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近隣トラブル渦中の人が過去の同様事例を知る事の大切さ  その理由とは

橋本典久騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授
(写真:西村尚己/アフロ)

 争いの渦中にいる人は高揚している。交感神経が活発化して血液中に闘いのホルモン・アドレナリンが放出され、神経と肉体が戦闘モードに入る。たとえ、近隣からの苦情に悩まされ、被害者意識に苛まれているつらい時でも、相手に対する怒りや敵意が気持ちを高ぶらせている。著名な動物行動学者のコンラート・ローレンツによれば、人間の4大本能とは、食欲、生殖、闘争、攻撃だという。闘争における相手への攻撃欲求は、一度火がつけばなかなか収まらない。挙句の果ては、トラブルがエスカレートして殺傷事件に繋がったり、無益な訴訟のために時間と労力を無駄に使い果たすという結果になる。このようなことを防止するためには、争いの高揚感を抑えるための方法が必要であり、その一つが、過去に起こった同種事例の詳細な経過とその結末をトラブル当事者が知ることである。

ある読者からのメール

 ある時、筆者の研究所に弊著の読者から一通のメールが届いた。その内容は、集合住宅の上階に住む家族からの騒音に悩み、筆者の提唱する近隣トラブル解決センターの必要性を痛感しているという所感を知らせるものであり、特に相談ごとではなく、誰かに自分の状況を話したかったという程度の内容であった。ところが、そこに書かれていたトラブルは、過去に発生した上階音による殺人未遂事件の状況と全く瓜二つであった。

 早速、メールの返事で過去の殺人未遂事件と同様な状況であることを知らせ、その詳細な経緯を添付ファイルで送信し、くれぐれも事件に発展することのないよう自制するように伝えた。メールの送信者はファイルの内容を読み、事件の状況があまりにも自分たちに酷似していることを痛感したのか、これ以上、状況を悪化させないよう対処するという旨の返事が届いた。仮に、このメールのやり取りが無ければ、第2の上階音殺傷事件が発生してもおかしくない状況であり、過去のトラブル情報を周知することが、当事者を冷静にさせ、事件の回避に繋がることを示すよい実例になった。読者からの最後のメールは以下の通りであった。

 「ファイルを拝見したところ、建物は同じ造りですし、我が家のトラブルのパターンと酷似しております。重量衝撃音は床を直しても改善しないとは知りませんでした。これは工務店ですら、知らなかったのではないでしょうか。改修後の衝撃音も非常によく響いています。(中略)意図的な衝撃音を感じたり、不愉快な思いも多々ありますが、今は自制して現況を静観する他ないと思います。

 貴重なアドバイス、そしてファイルをありがとうございました。とても参考になりました。今後の先生のご活躍を心より応援致しております」

 筆者の研究所には、これまで多くの相談電話や相談メールが寄せられているが、闘いの渦中にある人には、言葉による説得や忠告は殆ど響かない。相談でのやり取りは自分で考えるという冷静な時間を与えないからである。言葉ではなく「読む」という行動は、反発や同意や想像など様々な考えを自分の中で咀嚼する時間的余裕を与える。そのことが争いの高揚感を抑え、冷静に物事を考える切っ掛けをつくるのである。「読む」ということは大変に大事であり、その内容が、今自分が置かれた状況に類似したものであるなら、必ず良い結果に繋がるものと考えている。その意味で、近隣トラブル、騒音トラブルに関する詳細な事例集が必要なのである。

トラブルに関する裁判資料の調査

 では、トラブルの詳細事例を知るにはどうすればよいか。ネット記事を集めて読むだけでは不十分であるばかりか、間違った情報に捉われる危険性もある。トラブルや事件に関する最も正確で有効な資料は、唯一、裁判資料である。訴訟および事件の詳細は、裁判の過程における訴状や反論書、公判回数分の準備書面、証拠書類、証人尋問発言記録、判決文などを通して明らかにされる。したがって、所管の裁判所や地方検察庁でこれら裁判資料の閲覧を行えば、そのトラブルの全容を把握することができる。そこで、2年をかけて日本全国の裁判所を訪れ、騒音トラブルや近隣トラブルの裁判資料を閲覧し、その内容を一冊の書籍に纏めた。それが弊著「騒音トラブル防止のための近隣騒音訴訟および騒音事件の事例分析 -裁判資料調査に基づく代表的13件の詳細事例集-」(Amazon刊)である。上記のメール送信者に送った事件詳細のファイルも、この中に含まれているものである。なお、この書籍は勿論有料であるが、13件の個々の事例に関しては、弊所のホームページから無料でダウンロードできるようになっている。

 一つの訴訟や事件に関して、判決までに膨大な量の裁判資料が蓄積されており、そこには判決文からだけでは知りえない当事者間の詳細なやり取り、心情、苦悩や悩みまでが記録されている。その厚みは、多い場合には積み上げると30cm~40cm近くになることもある膨大なものである。この中にトラブルの全容が含まれているが、これらの資料は、当事者(代理人含)以外はコピーがとれず、閲覧者にはメモが許されるだけである。そのため、内容の記録にも多大な時間が必要となるが、このような作業によって得られた資料を基に、それらの情報を整理して、訴訟や事件の詳細内容や経過を纏めたものが上記書籍である。

裁判資料の閲覧方法

 参考までに、裁判資料の閲覧方法を以下に紹介しておく。裁判資料の扱いは民事と刑事で大きく異なる。民事訴訟の裁判資料は、担当した裁判所に保管されている。保管期間は判決後5年であり、それ以後は原則廃棄されるため、その期間内に資料を閲覧する必要がある。閲覧には、手数料として150円分の収入印紙、認印(閲覧請求書への押印用)、身分証明書(通常は免許証)が必要である。閲覧請求書には、事件番号、原告と被告の氏名、当事者との関係、閲覧目的、資料範囲などを書く欄があるが、事件番号さえ分かっていれば、原告、被告名は不明としておけば特に問題ない。当事者との関係は第三者とし、閲覧目的は筆者の場合には学術研究の為などとし、資料範囲は全部と記入すればよい。通常の裁判所では、「記録係」に出向いて閲覧することになるが、資料等が他の場所に保管されていることもあるので(東京地方裁判所など)、電話で確認し、訪問日時を告げておく方が確実である。

 刑事事件の場合は、確定判決後の資料は担当した検察庁に保管されている。民事の場合は原則公開であるが、刑事事件の場合は、閲覧の許可は検察庁の判断によるため、事前に連絡して許可を得ておくことが必要である。また、死刑判決のような重大事件の場合には上申書の提出を求められることもある。なお、調書などの資料は判決確定後すぐに廃棄されてしまうことが多いため、実際上は閲覧できるのは判決書きだけになる場合が多い。そのため、公正ではあるものの、内容は裁判官のフィルターが若干加味されたものとなり、民事の場合のように当事者の詳細なやり取りをそのまま辿ることは困難な場合が多い。また、民事の場合は、裁判記録は全てそのまま閲覧することができるため、当事者の名前や住所などの個人情報も開示されているが、刑事事件の場合には、殆どの場合、個人情報に関する部分は黒塗りとされる。これらの理由から、刑事事件の場合には内容は簡単なものにならざるを得ない。

 訴訟以外に、騒音の差し止め請求などの保全事件があるが、これは非公開であり記録の閲覧はできない。ただし、保全事件がその後に本訴になれば閲覧は可能となる。また、決定書の内容が他の訴訟の資料として使われることもあり、このような場合にはその内容を知ることができる。上記の書籍には、このような事例も含まれている。

事例集の活用を!

 近隣トラブル、騒音トラブルの詳細内容を知ることは、トラブル渦中にある人達が冷静になれる一番の材料である。闘いに勝つためではなく、冷静になるために、是非詳細事例を読んでほしいと思っているが、勿論、そのためだけに詳細事例集を纏めたわけではない。本来の目的は、近隣騒音トラブルの対策立案資料、特に煩音対策の客観的な基礎資料とするためであり、これを有効に活用すれば解決策の在り方を実証的に検討することも可能となる。近隣騒音トラブルでは人間関係や人間心理が大きな要素となるため、それに関わる当事者の初期対応の状況や交渉経緯を明らかにし、当事者の心理状態を含めて、それが結果にどのように影響したかを究明することが重要である。騒音トラブルの社会的な防止策、解決策の在り方を検討し、条例や社会制度などによる方策を立案するための基礎資料として、大いに活用して頂きたいと考えている。なお、収録されている事例は以下の通りである。

<騒音訴訟記録8編>            

・ 「私立高校エアコン騒音訴訟」 

 高校敷地境界付近に新たに設置されたエアコン室外機の騒音に対して近隣住民から苦情があり、室外機撤去と損害賠償請求の訴訟を提起された事例。

・ 「子ども活動センター騒音訴訟」

 子どもが野外活動をする目的で利用されてきたプレイパークからの子ども達の騒音がうるさいと、近隣住民が騒音の防止と損害賠償請求の訴訟を提起した事例

・ 「市民公園・子どもの遊び声差し止め請求」

 市民公園内にある噴水で遊ぶ子ども達の声やスケートボード場の騒音がうるさいとして、騒音の差し止め請求が行われた事例。

・ 「スポーツセンター騒音訴訟」 

 フットサル場として使われている民間スポーツセンターからの騒音がうるさいとして、近隣住民7名が防音対策の要求と損害賠償請求の訴訟を提起した事例。

・ 「銭湯ボイラー騒音訴訟」 

 自治体が運営委託している銭湯のボイラーからの騒音がうるさいとして、近隣住民が損害賠償請求訴訟を提起した事例。

・ 「マンション・子どもの足音騒音訴訟」 

 マンションの上階に住む家族からの子どもの走り回りや飛び跳ねなどの足音騒音がうるさいとして、下階の夫婦が騒音の防止と損害賠償請求の訴訟を提起した事例。

・ 「マンション・上階音苦情に対する損害賠償訴訟」 

 マンションでの下階の住人からの執拗な騒音苦情により、精神的な苦痛を受け身体的な障害を生じたとして、損害賠償請求の訴訟を提起した事例。

・ 「マンション・ 上下階居住者間騒音トラブル訴訟」 

 マンションの上階からの子どもの足音が受忍限度を超えているとして、下階の夫婦が騒音の差し止めと損害賠償請求の訴訟を提起し、居住者間で激しい争いになった事例。

<騒音事件3編>

・「県営団地・上階音殺人未遂事件」

 5階建て県営団地に居住する母親と子ども4人の家族が、下の階の居住者から苦情を言われて争いとなり、女性が下階住人の男性を刺した殺人未遂事件。

・「木造アパート・隣人3人刺殺事件」 

 古い木造アパートに暮らす男性が、隣の住人の扉を閉める音や生活音がうるさいとして、隣人夫婦を刺殺し、駆けつけたアパートの大家も刺殺した殺人事件。

・「近隣騒音トラブル母子殺傷事件」 

 小さい戸建て住宅が並ぶ住宅地で、隣家の子どもの声や生活音がうるさいとして、隣家の主婦を刺殺し、子ども二人にも重傷を負わせた殺人および殺人未遂事件。

<騒音以外の近隣トラブル2編>

・「タウンハウス・猫餌やり禁止訴訟」

 タウンハウス住人が、庭で生まれた野良猫の子猫に餌やりを始めたことをきっかけに猫が集まり、その糞や毛、鳴き声で被害を受けたとして、他の住民が猫への餌やり禁止と損害賠償請求の訴訟を提起した事例。

・「隣人トラブル・猟銃殺傷事件」

 戸建て住宅で暮らす隣人同士が争いとなり、隣家の男性が女性に嫌がらせを繰り返し、20年近くのトラブルの果てに男性が女性を猟銃で射殺した事件。

騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授

福井県生まれ。東京工業大学・建築学科を末席で卒業。東京大学より博士(工学)。建設会社技術研究所勤務の後、八戸工業大学大学院教授を経て、八戸工業大学名誉教授。現在は、騒音問題総合研究所代表。1級建築士、環境計量士の資格を有す。元民事調停委員。専門は音環境工学、特に騒音トラブル、建築音響、騒音振動、環境心理。著書に、「2階で子どもを走らせるな!」(光文社新書)、「苦情社会の騒音トラブル学」(新曜社)、「騒音トラブル防止のための近隣騒音訴訟および騒音事件の事例分析」(Amazon)他多数。日本建築学会・学会賞、著作賞、日本音響学会・技術開発賞、等受賞。近隣トラブル解決センターの設立を目指して活動中。

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