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大ケガから1年6ヵ月…“お天気”木原さん父娘が初めて語る

長谷川まさ子フリーアナウンサー/芸能リポーター
常に仲良しの木原さん親子

 日本テレビで33年にわたって、お天気を伝え続けてきた気象予報士・木原実さん。そして4月9日、やはり日本テレビでリポーターデビューした娘の実優(みゆ)さん。同じ役者という顔を持つ2人に、親子関係を直撃!!また、一昨年の実さんの大ケガについても、初めてご本人の口から語ってもらいました。

――親子インタビューが実現しましたが、普段から仲良し親子ですか?

実:間違いなく、かなりの仲良しだと思います。反抗期とかなかったよね。

実優:そうですね。同級生から「お父さんのこういうところがイヤ」「ウザい」とか聞いた時に、うちはそういうのはあんまりないなって思っていました。

実:たとえばね、僕の“匂い”が大好きなんですよ。「肩もんであげる」とかいって、クンクン嗅いだりするんです。犬の匂いとか好きな人いるじゃないですか、そんな感じじゃないかなと思うんですけど。イヤだとかクサいとか言われるよりいいですよ(笑)

実優:父の頭の匂いとか、靴下とかも嗅ぎます。

実:それは言わない方がいいよ(笑)。子供の頃から僕の枕の匂いが好きで。「いい匂い」って。

実優:お母さんが枕カバーを洗おうとするんですけど、匂いがなくなっちゃうから「洗わないで」って頼んでます。

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――普段はどんなお父さんですか?

実優:小さい頃は口うるさくて、お母さんが2人いるような感覚でした。今はすごく優しくて楽しい人です。お料理も作ってくれるし。

実:お弁当も作りますよ。きっかけは、息子が中学生の時、妻が一時期入院したことがあって、その時に作っていて。妻が退院したので、また元に戻そうかとも思ったんですけど、大変なんですよね、週6のお弁当にお昼と夕食。これは全部母親に任せてはいけないと思い、お弁当を妻と1日交代で作ることにして、8年間くらい続けました。

実優:私も時々、舞台稽古の時なんかは作ってもらってましたけど、おいしいんです。

実:コンビニのおにぎりって、おいしいじゃないですか。あれに負けたくないんです。外食とコンビニばっかりになってしまうと、ずっとそれがおいしいものだと思って、それ以外のものを食べなくなっちゃう。でも、家で食べるとおいしいんだって思ってもらいたくて、一生懸命作りました。子供は喜びますよ、“タダ”ですから(笑)。

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――親子で飲みに行くこともありますか?

実優:私が二十歳になった時、家族で行きつけの居酒屋さんに行きました。その最初のお酒で一番の二日酔い、いや三日酔いになりました。家族と飲んだのに…。

実:うれしいのと慣れていないので、いっぱい飲めちゃうじゃないですか。「2軒目はパパの知っている店に行こう」とか言って、おもしろい店に連れて行ったりして。そしたら帰りに急にヨタヨタして歩けなくなって、おんぶしたりして。家に帰ってから大変でしたよ。妻からは「自分の娘を酔い潰して、何やってんのー!」って怒られました。僕も娘と飲めるのはうれしいから、ついついね(苦笑)

――木原さんが転んで大ケガをされたのは2017年10月でしたね。

実優:あの時は死んじゃったなと思ったくらいだったので、生きててくれたらなんでもいいって思うようになりました。先のことが何も見えなくなって…。でも、母もパニックだったから、自分は逆にしっかりしなきゃって冷静でいられたところはあったと思います。人生で一番の大きな出来事だったのは間違いないです。

実:僕の不注意でのケガだったんですが…。病院で目が覚めて、“あれ、身体が動かないぞ”って思ったら、先生から「首のところで脊髄(せきずい)が損傷していて、手足が動かないんです」って言われて。詳しく聞いてみると、「手術で折れた骨はくっつけたけど、中の脊髄がねじれて、その一部は死んでいるから中枢神経は戻らない。ただ、他の神経がその代わりをしたりもするので、リハビリの結果で歩けるようになるかもしれませんが、現状だと結構、厳しい」との説明でした。

 あーやっちゃったなと思いましたよ。一応、最悪のことを考えたりして、もう仕事はできないし、手足が動かないから介護人生になるのかなと。それでも先生からは「ちょっとだけ感覚があるみたいだから、リハビリ次第ではよくなるかもしれない」とも言われて。それなら自分のやることはリハビリしかないなと。

 「なんであの時、外食に出てしまったのか」とか、「あのお店に入らなければ」とか、どうしてこうなったのかということは考えないことにしようと。後ろを向いてもいいことはないし、過ぎてしまった時間は戻ってこない。今できるのは、ベッドから立ち上がることで、手足を動かすことで、歩くこと。そのためには、医師や理学療法士の言うことを全部やろうと思ったので、集中治療室で「では木原家これで解散。パパはパパでやることをやるから」って言って解散したんです。

 それで、これは奇跡的だって言われたんですけど、手術2日目に立てたんですよ。先生に足の指をポンポンって触られて「どうですか?」って。「ちょっとなんか感じます」って言ったら、「足首、動かしてみて。あっ、ちょっと動いてるね」。さらに「ベッドのこっちに向いてみよう」「ベッドに座ってみよう」って起こされて座って。そこから「ちょっと立ってみようか」となって、支えてもらいながら立てたんです。

 先生からは「手術の2日目で立った人は珍しい。最近では同じような症例で5人来たけど、まだ寝たきりだったり、そのままストレッチャーでリハビリ病院に行った人もいるし、車いすで退院した人もいる。術後2日ですぐ立ったのは珍しい。だから頑張りなさい」って言われました。

 でも、足のリハビリをするのに歩くんですけど、立つだけでめまいがして、貧血になっちゃうんです。最初はおしっこが出る、出ないも病院側がすごく気にしていて。脊髄損傷で尿意や便意がないと、人工肛門にしなければいけないケースもあるんですって。で、看護師さんから便意があるか聞かれて「なんかしたい」って車いすでトイレに行って座ったら、「ああ~、出た、出た、出た」って。

 そのあたりから、希望が出てきたんです。以降は、地道に地道にリハビリをして、自主トレをして、急性期の病院からリハビリ病院に移って、休みなしでリハビリを5ヵ月して退院しました。

――5ヵ月での仕事復帰もまた奇跡ですか?

実:奇跡です。先生にどれくらいで治るか聞いたら、「何とも言えないんだけど、早くても6ヵ月くらいかな」って。一番頑張らなければと思ったのは、最初にお見舞いに来てくれた「news every.」(日本テレビ系)の藤井貴彦キャスターや、次に来てくれたお天気スタッフらの言葉を聞いた時かな。

 まだ立てるか立てないか、手も上がらない状態の時に「正直どうなんですか?」って聞かれてね。「頑張って退院するから」って答えたら、「どれくらいで復帰できるんですか?とにかくメドがないと待っていられないから、メドを決めてください」って。「分からない」って返したら、「桜中継は木原さんでやりたいから、来年の桜が咲く頃までには復帰してください」って言われたんです。

 桜かと…。3月末ですよね。このやり取りが11月だったので、4~5ヵ月後。「じゃあ、それまでに退院する!」と目標を決めたから、後はリハビリをやるだけ。桜の開花は、平年が3月26日だからと思って準備を進めていたのに、昨年に限って記録的に早くて、3月17日だったの。

 退院後、1週間ぐらいは家の周りを歩いたりして、それから復帰と思っていたのに、実際は退院して4日後に復帰って、あっという間ですよ。右手は上がらないけど、左手だけ肩のところまで上がったので、指し棒を持つ練習をして、さよならの時に手を振ることもできる。復帰が前倒しだったから結構、厳しかったですよ。仕事が終わって帰ってくると、ご飯を食べてる間に疲れちゃってすぐに寝ていました。

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――実優さんから見てもリハビリは頑張っていましたか?

実優:先生が自主練みたいな課題をくれるんですけど、ノルマ以上にやっていて。リハビリのことばかり考えていた時期があったので、息抜きになればとできる限りお見舞いに行くようにしていたんですけど…。

実:お見舞いに来て、すぐにお見舞いのお菓子を食べるんですよ(笑)。で、僕のベッドでうとうとして寝ちゃって。でも、家族が来てくれてすごく元気をもらえました。

――スタッフや視聴者の応援も大きかったでしょうね。

実:大きいですよね。子供が絵を書いて送ってくれるんです。「元気になってね」って。病室に張って、それを見て頑張っていました。僕が子供たちと一緒にやっているお天気コーナーの時間は今、4分半なんですけど、その20分ぐらい前から、(お天気コーナーのキャラクターの)そらジローと一緒に子供たちと遊んでるんです。赤ちゃんを抱っこしたり、そらジローに芸をしてもらったり。そんな現場が大好きだったので、また戻りたいな~って。子供たちが「木原さ~ん!」って呼んでくれることですごく元気をもらえます。

 復帰したら原稿を書かなければいけないので、途中からは病院にパソコンを持ち込んでいました。去年3月23日の皆さんへのご報告ブログは、病室で1本指で打ったんですよ。局側からも視聴者センターに「どうして出ないんだ」「どういう病気なんだ」という問い合わせが殺到しているので、「そろそろ正確な情報を出してほしい」と言われて。

 ブログを見た友達も心配して連絡をくれましたが、面会は全部断っていたんです。リハビリで本当に忙しくて。夕飯の後も、寝るまでの時間が自主トレの時間でね。ちょっとストイックにやろうかなと。基本的にはサボりっぺで、怠け者なので。こんな時、ストイックにならなければ、いつストイックになるんだってね。

 自分でも、どうやったらこの手はうまく動くのかなと考えて、スーパーボールを持ち込んで壁に投げて1人でキャッチボールして。一度下に落ちたボールを拾おうと床に横になったら、そのまま起き上がれなくなっちゃって。ナースコールも届かないし、何とか動く範囲の手足を使って5分ぐらいかけて立ち上がったこともありました。今もまだ完全ではないけど、こうやって動いているのは、本当に奇跡だね。

――そもそも木原さんとお天気の出合いはいつになるんですか?

実:これはねえ、はっきり言って“偶然”。もともと、日大芸術学部を出た後、ラーメン店でアルバイトをしながら芝居をやっていたんだけど、声優をしていた友達が声優の神谷明さんの事務所を紹介してくれたの。それで神谷さんの付き人をしている時に、「新しいニュース番組でお天気お兄さんを探してるから、オーディションに行っておいで」って言われて。そしたら合格しちゃって、後づけで勉強して。

 そこから9年経って気象予報士の制度ができて、受からなかったらクビだなとさらに勉強して2回目で合格。肩書きが“気象予報士”になって、すごく忙しくなってきたので、大学を卒業してから加納幸和さんや篠井英介さんたちと10年やっていた劇団「花組芝居」を辞めたんです。

 以降、5年ぐらいは天気の仕事に専念して、そろそろ慣れてきたなという頃に、「ちびまる子ちゃん」の声優のTARAKO ちゃんが声をかけてくれて。彼女が作・演出の演劇集団「WAKU」の公演に参加させてもらったんです。それが12年ぐらい続いたかな。今回のケガで2回休んでしまいましたけど。毎年12月に上演しているのですが、「今年は出ます!」って宣言してしまいました。

――木原さんが役者さんだと知る人は少ないかもしれませんね。

実:いや、知らないと思いますよ。実優はまだよちよち歩きの時から楽屋に遊びに来てましたけど。「花組芝居」は“ネオ歌舞伎”で白塗りをして女性の格好をしたりと独特なので、私のことをオカマだと思っていたみたいです。部屋にカツラがあるし、お友達がみんなそんな風な人ばっかりだから「あれは優しいおじさんたちじゃなくておばさんたちなんだ」みたいな。

――実優さんが女優を目指したのはお父さんの影響ですか?

実優:父が舞台をしていなかったら、小さい頃から舞台を頻繁に見ることがなかったので、やはり身近に感じていたところはあったかもしれませんが、父がやっているから役者をやろうという気持ちはなくて。母も役者だったので、自分は両親とは違う道を…「絶対にダンサーだ!」と思って、バレエ留学したんです。

 厳しいところがよかったので、厳しさだったらイギリスよりも上海だと思って選んだんですが、行ってみたら本当に厳しすぎて。見事に挫折して帰ってきました。周りは身長が170cmとかあってスタイルが全然違うんですけど、私は手がちょっと長くてギリギリ入れたんです。

実:子供の頃からバレエをしていて、手足の長い中国中のお嬢さんが集まって。その学校を出たら中国ではエリートになる。中国全土から集まってくる中に、何人かの外国人枠があって、そこにたまたま入れちゃった感じですね。実優が入学できたのは、本当に幸運だったと思います。

実優:実感としては、お金持ちではない人もいて、本当に素質のある人たちが選ばれていて。バレエを愛しているとか、バレエをやりたいとかいう感情じゃなくて、自分がバレリーナになって一家を食べさせていくしかない状況の人たちもたくさんいました。そんな厳しい環境もあって、打ちのめされました。

 1年で帰国してからは、留学までさせてもらったのに「バレエを辞めたい」ってことも親には言えなくて…。ずっと家にいて、体を動かしてなかったんですけど、友達に誘われてキックボクシングの体験に行ったら、すごくハマって。バレエをやっていたので、足がすごく上がるから、周りのおじさまたちが先生に「この子にハイキックを教えて」とかいろいろ言ってくれて。先生も一生懸命教えてくれたので「キックボクサーになろう」って一瞬思ったんです(笑)。そこから段々前向きに考えられるようになりました。

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――父親としては同じ道を選んでくれてうれしいですか?

実:反対はできないんだけど、厳しいことはイヤと言うほど分かっているので「厳しいぞ」としか言えない。指導とかアドバイスとか、親からするものじゃないと思っているので。見たら言いたくなりますが、言わないですね。

実優:いや、言ってますね(笑)。それで衝突することもあります。でも、不安な時は私から「こんなんでいいのかな」って聞くこともあるんですよ。

実:相談されたらやっぱりうれしいから、「ちょっと貸してみろ。こういうふうに読むんだ」とか、「パパが相手役ね」なんてやっていると、「“ひと間”早い」みたいになる。

――実優さんは4月から「ZIP!」(日本テレビ系)でリポーターデビューしましたね。

実優:オーディションに合格した時には「ドッキリかな」って思いました。食リポも初めてで。でも楽しめたんです!OA前日は「起きれなかったらどうしよう」とほとんど寝られませんでした。本番は生でナレーションをつけたんですけど、舞台と同じような高揚感があり、プワッとテンションが上がりました。

 これからたくさんの課題がありますが、春からの新しい挑戦に楽しみながら全力で取り組みたいと思います。父からも「責任重大だぞ」と言われているので、認めてもらえるよう、日々精進していくことが当面の目標です。

――木原さんの近々の目標はTARAKOさんの舞台?

実:そうですね。やはりケガする前と同じことができるのが完全復帰かなと。今は歩いたり、字も書けるようになったし、箸も持てるようになった。ただ、まだ遠くへ行ったりとか、土日両方働くような仕事を断っているんです。やっぱり疲れちゃうんですよね。TARAKOちゃんの舞台でちゃんと役を務めて、千秋楽まで無事に完走できたら“完全復活宣言”をしようかなと思ってます。病院でのリハビリも続けてはいますが、月に1回くらいまでに減ってきているので、後は自主トレのみです。

――最後にそれぞれへの想いを聞かせてください。

実優:きょう、ケガのこととかを振り返ってみても、やはり「無理をしてほしくないな」って言いたかったんです。舞台に復帰するのもよく考えての決断でしょうけど、できればまだ…って。でも、舞台をつとめあげることが完全復活だと聞いて、やってほしいなと思いました。

実:「自分が幸せだな」と思って生きてほしいですよね。幸せなら別にいいですよ、芝居を辞めたって何したって。毎日毎日ちゃんと幸せだったなと感じられるような生活、人生を歩んでもらいたい。名声があったって、お金があったって幸せじゃないのは、それは正しくないと思う。本人が「テレビとか映画に出て、有名にならなかったら幸せじゃない」と思うんだったら仕方がない。それがその人の幸せだから。でもそれって、そうじゃないところにあったりして、そういうことも感じて生きていってほしい。僕がそうだったから。

 たとえば、ケガをして入院していた時でも、家族がお見舞いに来てくれたり、リハビリがちゃんとできたり、病院の食事を自分で食べられることが幸せだったと感じたので。その日その日でちゃんと幸せであるような生き方をしてほしいと思います。

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(撮影:長谷川まさ子)

■インタビュー後記

木原さんとは、25年ほど前にお天気番組で1年ほどご一緒しました。早朝番組だったので、番組後は築地のお寿司屋さんで朝ごはんを食べながら一杯という、贅沢で楽しい時を過ごしたり。実優さんと共演の舞台も観ていたので、今回はぜひ親子で話を聞きたいと思いましたが、予想以上の仲良しぶりに正直びっくりしました(笑)。実優さんのリポーターデビューも拝見しました。ハンドマイクの持ち方に初々しさを感じましたが、自然なリポートぶりと、何より生ナレーションが素晴らしかった!木原さんはナレーターとしても活躍しているので、DNAを感じた瞬間でした。

■木原実

1960年7月17日生まれ、東京都出身。気象予報士・防災士。1986年から日本テレビでお天気キャスターを務める。現在は同局系「news every.」でお天気コーナーを担当。ナレーターや声優、舞台俳優としての顔も持つ。2004年には防災士としての資格を取得。2005年には日本防災士会常任幹事に就任。今年12月には、「WAKU」プロデュースの舞台に立つ予定。

■木原実優

1994年6月21日生まれ、東京都出身。舞台を中心に俳優として活動。主な出演作品に舞台「少女歌劇 レビュースタァライト」、「魔法先生ネギま!~お子ちゃま先生は修行中!~」、「鉄コン筋クリート」などがある。今年4月から日本テレビ系「ZIP!」に特集リポーターとして出演。

フリーアナウンサー/芸能リポーター

群馬県生まれ。大学在学中にTBS緑山塾で学び、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」で7年間アシスタントを務める。ワイドショーリポーター歴はTBS「3時にあいましょう」から30年以上、皇室から事件、芸能まで全てのジャンルをリポートしてきた。現在は芸能を専門とし、フジテレビ「ワイドナショー」、日本テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」ほか、静岡・名古屋・大阪・福岡の番組で芸能情報を伝える。趣味は舞台鑑賞。

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