」「女優 水野久美」「昭和の子役」ほか多数。文化庁芸術祭、芸術選奨、キネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクール、日本民間放送連盟賞、藤本賞などの審査委員をつとめる。監督作品に「インターミッション」(主演:秋吉久美子)、「葬式の名人」(主演:前田敦子)。

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