樋口尚文の千夜千本 第144夜 【追悼】 宍戸錠

映画「瞳の中の訪問者」撮影時の宍戸錠(撮影=樋口尚文)。

エースのジョーは遊びをせむとや生まれけむ

宍戸錠さんに初めて会った時は、なんとブラック・ジャックのいでたちだった。1977年の秋、日活撮影所でのことだ。実はブラック・ジャックはアニメに留まらず、後には加山雄三、本木雅弘、岡田将生といった二枚目スタアたちによって実写で演じられているのだが、初めて大林宣彦監督によって実写映画化された『瞳の中の訪問者』(手塚治虫原作の原題は「春一番」)の頃は、生身の人間があの人気キャラクターに扮するなんてなかなか勇気の要ることだった。実際、ご子息の手塚眞監督に伺ったら、手塚治虫さんも「ブラック・ジャックが宍戸錠だなんてあり得ないでしょう」と反対はしないまでも呆れていたそうだ。私も、宍戸さんがブラック・ジャックを演ずるということは聞いていたものの、実際に日活撮影所のセットに建てられたブラック・ジャック邸のセットに宍戸さんがそのメイクと装束で入って来た時は「本当にそのまま生身でやるんだ!」と相当びっくりしたものだ。

だが、仕上がった映画を観てわかったのだが、大林監督はこの宍戸さんのブラック・ジャックを日活無国籍アクションのように撮っているのだった。玉川伊佐男や山本麟一といった日活や東映のプログラム・ピクチャーでおなじみの個性派を脇にはべらせつつ、宍戸さんはエースのジョーの0.65秒の早撃ちみたいなメスさばきでオペをやってのけるのだった。このある意味キテレツな、しかし今観るとかなり洒落た思いつきを、宍戸さんは直感的に理解して、すっかり大林流解釈のブラック・ジャックをやってのけていた。自分のカラーに固執し、映画のほうをそれに合うよう曲げてしまうエゴイスティックなスタア俳優とは違って、宍戸さんは映画の求めるもの、映画の面白さを引き立てるための工夫に向けて、自分を差し出すタイプだった。

そのブラック・ジャックから22年前、日活デビュー時の『警察日記』で若い巡査を演じた時の宍戸さんは、本当に普通の地味な二枚目であった。かと言って、たとえば石原裕次郎のような生まれてもっての華やスタア性が自分に備わっているとも思えなかった宍戸さんは、その地味さを覆して、あこがれのオーソン・ウェルズのごときふてぶてしき個性派を目指すべく、二度にわたる豊頬手術に打って出る。もちろん最初は会社には無断でのことで、この邦画黄金期にあえて二枚目スタアの道を選ばず、整形してまで個性派に転じようというのは、ちょっと今では想像もつかないほどの冒険であり大博奕であったはずだ。実際、整形外科の医師にはそんなきれいな二枚目の顔を変えることはないと当初は固辞されたらしい。

だが、この賭けによって宍戸錠の俳優人生は格段に面白く、そして息の長いものになった。日活の無国籍アクション時代の『渡り鳥』シリーズ、『拳銃無頼帖』シリーズでの小林旭、赤木圭一郎らスタアたちの好敵手はもとより、『探偵事務所23』シリーズや『野獣の青春』、『殺しの烙印』など鈴木清順監督の異色作での主演も請われ、まあ本当に宍戸さんの作品歴の振れ幅は目覚ましいものがある。現在の若い観客が観てもぶっ飛ぶであろう作家的ハードボイルド『殺しの烙印』の、パロマの炊飯器の米の炊ける匂いに欲情し、主演なのにみじめに殺されてしまうアンチヒーローを、あんなに板についた感じで演じてしまう宍戸さんにかかっては、もう生身でブラック・ジャックを演ずることなどお茶の子さいさいではなかったか。

しかし、こういう宍戸さんの遊び心を着火させるプログラム・ピクチャーも1960年代には興行不振の一途をたどり、日活は1971年にはロマンポルノ路線に転換し、従来の名だたるスタアやスタッフは撮影所を去ってしまう。この従来の日活作品の掉尾を飾るニューアクション作品が宍戸さん主演の『流血の抗争』だった。ロマンポルノ路線以後の、日活との専属契約の切れた宍戸さんは、主にテレビで活躍するのだが、それもドラマに限らず『元祖どっきりカメラ』『巨泉・前武のゲバゲバ90分!!』『カリキュラマシーン』といったいきのいいバラエティ番組にも参加して絶好調ぶりを見せ、俳優としても幾本ものNHK大河ドラマから画期的なSFドラマ『スターウルフ』まであいかわらずの多彩さを披露した。ここに通底するのは、とにかく宍戸さんのポジティブな遊戯心である。

ところで、これは数々の訃報でもあまりふれられていないが、老いを迎えた宍戸さんの仕事でひときわ印象的だったのは、70歳を過ぎて演じた石井隆監督の映画『花と蛇2 パリ/静子』での高名な美術評論家の役だった。このダンディな老紳士には、なんと35歳年下の杉本彩扮する妻がいて、ずっと性的な関係が途絶えている。しかし彼はあるセックスにまつわる詭計をもって妻への嫉妬をかきたて、性的な情熱と高揚をとり戻そうとする。病身の老人はなんと妻の肉体に決死の耽溺を試みるのだが、この性=生への妄執に憑かれたインテリという役など、かつての宍戸さんにはまずやって来ない役どころだった。

確かにあの頬の膨らんだアクションスタアがこの役にはなじまないかもしれないが、なんと宍戸さんはゼロ年代に入って、頬に注入していたものを摘出して普通の顔に舞い戻っていた。もしやこの顔なら、こんな今までにないシリアスで性的な役柄だってできるかもしれないと宍戸さんの冒険心に火がついたのかもしれない。しかも石井隆監督は、日活ロマンポルノ作品をもって漫画家から映画監督デビューしたのであり、『花と蛇2 パリ/静子』は東映作品ながら、出来上がったものを観るとエースのジョーが堂々日活ロマンポルノの潮流に帰還してくれたような感動があった。やっていない遊びを見つけたような、その前のめりな感じに、今あらためて宍戸さんらしさを感じる。合掌。