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騒音苦情に防音対策はNG! 名古屋市公民館の騒音殺人未遂事件が示唆すること

橋本典久騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授
(提供:イメージマート)

 今月14日の夕方、名古屋市熱田区の公民館に近所に住む男性が侵入し、歌を謳っていた夫婦を包丁で刺して殺害しようとした事件が発生した。容疑者はその場で現行犯逮捕されたが、犯行の理由は「歌声がうるさかった」というものだった。

 容疑者の自宅は公民館から10m程離れた所にあり、以前から歌声について苦情を言っていたそうだが、近所の人によれば、窓を開けっ放しにしていても、そんなには聞こえない程度の音だったということだった。

 苦情を受けていた公民館側は、窓もカーテンも締めて防音に努めるなどの対応をしていたということであるが、今回の事件を受けて、管理する区役所側は公民館の使用ルールを見直すことも検討しているとの報道であった。

 昨年の長野市・青木島公園の廃止問題でも同様であるが、騒音に対する苦情がくると防音対策をするということが何気なく行われているが、それが騒音問題を拗れさせているという意識は殆ど見られない。騒音苦情が来た時にすることは防音対策ではなく、煩音(ハンオン)対策である。

騒音はなぜうるさいか?

 騒音をうるさく感じるのは音の大きさではないことは、今では誰でも実感しているのではないだろうか。たとえ小さな音でも無性に煩わしく感じられることがある事は、誰しも経験しているであろう。これは正しく、騒音問題ではなく煩音問題なのである。

 もう何度も書いてきたことであるが、改めて騒音と煩音について説明する。

 現代の音の問題には、騒音問題と煩音問題の2つがある。騒音とは、音量が大きくてうるさく感じる音であり、工場などの公害騒音問題がこれに当たる。一方煩音とは、音量がそれほど大きくなくても、当事者間の人間関係や聞く側の心理状態などでうるさく感じてしまう音のことであり、現代の音のトラブル、特に近隣間のトラブルのほとんどは煩音問題である。

 騒音問題と煩音問題を分けて考える必要があるのは、それらの対策が異なるためである。騒音問題の対策は音量を下げること、すなわち防音対策である。しかし、煩音問題の対策は防音対策ではなく、誠意ある対応により相手との関係を改善することなのである。

 仮に、防音対策を行う場合でも、それは誠意ある対応により相手との関係を改善するためのもの、すなわち煩音対策のためのものでなくてはならない。煩音対策をやらずに防音対策だけをやれば、苦情を言われた側にも対策をやらされたという被害者意識が生れる。音を聞かされる側はもともと被害者意識を持っているので、両方が被害者意識を持つという矛盾の中でトラブルが拗れてゆくのである。

 苦情を言われれば誰しも面白くなく、度重なれば、たいして大きくもない音に苦情を言ってくる奴だと、無意識のうちに相手に対する嫌悪感を感じてしまう。そこで極力相手とは接触しないようにして、防音対策だけで済まそうとするが、それが問題を拗らせてしまう。煩音対策とは、積極的に相手と係わり、誠意ある対応を行って、相手との関係を改善することなのである。それにより、相手がうるさいと感じることのない状況を作り出すことなのである。

東京新聞に掲載された記事

 この名古屋市の公民館でのニュースを聞いた時に、思わず一つの記事のことを思い出した。昨年12月21日付の東京新聞に掲載された記事であり、以下のような内容だった(一部抜粋)。

『長野市で近隣住民の苦情をきっかけに公園が閉鎖になるなど、子どもの声を巡るトラブルは後を絶たない。本紙の「ニュースあなた発」にも、保育園の近くに住む東京都世田谷区の女性から「園児の声がうるさい」という訴えが寄せられた。取材を進めると、女性のケースでは苦情の裏に社会的孤立という問題が浮かんできた。(青木孝行記者)

 女性の話を聞くと、意外な言葉が返ってきた。「保育園は唯一の地域交流の場だったんです」。かつては園に愛着があったという。

 女性は一人暮らしで、ここで生まれ育って六十年になるという。近くに幹線道路が通ってから、畑ばかりだった一帯は開発が進み一変。新住民が増えるとともに地域のつながりは薄れていった。母の介護のため会社を辞めてから、園との交流に救われた。「夏祭りや運動会に招かれたり、年末にはお餅を届けてくれたりして楽しかった」と振り返る。

 ところが、五年ほど前から園との交流が途絶えるように。それまで気にならなかった園児の声がうるさいと感じるようになったのは、その頃からだ。(以下略)』

フラストレーションによってうるさいと感じる!

 うるさいと感じるかどうかは、その音に対してフラストレーションを感じるかどうかである。フラストレーションを感じさせる理由は、嫌な相手が発する音などの人間関係によるものだけでなく、聞く人がどのような境遇や心理状態であるかということも大きな要素となる。社会的に孤立した状態や閉塞感を強く持った心理状態では、今はない昔の楽しかった思い出の音は、フラストレーションを感じさせるに十分な音となるであろう。

 名古屋市公民館の事件は、もちろん容疑者の男性が行った行為は正当化されるものでは全くなく、非難に値するものである。ただ、その最悪の結果に至る以前に、苦情を言ってくる男性が、その些細な音になぜフラストレーションを感じているのかを理解するための対応は必要だったのではないかと感じる。そのためには、相手との積極的な接触が不可欠であり、嫌悪感を感じて拒否するだけでは、問題の解決には繋がらない。

 区役所側も今後、公民館の使用ルールを見直すという防音対策だけではなく、地域住民がフラストレーションを感じないための煩音対策の方法についても是非考えて欲しいと思う。

騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授

福井県生まれ。東京工業大学・建築学科を末席で卒業。東京大学より博士(工学)。建設会社技術研究所勤務の後、八戸工業大学大学院教授を経て、八戸工業大学名誉教授。現在は、騒音問題総合研究所代表。1級建築士、環境計量士の資格を有す。元民事調停委員。専門は音環境工学、特に騒音トラブル、建築音響、騒音振動、環境心理。著書に、「2階で子どもを走らせるな!」(光文社新書)、「苦情社会の騒音トラブル学」(新曜社)、「騒音トラブル防止のための近隣騒音訴訟および騒音事件の事例分析」(Amazon)他多数。日本建築学会・学会賞、著作賞、日本音響学会・技術開発賞、等受賞。近隣トラブル解決センターの設立を目指して活動中。

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