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「朝鮮と日本に生きる」が「日韓のはざまに生きた」となる理由?

韓東賢日本映画大学教員(社会学)

岩波新書から2月の新刊として発行された詩人の金時鐘氏の著書『朝鮮と日本に生きる――済州島から猪飼野へ』には、「日韓のはざまに生きた詩人の稀有の回想記」と書かれた帯がついていた。つまり、新書サイズの表紙の小さな長方形のなかに、「朝鮮と日本に生きる」というタイトルと「日韓のはざまに生きた」という帯の文句が配されており、両方が同時に目に入ってくる。私はしばし混乱した。著者が「朝鮮と日本に生きる」と言っているのに、帯が「日韓のはざまに生きた詩人」と言っているわけだ。

本書は、「日本統治下の済州島で育った著者(1929~)は、天皇を崇拝する典型的な皇国少年だった。1945年の『解放』を機に朝鮮人として目覚め、自主独立運動に飛びこむ。単独選挙に反対して起こった武装蜂起(4・3事件)の体験、来日後の猪飼野での生活など波乱万丈の半生を語る詩人の自伝的回想」(カバー裏の紹介文より)である。植民地とは何か、南北分断とは何か、在日朝鮮人とはどのような人々なのか……。朝鮮半島と日本の現代史を個人の経験からあぶり出す、美しくも哀切で、リアリティにあふれ示唆に富む、著者の語りにぜひ触れて欲しい。

本書の内容そのものについてはこれ以上紹介しないが、タイトルが示しているように、本書全体を通じて、国や地域を指す言葉として「韓国」という表現は使われていない。登場するのは、新書化にあたって加筆されたという終章「朝鮮籍から韓国籍へ」においてである。終章では、1998年の金大中大統領就任によって著者の「韓国出入りにも光が見えてきた」というくだりから、韓国政府の招待による故郷の済州島訪問を経て、民主化された大韓民国の国籍取得にいたる経緯が説明されており、2003年当時に発表された「ごあいさつ」も掲載されている。

そこには、「小生この度、外国人登録書名の『林』をもつて韓国の済州島に本籍を取籍しました。父、母の死後四十余年を経てようやく探し当てた親の墓参りぐらいはつづけようと、思い余った決断をしました。それでも総称としての“朝鮮”にこだわって生きることには、いささかの揺らぎもありません。あくまでも小生は在日朝鮮人としての韓国籍の者であり、“朝鮮”という総称の中の、同族のひとりとしての『林』であります」とある。

さらに「あとがき」でも、タイトルについて、「『新書』にまとめるに当たって、『朝鮮と日本に生きる』に改めました。もちろん『朝鮮』とは、南北をひとつにした総称としての『朝鮮』のことです」と、丁寧な説明が加えられていた。

帯の文句を考えた人(おそらく岩波書店の社員であろう)は、本書の内容と著者の思いを理解しているのだろうかと、疑念がわいた。もしそうでないのだとすれば、それを無視して帯に「日韓」と書かせてしまうものはいったい何なのだろう。

(『週刊金曜日』2015年4月10日号『メディアウォッチング』)

*はじめまして、こんにちは。このような場を得たということで試験的に、『週刊金曜日』に月1回書かせてもらっているコラムの最新の回をアップしていくことから始めてみようと思います(同時に、ここ数年の同月分からも紹介していく予定なので、どうぞよろしくお願いいたします)。

日本映画大学教員(社会学)

ハン・トンヒョン 1968年東京生まれ。専門はネイションとエスニシティ、マイノリティ・マジョリティの関係やアイデンティティ、差別の問題など。主なフィールドは在日コリアンのことを中心に日本の多文化状況。韓国エンタメにも関心。著書に『チマ・チョゴリ制服の民族誌(エスノグラフィ)』(双風舎,2006.電子版はPitch Communications,2015)、共著に『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』(2022,有斐閣)、『韓国映画・ドラマ──わたしたちのおしゃべりの記録 2014~2020』(2021,駒草出版)、『平成史【完全版】』(河出書房新社,2019)など。

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