丘みどり、“ヘソ出し”から「紅白」初出場まで!

「紅白」に初出場する丘みどり

 今年、NHK「紅白歌合戦」への初出場を決めた演歌歌手・丘みどりさん(33)。初出場者による会見で赤い着物に身を包む彼女を見て、「誰だっけ!?」と思った方も少なくないはず。18歳でアイドルとして芸能界入りし、20歳の時に念願の演歌歌手デビュー。何度も辞めようと思った売れない時期を乗り越え、「紅白」出場という夢を目前に控えた“演歌界の新風”を直撃しました!

全身の力が抜けるような…

 「紅白」への出場が決まり、周囲から声をかけていただくことが多くなりました。今、一生分の“おめでとう”をもらっている感じです。「いつか出られたらいいな」という気持ちはあったのですが、「今年出られるように頑張ろうよ!」とファンの方に背中を押してもらいました。

 会見当日の朝に出場を知らされた時は、全身の力が抜けるような感じで、いったん、真っ白になりましたが、「本当に出られるんだ」という喜びと、ファンの方への感謝の気持ちと…。父に電話で報告した時には、びっくりしすぎて「またまた~」なんて言っていましたが、祖母はずっと泣いていました。

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亡き母の言葉で踏みとどまった

 演歌歌手としてデビューした1年後、2006年に亡くなった母にも本当に感謝です。母がいなかったら、ここまでやってこられていなかった。亡くなる前に「『紅白』に出られるような歌手になるから、もうちょっと元気でいてね」と言うと、母も「分かった。約束ね」って…。

 これまで、何度も辞めようと思ったことがありました。曲を出しても、お客さんが増えるとか、売れるとかの変化もなく、同じ時期にデビューした子たちがどんどんテレビに出ていく中で、悔しい思いをたくさんして。演歌歌手になって10年経ったことと30歳になったことが重なった時に、いい区切りだから辞めようと思いました。それでも思いとどまったのは、母の「やらずに後悔よりも、やって後悔の人生を」という言葉です。せっかくずっと憧れていた歌手になれたのに、それを辞める勇気があるなら、もう一度、チャレンジしてからでも遅くないのかなと。それで去年の春に、大阪から1人で東京に出てきました。

 母には心の中で「やっと約束を果たせたよ。大みそかのステージを見守っててね」と伝えました。今月中にはお墓参りもしたいと思っています。

「ずいぶん変わった子だったんだな」

 会見で私の名前を初めて耳にした方も多かったと思います。とにかく、丘みどりを知らない人がたくさんいらっしゃる中で、「私から会いに行きましょう」という提案をマネジャーさんにして、今年は100回近いキャンペーンをしてきました。いわゆる“手売り”です。直接会いに行って、握手をして、お話をして、CDを買っていただく。その積み重ねでした。ファンの皆さんの反応も変わってきて、初めて行く所でも、「いつもテレビで見てるよ」とか、「この歌を今、習っているのよ」という方がいらっしゃって。回を重ねるごとに、同じ会場に行っても、ちょっとずつ、ちょっとずつ、お客さんが多くなっているのを目に見えて実感できたので、やりがいはすごくありました。

 これまでの10年間はどちらかというと、「この服を着て、こういう楽曲を歌いなさい」と言われるままに「はい、分かりました」という感じでやってきたんですけど、一歩、自分で踏み出すことになってから状況が変わりました。“自分の人生は自分で変えていかなきゃ誰も変えてくれない”ということがよく分かったので、意見を言えるようになりました。

 演歌歌手の道を選んだのは、小さい頃から演歌が一番好きだったから。初めて連れて行ってもらったのは鳥羽一郎さんのコンサートで、「なんてカッコイイんだ!私は絶対に演歌歌手になる!!」って思ったんです。鳥羽さんとも実際にお会いして、その話もさせてもらったんですが、「ずいぶん変わった子だったんだな」って言われました(笑)。

 演歌の先輩には、かわいがっていただいています。藤あや子さんからお着物をいただいたり、美川憲一さんには大阪時代からお世話になっています。美川さんには先日も番組でお会いして、「『紅白』おめでとう」って言っていただきました。

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ヘソ出しはすごくイヤだった

 18歳でアイドルになった時には、芸能事務所に入ったら演歌歌手になれると思っていたんです…。ある雑誌に掲載されていたアイドルオーディションを受けることになり、芸能界デビューを果たしました。その後、“ヘソ出し演歌歌手”として活動したのですが、ヘソ出しはすごくイヤでした(苦笑)。私がイヤというよりは、それを見た家族と親族が悲しんでいたことが…。それでも今、「そういえば10年くらい前におヘソを出して歌ってた子が『紅白』に出られるんやね。よかったね」と言っていただくことがわりと多いので、そんな風に覚えてくださっているのなら、あれも失敗ではなかったかなと。

 東京に出てくるのは大きな決心でした。1人も知り会いがいない状態で、30歳で、演歌歌手としてデビューして10年目で、今出ていくべきなのかなと。この世界がどれだけ大変であるかも分かっていたので、不安もありました。それでも、父が「失敗しても実家に帰ってきたらいいんだし、頑張ってきたら」と言ってくれたので、あまりプレッシャーを感じずにいられました。それに、やっぱり一度きりの人生だから“やらずに後悔よりも、やって後悔”。失敗しても、それはそれで自分の経験になるからいいかなと。

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初めての代官山に感動!

 今33歳ですが、結婚して母になって歌うというのが私の1つの夢です。理想の男性は元気で楽しい人(笑)。20代の頃は好きなタイプもあったんですけどね。年齢を重ねるにつれて、とにかく元気で、一緒にいて楽しい人がいいです。

 キャンペーン中心だった今年は、ほとんど休みはありませんでした。2~3日かな。私が「お休みはいりません。スケジュールを入れてください」とお願いしたので。私、お酒が大好きなんですけど、翌日が休みとなると、楽しくて前の日にすごく飲んじゃうので、休みの日はゆっくり寝たり、掃除をしたりしていました。

 毎日地方に出かけていて、観光もその間にさせてもらっているので、東京で出かけることはほとんどしていません。この前、初めて代官山に行って感動したんです。仕事の待ち合わせが代官山の交差点で、タクシーで降ろしてもらって、「なんだこのオシャレな街は!」ってキョロキョロしていたら、「ここが代官山だよ」って教えてもらって。ほかにも六本木とか、オシャレスポットにもっと行きたいです(笑)。

泣かずに歌い切る!

 「紅白」以降の目標としては、“丘みどりにしかできないこと”をしたいです。去年から花柳糸之先生という舞踊家の方に弟子入りして、お稽古をつけてもらっているんですが、「みどりはすごく人見知りが激しかった子供だと言っていたけど、そのとおりだ。それが今でもステージに出ている。このままじゃダメだから、あなたはどんな時でも演じなさい」と言われていて。“丘みどり”ではなく、曲の主人公になってステージに出なさいとアドバイスを受けました。

 実際、それ以降は歌い方が変わって、聴いてくださっている方にも、「最近変わったよね」と言っていただけるようになりました。先生にはとても感謝しています。その部分ももっともっと極めて、“演じながら歌う”ことをきっちりしていきたいなと思っています。歌の途中でお芝居を入れてみたりとか、いろいろしてみたいですね。

 「紅白歌合戦」は小さい頃からずっとみていた夢。その夢をかなえてくださったファンの皆さんに対して、感謝の気持ちを込めて精いっぱい、最後まで泣かずに歌い切りたいなと思います。この前、徳光和夫さんにお会いした時に、「(ステージの)裏に入ったらいくらでも泣いたらいいんだから、歌ってる時には泣いちゃダメだぞ!」と言われたんです。応援してくださった皆さんに歌を届けるのが私の仕事なので、きっちり歌いたいと思っています。(撮影:KOZOクリエイターズ)

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【インタビュー後記】

 結婚の話を聞くとチラッとマネジャーさんの反応を見たり、自ら「休みはいらない」と言ったものの「もう少しはあると思った…」とコボしてみたり。丘さんはとても可愛らしい女性なのですが、芯が強く、自分で自分の道を切り開いてきた人でした。“歌手になれればよかった”のではなく、“演歌歌手になる”という明確なビジョンがあり、さらに演歌を歌うならドレスではなく着物で、というこだわりも譲らなかった。「紅白」という大舞台に、演歌歌手として立つ彼女の次のビジョンが楽しみです。

■丘みどり

1984年、兵庫・姫路市出身。祖母の影響で幼少より民謡を歌い始め、“民謡の天才少女”と呼ばれる。18歳の時にアイドルとして芸能界デビュー。その後、演歌歌手としての夢をかなえるためにトレーニングに励み、05年に『おけさ渡り鳥』で演歌歌手としてデビューした。今年6月にリリースした『佐渡の夕笛/雨の木屋町~4曲入り感謝盤~』は、オリコン演歌・歌謡曲チャートと有線リクエストチャートで1位を獲得した。今年の大みそかに行われる「第68回NHK紅白歌合戦」の紅組5組目に登場し、『佐渡の夕笛』を歌唱する。