樋口尚文の千夜千本 第158夜「みをつくし料理帖」(角川春樹監督)

(C)2020映画「みをつくし料理帖」製作委員会

角川春樹の「正体」は日々静かなり

78歳の角川春樹の最後の監督作と銘打たれた作品が、『みをつくし料理帖』だと聞いた時はちょっと意外だった。34歳で角川春樹事務所を立ち上げ、当時の沈滞した日本映画界を席巻した頃の角川は、アメリカン・ニューシネマ的な野心と反骨に惹かれると口にしていた。実際に送り出されるプロデュース作はアメリカン・ニューシネマという感じはしなかったけれども、観客を動員する色気も気概も薄れていた映画興行に絢爛と風穴を開ける賑やかさ、派手さがあった。

70年代は勢いを失っていた日本映画界に、そういった賑々しいブロックバスター風味(日本映画にあって超大作と称してもハリウッド作品のそれとは桁が違うわけなので、あくまでお化粧としての大作風味だったわけだが、それでも既成の映画会社のプログラム・ピクチャーの安っぽさとは一線を画していた‥…そんな間合いを指す)の作品をひっさげて文字通り殴り込みをかけた。『犬神家の一族』『人間の証明』『野性の証明』『復活の日』あたりの「超大作」連打の後で、80年代を迎えると製作の方針が転換した。

ブロックバスター風味の70年代から、これがあるいは角川春樹流のニューシネマ時代に転じたと言ってもいいのかもしれないが、従来の邦画の定番であった二本立てプログラム・ピクチャーの角川的なルネッサンスを図ったのだ。つまり、『復活の日』のような巨費を投ずるわけではない中規模クラスの企画を、当時としては新進気鋭の作家的な監督たちに委ねるというスタイルだ。既成の邦画各社なら、お定まりの企画を自社に属する社員監督に任せてほどよく商品性の担保された作品を量産することがプログラム・ピクチャーの習いだったわけだが、角川春樹は自社のユニークな原作を村川透、大林宣彦、高林陽一、澤井信一郎、和田誠、崔洋一、根岸吉太郎、森田芳光、池田敏春、井筒和幸といった異才たちを起用して映画化した。このストリームから澤井信一郎の『Wの悲劇』、大林宣彦の『時をかける少女』、和田誠の『麻雀放浪記』といった傑作、秀作が誕生した。

こうした80年代の角川春樹流ニューシネマの時代なくしては、以後の日本映画史も違うかたちに変貌していたに違いなく、しばしば角川映画の「功罪」と言うと、70年代を中心に90年の『天と地と』まで継承されていた大量宣伝によるブロックバスター風味の興行への批判ばかりが目につくが、一方で角川ならではの「作家主義」プログラム・ピクチャー二本立て攻勢が果たした意義の大きさは(角川春樹氏の経営者としての浮沈の風評に隠れてしまった感もあり)声高に顕彰さるべきことである。

そんなラインナップのなかには角川春樹自身の監督作も紛れていて今回の『みをつくし料理帖』で8本目になる。製作者としてはぎらぎらした売りの嗅覚と馬力を見せつける角川春樹だが、監督作を観ると意外やおとなしいくらいだ。ブロックバスターとして見せ場を陳列しないといけなかった『天と地と』は置いておくとして、『愛情物語』も『REX恐竜物語』も『キャバレー』もどちらかと言えば朴訥とした語りで、時おり挿入される見せ場の周りがどうしても木に竹を接ぐ感じで弛緩してしまうとはいえ、概ねごく直球で淡々としている。かといって、そこがスリムに締まっているかというとそういうことでもないので評価が難しいところではあるが、後続世代によくあるようなかまびすしいカット割りとサウンドで目くらましのようにみせる作風ではまるでない。

初監督作の『汚れた英雄』もレースシーンに主題歌をのせるMTVみたいな箇所はいただけないが、人物を描くあたりになると案外と(よく言えば)泰然とした時間が流れていて、そこが妙に気になった。言わば角川流のキャッチーなTVCM(『人間の証明』などは本当にCMのつくりが見事だった)の素材になりそうな見せ場を除去したところの、欲も得もない感じのギャップが角川春樹監督の不思議さであり面白さだった。そうやって角川春樹監督作品を追いかけてきたのだが、前作『笑う警官』ではかなりそのオーソドキシーに徹していて、もう少し締まってくれたらいいのにと「惜しい」感じであった。

そして話は冒頭に戻るのだが、それから十余年を経て角川監督が『みをつくし料理帖』を映画化すると聞いた時は意外であったが、こういう作風に照らせば実はお似合いの原作なのでは、と思うところもあった。さっそく試写で観てみると、角川監督には失礼だが、いかにこれがいい話であろうとよもや角川監督作品に涙するはずはないと高を括っていたら、二度も泣かされた。その時思ったのは(東映マークの作品であることも手伝って)「これではまるでマキノ雅弘」という感じで、もちろんそういうテキパキとスリムな職人技が披歴されているのではなく、ほとんど愚直なまでに淡々とカットを割って、演技をじっと見ている構えなのだが、この衒いのなさが好ましかった。

そして気づけばキャストも『犬神家の一族』の石坂浩二、『野性の証明』の薬師丸ひろ子、『野獣死すべし』の鹿賀丈史、『スローなブギにしてくれ』の浅野温子、『伊賀忍法帖』の渡辺典子、『天と地と』の榎木孝明、『メインテーマ』の野村宏伸、『男たちのYAMATO』の中村獅童、『蒼き狼~地果て海尽きるまで~』の若村麻由美、反町隆史……と新旧角川作品のキャストで占められているのだが、これが単に応援顔見世興行ではなくて角川監督へのオマージュとしての機嫌よき演技づくしという感じ漲るのもよかった。

ここのカット尻はもう少し切ったほうがいいとか、あそこでスローモーションはお安いのでやめたほうがいいとか、こまごまとした注文はいろいろあった気もするが、映画はやはりこういう監督なり俳優なりの姿勢から導かれる有形無形のフォルムやけはいが見どころだと思う。だとすると、角川春樹監督の一応「最後の監督作」はようやく気兼ねなくその本来の生地がまっとうされた好ましい作品だった。ヒロインの澪の役は、これまでにもドラマや映画で北川景子、黒木華といった女優が好演してきて、その続投もあるのかなと思ったが、あえて松本穂香という新鮮な逸材を抜擢したところも、ある意味「角川三人娘」を発掘した角川イズムを彷彿とさせつつ成功をおさめていた。