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樋口尚文の千夜千本 第7夜 「キャプテンハーロック」(荒巻伸志監督)

樋口尚文映画評論家、映画監督。
(写真:毎日新聞デジタル)

これは「特撮」映画の美しいマイルストーンだ

あの松本零士の人気タイトル「宇宙海賊キャプテンハーロック」が巨額のバジェットを投じて3DCGの映画作品になったと聞けば、1970年代後半の「スターウォーズ」「未知との遭遇」などのSF映画ブームと「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」などの映画版公開や「宇宙海賊キャプテンハーロック」のテレビアニメ放映といった松本零士ブームがクロスした時期の熱狂を体感している世代は、どうしたって心配に駆られることだろう。へたなものを作ると、うるさがたのアニメおじさんたちから”わが青春のアルカディアになんてことしてくれたんだ”と重力サーベルでシメられるかもしれない。

かく言う私も、別に松本アニメ原理主義ではないものの、あの眩しい三十余年前のブームの頃の松本作品が築いた世界観に耽溺していたファンがそこを汚してほしくないと固執する気持ちはよくわかる。特に松本作品はハーロックやエメラルダス、はたまた「男おいどん」の四畳半下宿からSFの宇宙までをまたぐトリさんまで、キャラクターが作品間を越境するので、松本アニメの世界観は感動的なひろがりを見せていた。話は全然違うが、「男はつらいよ」シリーズが五十本近くまで根強くお客さんを集め続けたのも、個々のキャラクターの妙はもとより、それらが築く世界観の魅力ゆえのことだろう。お客さんがついつい盆暮れに”あの世界観にまた戻りたい”と思うようになったら、映画は本当に強力な興行の芯を手にしたということになるだろう(それはヒットしたテレビドラマのほとんどにもあてはまることだ)。

こうして作品間をまたいで堅牢な世界観が築かれた松本ワールドが屹立するところに、3DCG版「キャプテンハーロック」に打って出るというのはなかなか度胸と確信がなければ難しいことだ。昔からのファンは何するにつけ一言あるだろうし、今どきの若い観客の多くはハーロックになじみもない(もっとも「ハーロック」のテレビアニメはフランスやイタリアでも幅広く親しまれていて、グローバルな需要は見込まれるのだそうだが)。しかし、観はじめてほどなくして理解できたのだが、これは「異聞キャプテンハーロック」とも言うべき、大変真摯な熱意と創意をもって作られた「別物」であり「新釈」なのである。

まず「宇宙海賊キャプテンハーロック」の頃の痛快なハーロックに比べて、福井晴敏・竹内清人脚本の本作ではノーラン的な人生の暗部にさいなまれている存在であり、それは司令官のイソラとヤマの兄弟と二人が愛したナミ、異星人ミーメなど、周囲の人物たちも同じで、誰もが悲痛な思い出を抱えている。本作はこの悩めるヒーローやヒロインたちの物語を軸に、過去へのトラウマと怨念が物語の主題になっている。そのアクチュアルな翻案は、旧作における快刀乱麻の義賊的なハーロック像を偏愛するファンには好き嫌いあるのだろうが、こういう真摯で意欲的な「変奏」がどんどん続いて原作が世代を超えて語り継がれ、甦るための”生命維持装置”になるのならそれは大肯定すべしと思う。

そしてかんじんの3DCGなのだが、全篇が3Dのライブアニメで作られた初の映画であるというふれこみの荒牧伸志監督『APPLE SEED』が作られてほぼ十年が経ち、もはや『APPL ESEED』が試作デモに見えるくらいの、ほとんど実写かと見紛うシーンの連続である。しかしこの十年でたとえば荒牧監督の前作『スターシップ・トゥルーパーズ インベイジョン』や神谷誠監督の『バイオハザード』連作が獲得してきたものは、ただ人間そっくりのキャラクターが現実感たっぷりの動きを見せる・・・という素朴な驚きから次のステージに跳んだ、「美学」や「様式」だろう。

つまり、ミニチュアや操演や火薬からなる円谷英二流のアナログ特撮であれ、ジェリー・アンダーソン流のマリオネーションであれ、東映動画から続々輩出したセルアニメであれ、すぐれた作品は(まずはまる出しの技術そのもののデモンストレーションから出発して)おのおののかたちでの「美学」と「様式」を手にするものだ。その点において、いわゆる「特撮」も「3DCG」も最終的には人肌のセンスが問われる地続きのものだと思うのだが、『キャプテンハーロック』には明らかにこの3DCGでなければあり得ないアーティフィシャルな美しさやトーン・アンド・マナーが感じられて、そこは感動的ですらあった。フォトリアルなどという言葉があるので誤解を招きやすいが、こんなに人物がリアルならいっそ実写で俳優が演じればいいのでは、ということにはならない。いかに3DCGがフォトリアルを目指すといっても、それはあくまで微妙な誇張や捨象を経た「様式」をもってこそ意味があるのであって、アトラクションではないのだからただ生のリアルさを志向してもつまらない。

荒牧監督が目指すのも、まさにその「虚実」の「皮膜」めいた部分の味わいで、前作『スターシップ・トゥルーパーズ インベイジョン』に続いて『キャプテンハーロック』に貫かれるデジタルな「皮膜」は、この作品を円谷プロやセンチュリー21プロや東映「動画」が生んだ傑作群と同じように、技術の「美学」の箱庭のような作品に仕上げている。もちろんこのようなSF冒険活劇にそれ以上深甚なものを期待されてもおかど違いだが、『キャプテンハーロック』はデジタル技術の試行と洗練が生んだ一級の「特撮」映画であるに違いない。

実際、この渾身の見せ場だらけの作品であえてそこをとりあげるのもどうかと思うが、『スターシップ・トゥルーパーズ インベイジョン』に続いて、なんと『キャプテンハーロック』でも披露される女性兵士の美しいシャワーシーン(こういう監督の気安いサービスは大歓迎だ!)。この肌の質感やカメラの動きを含めた官能性の「皮膜」は、さて実写でもアニメでも、ほかのどういう表現手段によっても導かれ得ないものだ。『キャプテンハーロック』は、さまざまなディテールでこのいわく言い難い「美学」と「様式」を確信させてくれる「CG史」・・・・いや「特撮史」の里程標だろう。

最後にオマケの話だが、やはり手塚マンガのヒョータンツギにも相当するトリさんをこんなに愛情とともに3D化してくれたのはとても嬉しかったが、まさかその声が効果音ではなく人力で、しかもそんな人の声であったとは・・・・このデジタル要塞のような作品で最大級にアナログなその一点のヒミツは観てのお楽しみということで。

映画評論家、映画監督。

1962年生まれ。早大政経学部卒業。映画評論家、映画監督。著作に「大島渚全映画秘蔵資料集成」(キネマ旬報映画本大賞2021第一位)「秋吉久美子 調書」「実相寺昭雄 才気の伽藍」「ロマンポルノと実録やくざ映画」「『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画」「黒澤明の映画術」「グッドモーニング、ゴジラ」「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」「女優 水野久美」「昭和の子役」ほか多数。文化庁芸術祭、芸術選奨、キネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクール、日本民間放送連盟賞、藤本賞などの審査委員をつとめる。監督作品に「インターミッション」(主演:秋吉久美子)、「葬式の名人」(主演:前田敦子)。

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